川本ちょっとメモ

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原発学習(14) 高線量被ばく死亡――皮膚も内臓粘膜も筋肉もすべて壊れた

2011-06-16 03:50:05 | Weblog


05/04 ■ 原発学習(1)初歩の初歩から勉強をすることにしました
05/05 ■ 原発学習(2)固体1立方センチにびっしり詰まっている原子とサハ
     ラ砂漠を5メートルの高さで埋め尽くす砂粒

05/06 ■ 原発学習(3)「原子番号」は陽子の数を示し、アイソトープとは
     日本語で「同位元素」のこと

05/13 ■ 原発学習(4)原子は崩壊して放射線を放つ、そして元素が変わる
05/14 ■ 原発学習(5)原発使用済み燃料に1mまで近寄ると1分で死にま
     す!

05/22 ■ 原発学習(6)放射能・放射線の単位、人体への影響の測定用語
06/05 ■ 原発学習(7)ベクレル(Bq)からシーベルト(Sv)への換算方法
     解説

06/06 ■ 原発学習(8)「直ちに人体に影響を及ぼすものではない」とは、
     「いつかは影響がある」ということか?

06/08 ■ 原発学習(9)目安の数字は1時間当たり0.12と2.29マイクロ
     シーベルト

06/12 ■ 原発学習(10)放射線はDNAを傷つける
06/13 ■ 原発学習(11)放射線――ガンは若い人ほど起こりやすい、ガンの
     成長は数年後から数十年後

06/14 ■ 原発学習(12)お腹の中の赤ちゃんと放射能
06/15 ■ 原発学習(13)高線量被ばく死亡――染色体全破壊、すなわちDN
     A全破壊の実例

06/16 ■ 原発学習(14)高線量被ばく死亡――皮膚も内臓粘膜も筋肉もすべ
     て壊れた

06/17 ■ 原発学習(15終)半減期 半分じゃダメ ゼロになるのはいつ?
06/18 ■ 原発学習のためのリンク集
06/29 ■ 電力十社 十大株主リスト 機関投資家は原発をどうする‥‥



1999年9月30日午前10時35分ごろ、茨城県東海村にあるJCO(住友金属鉱山子会社)の核燃料加工施設内で臨界(核分裂連鎖反応)事故が起きました。前回に引き続いて、新潮文庫「朽ちていった命――被曝治療83日間の記録」から放射線の恐ろしさを学びます。


被ばく3日目 東大病院救急部 この日夕刻、放医研から転院
P36 横たわった患者が声を発した。「よろしくお願いします」

(看護婦の)細川は、「あれ?」と思った。ふつうに会話できる状態だとは思っていなかった。被曝という言葉から、外見的にもかなりダメージを受けているだろうし、意識レベルも低いのではないかと想像していたのだ。しかし外見だけでは、一体どこが悪いのだろうとしか思えない。致死量といわれるほど高い線量の放射線を浴びたと聞いたのが、とても信じられなかった。「ひょっとしたらよくなるんじゃないか。治療したら退院できる状態になるんじゃないかな」 そういう印象を持った。


被曝10日目 東大病院 全身の皮膚が徐々になくなる
P70 医療チームに参加していたのは救急部、無菌治療部の他にも消化器内科や皮膚科、それに眼科など13の診療科にのぼっていた。

P71 患者の症状は目に見える部分でも悪化し始めていた。まず症状が出たのは皮膚だった。胸に貼った医療用のテープをはがすと、テープを貼った部分の皮膚が、そのままくっついて、取れてしまうようになった。テープをはがした跡は、消えなかった。次第にテープが使えなくなり、被曝から10日目の10月9日にはテープを皮膚に貼ることは一切禁止とされた。右手には火傷の跡のように水ぶくれができてきた。また、タオルで足を洗ったり、ふいたりしたとき、こすれたところの皮膚がめくれるようになった。

P74 健康な人の皮膚はさかんに細胞分裂している。皮膚の表面にある表皮では、基底層という一番下の部分にある細胞が分裂して、新しい細胞を作り出している。基底層で作られた新しい細胞に押し出されるようにして、細胞は徐々に表面に向かっていく。そして古くなった表皮の表面の細胞が垢となってはがれ落ちる。

しかし、患者の場合、基底層の細胞の染色体が中性子線で破壊されてしまい、細胞が分裂できなくなっていた。新しい細胞が生み出されることなく、古くなった皮膚ははがれ落ちていった。体を覆い、守っていた表皮が徐々になくなり、激痛が患者を襲い始めていた。


被曝14日目 東大病院 意識はしっかりしていた
P86 人工呼吸器のチューブを入れたあとも、患者の意識はしっかりしていた。10月13日付のカルテには「痛いですか? の問いかけに首を横に振ったり、縦に振ったりして答えていた」とある。


被曝1カ月後 東大病院 皮膚も爪もなく目から出血
P108 皮膚がはがれたところは点状に出血があり、体液が浸み出していた。患者の全身は包帯とガーゼで包まれた。

P109 医師と看護婦にとって、包帯交換が一日の重要な仕事になった。10人がかりでおこなう大仕事だった。滅菌したマスクと帽子、それに手袋をして病室に入る。

まず患者の全身を覆っている包帯を切り、ガーゼを取ったあと、温めた消毒液をスプレーで体にかける。同時に「トレックスガーゼ」という表面がつるつるの特殊な医療用ガーゼに抗生物質の入った軟膏を十分になじませ、しわにならあないように気をつけながら体に当てていく。患者の皮膚の状態が悪く、ふつうのガーゼでは刺激が強すぎるためだ。

指同士がくっついてしまわないように一本一本をガーゼで包む。一度の包帯交換で使われる包帯とガーゼはワゴンに山積みになるほどだった。単純な作業だが、感染しないよう慎重におこなっていたため、一回の処置に二、三時間かかった。

P110 患者の体を包んでいたガーゼや包帯は、体から浸み出す体液を吸い込んで重くなっていた。その重さを毎日量るのも看護婦たちの重要な仕事だった。患者の体からどの程度の水分が失われているかがわかるからだ。浸み出した体液はこのころ、一日一リットルに達していた。

P110 このころの患者はまぶたが閉じない状態になっていた。目が乾かないよう黄色い軟膏を塗っていた。ときどき、目から出血した。(看護婦の)細川は患者が苦しくて血の涙を流しているのではないかと思った。爪もはがれ落ちた。

(看護婦の)名和は、むかし広島にある原爆の資料館で見た被爆者の写真を思い出した。50年以上前、原子爆弾で被爆した人たちも、こういう状態だったのだろうかと考えていた。


1999年12月22日午前4時 東大病院 司法解剖
P169 12月21日午後11時21分。患者、死亡。享年35だった。

P176 午前4時3分、三澤(筑波大学法医学教室教授)は「解剖を始めます」といういつもの言葉で、遺体の解剖を開始した。体の正中、真ん中の部分に三澤のメスが入った。いままでに見たことのない臓器の変化が眼前に現れた。

腸はふくらんで大蛇がのたうちまわっているように見えた。胃には2040グラム、腸には2680グラムの血液がたまっていた。(※輸血を繰り返してしていた) 胃腸が動いていないことは明らかだった。

また、体の粘膜という粘膜が失われていた。腸などの消化管粘膜のみならず、気管の粘膜もなくなっていた。骨髄にあるはずの造血幹細胞もほとんど見あたらなかった。細胞の分裂がさかんなところは放射線にたいする感受性が高い、つまり障害を受けやすいことが知られている。粘膜や骨髄などこうした組織は、すべて大きく障害を受けていた。

三澤のもっとも驚いたのが、筋肉の細胞だった。通常は放射線の影響をもっとも受けにくいとされていいる細胞である。しかし、患者の筋肉の細胞は繊維がほとんど失われ、細胞膜しか残っていなかった。

P177 そのなかで一つだけ、筋肉細胞が鮮やかに赤く、きれいに残っていた臓器があった。心臓だった。三澤は後にこのことを振り返って、こう語った。

「どうして心臓だけが、しっかりとした筋肉を保ちつづけ、他の筋肉細胞は破壊されたのか、文献を調べても臨床医たちと議論しても、その理由はわからなかったんです。放射線の影響なのか、それとも被曝治療に使われた薬剤の影響なのか。結論はいまだに出ていません。ただ、私には、故人が自己主張をしているような気がしました。」





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