川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

私の世代から人の気持ちが変わった(3/4)

2009-09-28 14:26:04 | Weblog


◇自己中心的、自己過信的

1/4と2/4で書いたように、生まれ育った生活環境から離れて別の土地で一人前になって家族を形成した人と、生まれ育った生活環境の中か或いはその近くの土地で一人前になって家族を形成した人とでは、基本的な違いが一つあります。

新しい土地で家族形成をした人は、そうでない人にくらべて自己中心的で自己過信的です。そして、自分が所属していると信じている社会階層より下位の階層と自分が認定する人たちとの間に壁を立てます。また、生活スタイルや教養のうえで好みに合う人たちとそうでない人たちとの間にも壁を立てます。

「私は違う」と否定する方が数多くいるでしょうし、無謀な分類だと思う方もおいででしょう。しかし、私のこれまでの仕事や生活の体験から思い切ってパターン化すれば、こういうことになります。

ニュータウン住民の中では、①居住地近辺で仕事をしている人の家庭、②奈良県内に通勤している人の家庭、③大阪へ通勤している人の家庭、の順で、このタイプの人の数が多くなるというのが私の体験的な感想です。生活の場所と仕事の場所が離れていればいるほど、自己中心・自己過信の程度が強くなります。

たびたび海外に出かけているビジネスマンもニュータウンにはいます。その人やその家庭の人の場合、人間関係が国内各地や海外各地に広く人間関係を持っている人がいます。しかし、住んでいる足元の地域で人間関係は狭く希薄で、過疎です。

大企業を立派に勤めあげた人が定年退職をした後に、大きく手を振って健康用にウォーキングしている姿をニュータウンで見ます。驚くほど立派な学歴と職歴を持っている人がニュータウンにはいるのです。でも、その人たちの多くは、自分とは異なった成育環境と仕事環境・生活環境にある雑多な人たちと、同じ立ち位置で共に働くことが不得意なのです。従って、自分が住まうところで引退後の仕事は、健康ウォークです。……もちろん、そうでない人も私は知っていますけれど。


◇自治会長の体験――プライバシーの侵害

私は人口2万人ほどのニュータウンの中で、450世帯の住宅地の自治会長を務めたことがあります。その折に典型的な経験をしました。

神戸の大震災のあと数年を経て、どこの自治会でも防災対策ということが懸案となっていました。その中の一つの課題として、「一人家庭」と「高齢者のいる家庭」に取り組みかけました。これは防犯対策にも通じます。

まず最初に、そういう家のリストアップです。班長会議でリストアップを提案しました。提案しただけで非難ごうごうでした。班長さんは30人ほどでしたが、そのうちの数人が猛烈に反対しました。

反対の理由は「プライバシー」の侵害です。

このニュータウンは近隣では最優良の住宅地で、土地面積165平方メートル(50坪)から260平方メートル(80坪近く)くらいの戸建てが重なる地域です。したがって所得も良いほうの人たちが住んでいます。住民の主力は、大阪の会社に勤務する家庭です。大会社の社員が多く、公務員も多い。生活の安定した良い人たちばかりで、民生委員に言わせると最も問題の少ない地域という評価でした。

まじめに暮らし、社会的にも節度がある人ばかりであるはずなのに、「プライバシー」を盾に血相を変えて大変な剣幕で反対する。そんな班長さんが2割もいることに驚きました。余りの剣幕なので、この提案は取りやめになりました。私は親しい人に「大地震で生き埋めにでもなったら、反対した連中はいちばん後回しや」と毒づいて溜飲を下げることしかできませんでした。


◇地域力の基礎条件

あらゆる団体で、常に、「地域の助け合い」が期待されています。小中学校は、子どもの安全のために「地域の協力」を自治会や子ども会や老人会などの地域団体にお願いしています。育友会の県代表で国立教育研究所の会合に参加した折にも、「地域力」というものが期待されていました。

これらはすべて、住民同士の協力を意味しています。裏の家はどんな人が住んでいますか? 5軒向こうの家にはどんな人が住んでいますか? こういうことをよく知っている住民関係が、「地域の力」の背景になります。

こういうことに拒絶反応を示す人たちがいました。できるだけ避けたいという風情の人がたくさんいました。自治会長という仕事は、いろいろな人たちの苦情の受け皿でもあります。うんざりするほど日常的に苦情があり、その苦情のほとんどは取るに足らないものであると同時に、身勝手なものでした。


◇自治会長の体験――ごみ回収、路上駐車

あるときこういうことがありました。

一班ごとに、ごみの回収場所が定められています。自分の家が回収場所に指定されていて、もうそろそろよその家に移してほしいと言ってきた人がいました。同じ班内のことなので、移動先を自分たちで話し合って決めてくださいと言いました。それだけで、その人は何も言わずに引き下がりました。回収場所が変わらないまま、その人はもう不満を訴えなくなりました。

自分の家のことを、向こう三軒両隣の話を、いやな事は人にしてもらおうと願うのです。450世帯の自治会長をしていれば、こんな相談事が週に二回や三回ありました。

ニュータウンの中は区画が整然としていて、幅員15mくらいで両側歩道の幹線道路、同じく両側歩道で幅員12mくらいの準幹線道路、そして住宅街区の中の道路幅員は6mです。きれいな住宅地で道幅も十分ありますが、住民の中には路上駐車に厳しい人が多くいます。

路上駐車への苦情もたびたびありました。苦情の中には、隣や一軒おいて隣への苦情がありました。お隣さんなら話し合えばいいだろうと思うのですが、それを自治会に持ち込む人が多いのです。

その結果、お隣さんからの苦情であることを伏せて、一般的な交通安全の問題や緊急車両の活動上の問題に事寄せて、自治会長がお願いに出向くことになります。それと同時に、回覧板で路上駐車への注意を呼びかけることになります。

これを、「誰それさんから苦情がありまして」などと言うと、とんでもない大騒ぎになります。秘密をばらされたということで、苦情を申し立てた人が「とんでもない会長だ」と吹聴してまわります。そしてまた、それを聞いて「そうだそうだ」と騒ぎ立てる人が何人も出てくるのです。……私は一度そういう経験をしました。


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私の世代から人の気持ちが変わった (2/4)

2009-09-18 12:33:25 | Weblog


30歳を前にして、私は京都に良い転職先を得て東京を辞し、帰郷しました。私は長男です。母は女手で私と弟を育ててくれました。私は母といっしょに住むのだと早くから心に決めていました。そして、将来、妻子と母とを東京の会社勤めで暮らしていくことに自信がなかったのです。それで京都に帰ることにしました。母といっしょに住みたいと思っていましたし、住まなければいけないと思っていました。

それからまた3年後、叔父の引きで奈良県に移りました。叔父が小さな会社をしていて、その右腕にと望まれました。その仕事は測量・土木設計業でした。建設関連業で、カルチャーショックを感じるほどにそれまでの人生とは別世界のことでした。場所は奈良県の田舎で、都市化しているとはいえ、これまたそれまでの人生環境とはかけ離れていました。

ここで仕事に打ち込み、仕事に慣れ、結婚もして、奈良県人となりました。仕事の場所も生活の場所も同じ地域です。仕事の顔と生活者の顔とを使い分けができません。これはやり辛いところがあります。仕事でも日常生活でも、同じスタイルで過ごすということは、24時間体制で自分の生活に責任を持つということになります。

それで、人間はけっこう自分自身をごまかして、世間さまに向かって、他人さまの前で偽った自分の姿で応対していることに気づきました。仕事の場と生活の場が同一平面で重なっていますから、きれいごとで、偽りの仮面で、日常生活の場面でやり過ごしたり、逃げ切ったりすることが大幅に制限されるわけです。裸の自分の姿を、人に見られるのはいやなことでした。

それでも独身の間は切実なものではありませんでした。やがて結婚をして子どもができてくると、そのあたりが切実になってきました。ええい、ままよ。気取りを捨てて、素の自分の姿、素の家族の姿で出歩くうちに、私の人間性も変わってきました。気取りのない方へ。良い方へ‥‥。

仕事柄、地主さんとの出入りが多かった。地元の役場に出入りすることも多かった。私の住んでいる地域はもともと、田畑と里山の山林があるだけの農村でした。さいわいに2~3km圏内に鉄道駅がありますが、昭和40年代に住宅開発が始まるまで、道路と言えるほどの道はなかったと聞いています。狭い地道があるだけでした。ですから、地主さんは地元の旧農家であり、役場職員はほとんどが周辺地域旧農家の出身です。

私の住んでいるところは今は、都市化しています。最寄り駅には「いずみや」と「西友」があります。住宅地の中には「サティ」があります。私の住む地域には、大型食品スーパーが4つもあります。病院もすぐ近くに2つあります。私はこういう町に住んで、自治会長と高校育友会長を経験しました。

(その1)で話した生い立ちとここで話した生活経験から、「私の世代から人の気持ちが変わった」と思っています。

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私の世代から人の気持ちが変わった(1/4)

2009-09-15 15:15:10 | Weblog


私は1945年11月生まれ、戦後生まれのトップバッターです。
そして、「私の世代から人の気持ちが変わった」というのが持論です。
この持論は、生活体験に基づいています。

◇地縁・血縁のある生活――跡取りたちの生活
私のふるさとは京都市中京区です。住んでいた地域は当時、京染め業界の人たちが密集していました。おそらく今もそうでしょう。学校の仲間たちも、京染めの商家、染めや関連行程の家内工場、家内職人の子どもが多かった。

彼らの多くが家業の跡取りでした。家業が盛んで豊かな家の跡取りは恵まれていました。しかし、家業収入は平凡であろうと思われる家の方が多かった。大学に行った者も行かなかった者もいますが、共通して高校生くらいの頃から時に、家業を手伝っていました。1階が駐車場、2階が仕事場、3階が住まい。あるいは1階が仕事場、2階が住まい。このように仕事と家庭が同じ場所で営まれていました。

跡取りである私の友だちが二十歳前後のころには、彼らの祖父母が生きていて三代そろっているところが多かった。じいちゃん、ばあちゃんといっしょに暮らしていました。数人ていどの従業員のいるところでは、企業的人間関係ではなく、まさに家業的人間関係でした。すなわち雇用関係や就業感覚は「うちの使用人」という感じでした。

私がアルバイトをしていた京染め卸商では、お昼が毎日出されて、経営者・家族・使用人がそろって同じものを食べました。たいがいは「うどん」のように手間のいらないものでした。

◇地縁・血縁の無い生活――私の社縁生活
私には跡を継ぐ家業がありませんでした。東京・新宿御苑前にあるネクタイ製造卸会社に就職して数年間勤めました。同期入社は大卒男子5人と高卒女子5人だったと思います。中野新橋の独身寮に入り、後に京王線明大前のアパートに住みました。

その会社の独身社員で地元東京の出身者はわずかでした。多くが東京以外の地方出身者でした。私はまじめに仕事に励みました。遊びといえば、新宿の盛り場での飲食が主でした。社員同士で行くこともあれば、ガールフレンドと行くこともありました。

仕事に自信ができてくると、若いなりに社会生活や私生活にも自負心に満ちた定見ができてきます。何かのことで相談することがあれば、その相手は会社の先輩でした。家庭持ちでまじめな生活者である三十歳代と四十歳代の人がいました。デパート出入りの会社でしたし、ネクタイを中心とした服飾雑貨を取り扱っていましたので、ものごしも身なりもスマートな先輩社員でした。二人とも神奈川の公団住宅に住んでいました。1970年ごろの東京の地方出身者なら、公団住宅に住んでいる人をうらやましいと思っていました。

東京で地縁に関係したできごとが一つだけありました。新宿・花園神社のお酉さまの祭りでおみこしを担ぎました。一つ年上だった社長の長男といっしょに担がないかと、社長夫人から勧められました。ただそれだけのことで、地縁を慮って何かをしたり考えたりするということには出会ったことはありませんでした。


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全記事目次 2009年1~8月

2009-09-09 03:10:20 | Weblog

01/09 ■ミニノート ASUS EeePC 1000H 使用感想

02/03 ■公務員改革で人事院総裁が記者会見して抵抗
02/04 ■谷人事院総裁の天下り・渡り経歴
02/14 ■郵政四分社見直し、かんぽの宿払い下げ見直し、大賛成!
02/16 ■宮内義雄オリックスとはこんな会社!
02/18 ■ほかにもある中川昭一酔っ払い大臣の酔っ払い経歴
02/25 ■人間社会はそんなに単純でない=竹中氏の理論を一蹴(与謝野財務相)

03/01 ■人と生まれた以上は道端で寝かせてはいけない
03/03 ■「かんぽの宿」売却劇を新聞社説はどう見たのか?
03/05 ■天下り規制を妨害したのは誰か?(渡辺喜美代議士)
03/07 ■母と離れて暮らした思い出
03/10 ■児童擁護施設で育ちました
03/15 ■私の生活現場で「不況聞き書き」
03/19 ■ことばにクエスチョン『グローバル化、ホワイトエグゼンプション、百年に一度の不況』
03/30 ■09210330 メモ書きにつける日付の書き方
03/31 ■メモ書き用紙に何を使っていますか?

04/02 ■日本海軍事緊張、海自イージス艦出撃
04/06 ■新聞書評:「砕かれた神」 渡辺清著、岩波現代文庫
04/06 ■吉野山桜見行
04/09 ■介護現場には希望がないように思えます(毎日新聞読者投稿から)
04/20 ■ペダルの踏みまちがい事故とメーカーの改良責任
04/22 ■自動車任意保険、ダイレクトは安いですねえ
04/26 ■瞬間燃費計は一挙四得、法定装備にしてほしい
04/29 ■豚インフルと1等航海士と豪華客船

05/03 ■「日本国憲法の誕生」過去記事ご紹介
05/18 ■平和の日常感覚(1) 英雄――「好き」から「きらい」へ
05/25 ■民主党・小沢代表代行の泣き所「不動産蓄財疑惑」
05/28 ■「政府のパフォーマンスに利用された」発言に怒りを覚えた

07/07 ■皇后の失語症と皇太子妃の神経症
07/23 ■続く血統総理、「民主、おまえもか?」
07/27 ■夏の夜話――蚊のしとめ方 (^O^)

08/03 ■徒歩30分で「町」境界を越えてしまう事情
08/11 ■09衆院選、この閉塞感はなんだろう (※転載記事)
08/19 ■民主党の「比例定数80削減」に反対、大変革を望まず
08/26 ■毎日新聞が手放しの民主党礼賛――評論人は軽薄無責任「上から目線」

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