川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

高所得層対象の軽微な増税案に冷淡な人たち

2010-12-23 02:29:22 | Weblog


民主党政権の目玉施策の事業仕分けについては、主観的に過ぎると思えることが多かった。それにパフォーマンス、政治ショーの意図が見えすぎていました。そのうえ仕分け結果について、誰にも実行責任がないらしい。有権者をばかにしています。

しかし、民主党政権下の施策で初めて無条件に賛成できる方針が出ました。「年収1500万超所得の給与所得控除制限」という増税案のことです。

高所得者への増税案としては軽微なものです。それに、給与所得限定の高所得増税という限界があります。それでも私は賛成です。たとえば給与所得という枠を取り払って、年収3000万とか5000万超に対してはもっと増税していいと私は思っています。相続税についてはさらに抜本的に増税するべきと、私の格差是正志向は上を向いています。

このごろのテレビでは「時局」番組や「時局コーナー」が毎日いくつも放送されていて、大阪ローカルでも日々放送されています。中央もローカルもテレビ番組の一般的論調としては、年収1500万超増税案について批判しています。私はニュース番組ファンでいろんなのをよく見ていますが、見た限りでは「賛成皆無」でした。

「個人所得狙い撃ち」とか、「消費税増税抜きの小手先対策」とか、批判的論調で少し触れるだけ。大きく取り上げられることはありませんでした。「消費税10%案」については、いつの場合でも大声で感想を語っているのに。そして国の財政改善のために必要だといつも話しているのに……。国の財政改善に資するはずの、高額所得者増税案には冷淡です。

テレビでお話するコメンテーターがどう応じるか、私は興味を持って見ておりました。及び腰の反応は推測通りの結果でした。その人たちはほとんどが、年収1500万超以上、あるいはそれを近い将来に見込めるものと想像できます。給与所得でない所得年収が1500万以上の人であっても、高所得増税案には人ごとと思えず抵抗があるのでしょう。

私の過去の業界経験によれば、商売が順調で高所得と思われる人はみんな、税金の話になると声高に強い姿勢で、「税金が重すぎる」と話していました。地方の町の小企業の社長さんたちですから、高所得といっても大したものではないと思いますが。



コメント

大学生の新聞投稿から――報道を疑ってみることも必要

2010-12-22 08:44:33 | Weblog


毎日新聞 2010-12-21火 投稿欄「みんなの広場」から転載します。投稿主は宮崎県の大学生(20)です。

 ----------------------------------------

沖縄県・尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁巡視船に衝突した事件などで、日中関係が悪化する一方だった11月中旬、第11管区海上保安本部(那覇市)は、沖縄県西表島沖で遭難した貨物船から中国人乗組員を救助した。

この救助について来日中の中国人観光客について来日中の中国人観光客にインタビューしている映像をニュースで見た。尋ねられた観光客は「救出するのは当たり前のことだ」と話していた。私はそのコメントに驚きとともに、腹立たしさを感じた。確かに人命救助は当たり前のことだが、感謝のことば一つないのか、と。

だが、そこでふと思った。他にもインタビューを受けた観光客がいて、その人は感謝のことばを口にしたかもしれない。あるいは放送された人も謝意を示したが、その部分はカットされたかもしれない。

報道は市民の思考や行動に大きな影響を及ぼす。このインタビューを見て、報道をうのみにしてはいけないことと、疑問を感じることが必要だと気づいた。



コメント

海江田経財相:年収1500万円所得層 「金持ちでない」

2010-12-20 11:48:13 | Weblog


毎日新聞記事を転載します。給与所得者のうち、年収1500万円超所得者はわずか1.2%であるそうです。


毎日新聞 2010年12月19日 19時05分

海江田万里経済財政担当相は19日、民放の報道番組に出演し、11年度税制改正大綱で、給与所得控除の上限とすることが決まった年収1500万円について「金持ちではない。中間所得者だ」と述べた。高所得者層を狙った増税との批判に反論した。しかし、年収1500万円を超える給与所得者は全体の1.2%に当たる約50万人で、海江田氏の認識に批判が出る可能性もありそうだ。

給与所得控除は、サラリーマンの年収の一部を必要経費とみなし、差し引く制度。今回の大綱で、年収1500万円超の人は、控除額が245万円で頭打ちになることが決まっている。


コメント

地方生活からずれていくトーキョー移民型国会議員

2010-12-14 16:01:46 | Weblog


「十年一昔」ということばがあります。一昔二昔前のことです。そのころ奈良県から出ていた或る有力な国会議員には、出身地に屋敷といっていいほどの大きな家がありました。

でも、国会議員になってからはそこに住んでいません。東京に住んでいました。センセイ本人が陳情受付をするのはトーキョー事務所です。選挙区の事務所で陳情受付するのは国元専任の秘書です。それで地元選挙区に帰ることを「お国入り」というのでしょう。これはどの国会議員でも似たりよったりのことと思います。国会もあれば中央官庁との折衝もあることなので、多忙であることは十分に理解できます。やむをえないとはいえ、地元選挙区の生活事情とかけ離れた東京生活をつづけています。

これは、アメリカの大都市に単身赴任した駐在員と似ています。いつのまにか派遣地のアメリカ生活にどっぷりつかってしまって、生活様式まで変わってきます。もう死語になっていますが、「アメリカナイズ」ということばがありました。2選、3選を超える国会議員はこれと同じでトーキョーナイズされて、日常生活にあくせくしている地元選挙民の生活感覚からずれていきます。

わたしの住んでいる地域から出ていた、くだんの国会議員が引退するに当たって息子に地盤をゆずりました。その息子は最優秀の学歴・職歴のある人でしたが、子どものときか東京暮らしでした。一家で東京に移住していて、東京の学校、東京の大学、東京の職歴を経て、住んではいない育ってもいない、奈良県選出の国会議員になりました。

アメリカの大都市に移住して成功した一家がそのままアメリカの大都市生活をエンジョイして、選挙の季節限定の地方在住日本人を呼号するようなものです。こういうトーキョー移民型国会議員は奈良県ではほかにもおりました。

移民型ほどでないにしても、単身赴任型というのは、ほとんど全部の国会議員にあてはまるでしょう。いずれも、、東京都心が暮らしや仕事の場です。地元選挙区ではあちこち頭を下げなければいけない場面もあるでしょう。しかし東京では、どこへ行っても何をするにしても国会議員としての礼遇を受けます。公務で行く先々では、常に誰かが下準備をして出迎え、誰かが案内をします。頭ではわかっていても(まったくわからなくなる人もいますが)、生活感覚が地元選挙民の暮らしからかけ離れたものとなっていきます。

2選3選と経歴が古くなるほど地方生活とかけ離れていく国会議員のトーキョー首都感覚のおかげで、奈良県の片隅で暮らしている私なんかを苦しめる政治がつづきます。小泉政権下で暮らしはきつくなりました。民主党政権下でも、税金をはじめとする公的負担が増えそうな勢いが、日増しに強くなっています。


コメント

海老蔵事件で思い出したビジネスエリート――手本(師匠)

2010-12-04 12:51:04 | Weblog


市川海老蔵事件は酒乱の上の暴力事件です。まだまだ、いろいろな裏の広がりがありそうな感があります。彼は厳しい社会的制裁を受けて、降格された立場から再スタートする必要があるでしょう。伝統芸能の担い手である社会人として論外の行為です。

事件は、海老蔵が「酒乱」であることを示しています。私が実体験で見聞きしてきた限りでは、酒乱はなおりません。禁酒以外に方法がなく、酒乱の人にとって禁酒がまた難しい。

海老蔵事件では「師匠」ということばがよく出てきます。幼くして師匠である親から厳しい芸の訓練を受ける、というのです。しかし、これを「師弟」と表現することはまちがいだと私は考えます。実態は、伝統芸能の親子継承という関係で、「芸能無形資産の相続継承」という関係でしょう。一言で言えば「芸能相続」です。

しかし、このことで師匠→手本と連想がつながって、思い出したことがあります。

十数年ばかり前のことです。私は当時、小さな会社の専務をしておりました。ある夜、大企業の幹部社員と社長と3人で会食をする機会がありました。その方は取締役○○部長として東京へ栄転することが決まっていました。栄転でビジネス関係が切れます。そうなれば会う機会もまずありません。

かの人の年齢は当時、四十代後半。東大卒のエリートです。まだ二十代が終わらぬころに、社長の秘書を務めたという経歴がありました。

招待する側の私たち2人は、約束の時間よりわずか2、3分前に料亭の部屋に着きました。案内係の女性が両膝をついて、「お着きになりました」と声をかけてふすまを開けました。私たちは立ったままで入りかけて驚きました。恐縮しました。

かの幹部社員が、ふすまの内側でふすまと並行して入室者が足を踏み入れるのに邪魔にならぬ位置で、正座で両手をついて頭を下げて出迎えてくれたのです。「このたびはこのような心配りをいただきまして、ほんとうにありがとうございます」。幹部社員はこういった意味のあいさつをしたと記憶しています。

招待した側の社長が腰を折って答礼をしつつ、先に席についていただくよう促しました。私は入りかけた身を一歩引いて後退し、部屋の外側で神妙にそのやりとりを見守って控えておりました。そして客が着席し、社長が対面して着席し、私は社長に並んで着席しました。料理や酒が運ばれ、芸者がお酌をして、おたがいに気持ちのよい酒食の席になりました。

それは、その方のほかにはない人柄のせいかもしれません。なにしろ飾らない謙虚な方でしたから。そのとき、私は「大企業のエリートはこうして育つのか」と感心しました。若いときから厳しい先輩について学びつづけていくことに感じ入りました。

私は京都で育ちまして、紋入れ職人や手描き友禅職人の生活を身近に見ました。師匠と弟子の関係からスタートして、やがて独立した職人になります。サラリーマンであれ、職人であれ、芸能人であれ、どのような立場にあっても、若い時代から誰かを手本と定めて精進を重ねていけば、人生の苦難を乗り越えていけるでしょう。そしてその人がまた、次の世代の手本になり得るよう、さらにさらに精進をつづけていかねばなりません。

ただ、職業などを通じての手本(師匠)と人生の手本(師匠)と二手必要なのかもしれませんけれど。



コメント