川本ちょっとメモ

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<資料掲載> 日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直し中間報告 防衛省

2014-10-13 22:56:17 | Weblog


「日米防衛協力ガイドライン中間報告」全文を資料として掲載します。



日米防衛協力のための指針の見直しに関する
中間報告
(2014.10.8)
http://www.mod.go.jp/j/approach/anpo/sisin/houkoku_20141008.html


Ⅰ.序文

 2013年10月3日に東京で開催された「2+2」日米安全保障協議委員会(SCC)会合において、日米両国の閣僚は、複雑な地域環境と変化する世界における、より力強い同盟のための戦略的な構想を明らかにした。閣僚は、日本の安全に対する同盟の揺るぎない決意を再確認し、アジア太平洋地域における平和と安全の維持のために日米両国が果たす不可欠な役割を再確認した。閣僚はまた、同盟がアジア太平洋及びこれを越えた地域に対して前向きに貢献し続ける国際的な協力の基盤であることを認めた。より広範なパートナーシップのためのこの戦略的な構想は、能力の強化とより大きな責任の共有を必要としており、閣僚は、1997年の日米防衛協力のための指針の見直しを求めた。

 指針の見直しは、日米両国の戦略的な目標及び利益と完全に一致し、アジア太平洋及びこれを越えた地域の利益となる。米国にとって、指針の見直しは、米国政府全体としてのアジア太平洋地域へのリバランスと整合する。日本にとって、指針の見直しは、その領域と国民を守るための取組及び国際協調主義に基づく「積極的平和主義」に対応する。切れ目のない安全保障法制の整備のための2014年7月1日の日本政府の閣議決定は、日本国憲法に従った自衛隊の活動の拡大を視野に入れている。指針の見直しは、この閣議決定の内容を適切に反映し、同盟を強化し、抑止力を強化する。見直し後の指針はまた、日米両国が、国際の平和と安全に対し、より広く寄与することを可能とする。


(1)見直しプロセスの内容

 2013年10月3日のSCC会合において、日米両国の閣僚は、防衛協力小委員会(SDC)に対し、日本を取り巻く変化する安全保障環境に対処するため、1997年の指針の変更に関する勧告を作成するよう指示した。議論は、自衛隊及び米軍各々の適切な役割及び任務を検討するための運用レベルの協議から、防衛協力に焦点を当てた政策レベルの対話にまで及んでいる。


(2)中間報告の概観

 SDCは、見直しについての国内外の理解を促進するため、SCCの指示の下で実施されてきた作業を要約し、この中間報告を発出する。今後の更なる作業の結果、修正や追加があり得る。

 この中間報告は、見直し後の指針についての枠組み及び目的を明確にかつ透明性をもって示すためのものである。準備作業の過程で、日米両政府は、次の事項の重要性について共通認識に達した。

・切れ目のない、実効的な、政府全体にわたる同盟内の調整
・日本の安全が損なわれることを防ぐための措置をとること
・より平和で安定した国際的な安全保障環境を醸成するための日米協力の強化
・同盟の文脈での宇宙及びサイバー空間における協力
・適時かつ実効的な相互支援

 この中間報告は、いずれの政府にも法的権利又は義務を生じさせるものではない。


Ⅱ.指針及び日米防衛協力の目的

 SDCは、新たに発生している、及び将来の安全保障上の課題によって、よりバランスのとれた、より実効的な同盟が必要となっていることを認識し、平時から緊急事態までのいかなる状況においても日本の平和と安全を確保するとともに、アジア太平洋及びこれを越えた地域が安定し、平和で繁栄したものとなるよう、相互の能力及び相互運用性の強化に基づく日米両国の適切な役割及び任務について議論を行ってきた。

 将来の日米防衛協力は次の事項を強調する。

・切れ目のない、力強い、柔軟かつ実効的な日米共同の対応
・日米同盟のグローバルな性質
・地域の他のパートナーとの協力
・日米両政府の国家安全保障政策間の相乗効果
・政府一体となっての同盟としての取組

 将来を見据え、見直し後の指針は、日米両国の役割及び任務並びに協力及び調整の在り方についての一般的な大枠及び政策的な方向性を更新する。指針はまた、平和と安全を促進し、あり得べき紛争を抑止する。これにより、指針は日米安全保障体制についての国内外の理解を促進する。


Ⅲ.基本的な前提及び考え方

見直し後の指針及びその下で行われる取組は、次の基本的な前提及び考え方に従う。

・日米安全保障条約及びその関連取極に基づく権利及び義務並びに日米同盟関係の基本的な枠組みは変更されない。
・日米両国の全ての行為は、紛争の平和的解決及び主権平等を含む国際法の基本原則並びに国際連合憲章を始めとする関連する国際約束に合致するものである。
・日米両国の全ての行為は、各々の憲法及びその時々において適用のある国内法令並びに国家安全保障政策の基本的な方針に従って行われる。日本の行為は、専守防衛、非核三原則等の日本の基本的な方針に従って行われる。
・指針及びその下で行われる取組は、いずれの政府にも立法上、予算上又は行政上の措置をとることを義務付けるものではなく、また、指針は、いずれの政府にも法的権利又は義務を生じさせるものではない。しかしながら、日米協力のための実効的な態勢の構築が指針及びその下で行われる取組の目標であることから、日米両政府が、各々の判断に従い、このような努力の結果を各々の具体的な政策や措置に適切な形で反映することが期待される。


Ⅳ.強化された同盟内の調整

 日米両政府は、日本の平和と安全に影響を及ぼす状況、地域の及びグローバルな安定を脅かす状況、又は同盟の対応を必要とする可能性があるその他の状況に対処するため、全ての関係機関の関与を得る、切れ目のない、実効的な政府全体にわたる同盟内の調整を確保する。このため、日米両政府は、同盟内の調整の枠組みを改善し、適時の情報共有並びに政策面及び運用面の調整を可能とする。

 日米両政府は、各々の政府の全ての関係機関の関与を確保する、強化された計画検討のメカニズムを通じ、日本の平和と安全に関連する共同の計画検討を強化する。


Ⅴ.日本の平和及び安全の切れ目のない確保
 現在の安全保障環境の下で、持続する、及び新たに発生する国際的な脅威は、日本の平和と安全に対し深刻かつ即時の影響をもたらし得る。また、日本に対する武力攻撃を伴わないときでも、日本の平和と安全を確保するために迅速で力強い対応が必要となる場合もある。このような複雑な安全保障環境に鑑み、日米両政府は、平時から緊急事態までのいかなる段階においても、切れ目のない形で、日本の安全が損なわれることを防ぐための措置をとる。見直し後の指針に記述されるそれらの措置は、次のものを含み得るが、これに限定されない。

・情報収集、警戒監視及び偵察
・訓練・演習
・施設・区域の使用
・後方支援
・アセット(装備品等)の防護
・防空及びミサイル防衛
・施設・区域の防護
・捜索・救難
・経済制裁の実効性を確保するための活動
・非戦闘員を退避させるための活動
・避難民への対応のための措置
・海洋安全保障

 日本に対する武力攻撃の場合、日本は、当該攻撃を主体的に排除する。米国は、適切な場合の打撃作戦を含め、協力を行う。

 見直し後の指針は、日本に対する武力攻撃を伴う状況及び、日本と密接な関係にある国に対する武力攻撃が発生し、日本国憲法の下、2014年7月1日の日本政府の閣議決定の内容に従って日本の武力の行使が許容される場合における日米両政府間の協力について詳述する。

 東日本大震災への対応から得られた教訓に鑑み、見直し後の指針は、日本における大規模災害の場合についての日米両政府間の協力について記述する。


Ⅵ.地域の及びグローバルな平和と安全のための協力

 地域の及びグローバルな変化する安全保障環境の影響を認識し、日米両政府は、日米同盟のグローバルな性質を反映するため、協力の範囲を拡大する。日米両政府は、より平和で安定した国際的な安全保障環境を醸成するため、様々な分野において二国間協力を強化する。二国間協力をより実効的なものとするため、日米両政府は、地域の同盟国やパートナーとの三か国間及び多国間の安全保障及び防衛協力を推進する。見直し後の指針は、国際法と国際的に受け入れられた規範に基づいて安全保障及び防衛協力を推進するための日米両政府の協力の在り方を示す。当該協力の対象分野は、次のものを含み得るが、これに限定されない。

・平和維持活動
・国際的な人道支援・災害救援
・海洋安全保障
・能力構築
・情報収集、警戒監視及び偵察
・後方支援
・非戦闘員を退避させるための活動


Ⅶ.新たな戦略的領域における日米共同の対応

 近年、宇宙及びサイバー空間の利用及びこれらへの自由なアクセスを妨げ得るリスクが拡散し、より深刻になっている。日米両政府は、これらの新たに発生している安全保障上の課題に切れ目なく、実効的かつ適時に対処することによって、宇宙及びサイバー空間の安定及び安全を強化する決意を共有する。特に、自衛隊及び米軍は、それらの任務を達成するために依存している重要インフラのサイバーセキュリティを改善することを含め、宇宙及びサイバー空間の安全かつ安定的な利用を確保するための政府一体となっての取組に寄与しつつ、関連する宇宙アセット並びに各々のネットワーク及びシステムの抗たん性を確保するよう取り組む。

 見直し後の指針は、宇宙及びサイバー空間における協力を記述する。宇宙に関する協力は、宇宙の安全かつ安定的な利用を妨げかねない行動や事象及び宇宙における抗たん性を構築するための協力方法に関する情報共有を含む。サイバー空間に関する協力は、平時から緊急事態までのサイバー脅威及び脆弱性についての情報共有並びに任務保証のためのサイバーセキュリティの強化を含む。


Ⅷ.日米共同の取組
 日米両政府は、様々な分野における緊密な協議を実施し、双方が関心を有する国際情勢についての情報共有を強化し、意見交換を継続する。日米両政府はまた、次のものを含み得るが、これに限定されない分野の安全保障及び防衛協力を強化し、発展させ続ける。

・防衛装備・技術協力
・情報保全
・教育・研究交流


Ⅸ.見直しのための手順

 見直し後の指針は、将来の指針の見直し及び更新のための手順を記述する。

                             (了)


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<資料掲載> 集団的自衛権行使容認の「7・1閣議決定」全文

2014-10-12 23:49:12 | Weblog


集団的自衛権行使容認の「7・1閣議決定」全文を資料として掲載します。



国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない
安全保障法制の整備について


                         平成26年7月1日
                         国家安全保障会議決定
                         閣 議 決 定


我が国は、戦後一貫して日本国憲法の下で平和国家として歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持しつつ、国民の営々とした努力により経済大国として栄え、安定して豊かな国民生活を築いてきた。また、我が国は、平和国家としての立場から、国際連合憲章を遵守しながら、国際社会や国際連合を始めとする国際機関と連携し、それらの活動に積極的に寄与している。こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない。

一方、日本国憲法の施行から 67 年となる今日までの間に、我が国を取り巻く安全保障環境は根本的に変容するとともに、更に変化し続け、我が国は複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している。国際連合憲章が理想として掲げたいわゆる正規の「国連軍」は実現のめどが立っていないことに加え、冷戦終結後の四半世紀だけをとっても、グローバルなパワーバランスの変化、技術革新の急速な進展、大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発及び拡散、国際テロなどの脅威により、アジア太平洋地域において問題や緊張が生み出されるとともに、脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている。さらに、近年では、海洋、宇宙空間、サイバー空間に対する自由なアクセス及びその活用を妨げるリスクが拡散し深刻化している。もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している。

政府の最も重要な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることである。我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、政府としての責務を果たすためには、まず、十分な体制をもって力強い外交を推進することにより、安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し、脅威の出現を未然に防ぐとともに、国際法にのっとって行動し、法の支配を重視することにより、紛争の平和的な解決を図らなければならない。

さらに、我が国自身の防衛力を適切に整備、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼及び協力関係を深めることが重要である。特に、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために、日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、我が国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。

5月15日に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」から報告書が提出され、同日に安倍内閣総理大臣が記者会見で表明した基本的方向性に基づき、これまで与党において協議を重ね、政府としても検討を進めてきた。今般、与党協議の結果に基づき、政府として、以下の基本方針に従って、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な国内法制を速やかに整備することとする。


1 武力攻撃に至らない侵害への対処

(1)我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していることを考慮すれば、純然たる平時でも有事でもない事態が生じやすく、これにより更に重大な事態に至りかねないリスクを有している。こうした武力攻撃に至らない侵害に際し、警察機関と自衛隊を含む関係機関が基本的な役割分担を前提として、より緊密に協力し、いかなる不法行為に対しても切れ目のない十分な対応を確保するための態勢を整備することが一層重要な課題となっている。

(2)具体的には、こうした様々な不法行為に対処するため、警察や海上保安庁などの関係機関が、それぞれの任務と権限に応じて緊密に協力して対応するとの基本方針の下、各々の対応能力を向上させ、情報共有を含む連携を強化し、具体的な対応要領の検討や整備を行い、命令発出手続を迅速化するとともに、各種の演習や訓練を充実させるなど、各般の分野における必要な取組を一層強化することとする。

(3)このうち、手続の迅速化については、離島の周辺地域等において外部から武力攻撃に至らない侵害が発生し、近傍に警察力が存在しない場合や警察機関が直ちに対応できない場合(武装集団の所持する武器等のために対応できない場合を含む。)の対応において、治安出動や海上における警備行動を発令するための関連規定の適用関係についてあらかじめ十分に検討し、関係機関において共通の認識を確立しておくとともに、手続を経ている間に、不法行為による被害が拡大することがないよう、状況に応じた早期の下令や手続の迅速化のための方策について具体的に検討することとする。

(4)さらに、我が国の防衛に資する活動に現に従事する米軍部隊に対して攻撃が発生し、それが状況によっては武力攻撃にまで拡大していくような事態においても、自衛隊と米軍が緊密に連携して切れ目のない対応をすることが、我が国の安全の確保にとっても重要である。自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合を想定し、自衛隊法第 95 条による武器等防護のための「武器の使用」の考え方を参考にしつつ、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動(共同訓練を含む。)に現に従事している米軍部隊の武器等であれば、米国の要請又は同意があることを前提に、当該武器等を防護するための自衛隊法第95条によるものと同様の極めて受動的かつ限定的な必要最小限の「武器の使用」を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする。


2 国際社会の平和と安定への一層の貢献

(1)いわゆる後方支援と「武力の行使との一体化」

ア いわゆる後方支援と言われる支援活動それ自体は、「武力の行使」に当たらない活動である。例えば、国際の平和及び安全が脅かされ、国際社会が国際連合安全保障理事会決議に基づいて一致団結して対応するようなときに、我が国が当該決議に基づき正当な「武力の行使」を行う他国軍隊に対してこうした支援活動を行うことが必要な場合がある。一方、憲法第9条との関係で、我が国による支援活動については、他国の「武力の行使と一体化」することにより、我が国自身が憲法の下で認められない「武力の行使」を行ったとの法的評価を受けることがないよう、これまでの法律においては、活動の地域を「後方地域」や、いわゆる「非戦闘地域」に限定するなどの法律上の枠組みを設定し、「武力の行使との一体化」の問題が生じないようにしてきた。

イ こうした法律上の枠組みの下でも、自衛隊は、各種の支援活動を着実に積み重ね、我が国に対する期待と信頼は高まっている。安全保障環境が更に大きく変化する中で、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために、自衛隊が幅広い支援活動で十分に役割を果たすことができるようにすることが必要である。また、このような活動をこれまで以上に支障なくできるようにすることは、我が国の平和及び安全の確保の観点からも極めて重要である。

ウ 政府としては、いわゆる「武力の行使との一体化」論それ自体は前提とした上で、その議論の積み重ねを踏まえつつ、これまでの自衛隊の活動の実経験、国際連合の集団安全保障措置の実態等を勘案して、従来の「後方地域」あるいはいわゆる「非戦闘地域」といった自衛隊が活動する範囲をおよそ一体化の問題が生じない地域に一律に区切る枠組みではなく、他国が「現に戦闘行為を行っている現場」ではない場所で実施する補給、輸送などの我が国の支援活動については、当該他国の「武力の行使と一体化」するものではないという認識を基本とした以下の考え方に立って、我が国の安全の確保や国際社会の平和と安定のために活動する他国軍隊に対して、必要な支援活動を実施できるようにするための法整備を進めることとする。

 (ア)我が国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない。

 (イ)仮に、状況変化により、我が国が支援活動を実施している場所が「現に戦闘行為を行っている現場」となる場合には、直ちにそこで実施している支援活動を休止又は中断する。


(2)国際的な平和協力活動に伴う武器使用

ア 我が国は、これまで必要な法整備を行い、過去 20 年以上にわたり、国際的な平和協力活動を実施してきた。その中で、いわゆる「駆け付け警護」に伴う武器使用や「任務遂行のための武器使用」については、これを「国家又は国家に準ずる組織」に対して行った場合には、憲法第9条が禁ずる「武力の行使」に該当するおそれがあることから、国際的な平和協力活動に従事する自衛官の武器使用権限はいわゆる自己保存型と武器等防護に限定してきた。

イ 我が国としては、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために一層取り組んでいく必要があり、そのために、国際連合平和維持活動(PKO)などの国際的な平和協力活動に十分かつ積極的に参加できることが重要である。また、自国領域内に所在する外国人の保護は、国際法上、当該領域国の義務であるが、多くの日本人が海外で活躍し、テロなどの緊急事態に巻き込まれる可能性がある中で、当該領域国の受入れ同意がある場合には、武器使用を伴う在外邦人の救出についても対応できるようにする必要がある。

ウ 以上を踏まえ、我が国として、「国家又は国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場しないことを確保した上で、国際連合平和維持活動などの「武力の行使」を伴わない国際的な平和協力活動におけるいわゆる「駆け付け警護」に伴う武器使用及び「任務遂行のための武器使用」のほか、領域国の同意に基づく邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動ができるよう、以下の考え方を基本として、法整備を進めることとする。

 (ア)国際連合平和維持活動等については、PKO参加5原則の枠組みの下で、「当該活動が行われる地域の属する国の同意」及び「紛争当事者の当該活動が行われることについての同意」が必要とされており、受入れ同意をしている紛争当事者以外の「国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場することは基本的にないと考えられる。このことは、過去 20 年以上にわたる我が国の国際連合平和維持活動等の経験からも裏付けられる。近年の国際連合平和維持活動において重要な任務と位置付けられている住民保護などの治安の維持を任務とする場合を含め、任務の遂行に際して、自己保存及び武器等防護を超える武器使用が見込まれる場合には、特に、その活動の性格上、紛争当事者の受入れ同意が安定的に維持されていることが必要である。

 (イ)自衛隊の部隊が、領域国政府の同意に基づき、当該領域国における邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動を行う場合には、領域国政府の同意が及ぶ範囲、すなわち、その領域において権力が維持されている範囲で活動することは当然であり、これは、その範囲においては「国家に準ずる組織」は存在していないということを意味する。

 (ウ)受入れ同意が安定的に維持されているかや領域国政府の同意が及ぶ範囲等については、国家安全保障会議における審議等に基づき、内閣として判断する。

 (エ)なお、これらの活動における武器使用については、警察比例の原則に類似した厳格な比例原則が働くという内在的制約がある。


3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置

(1)我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。

(2)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第 13 条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。

(3)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。我が国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなお我が国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

(4)我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。

(5)また、憲法上「武力の行使」が許容されるとしても、それが国民の命と平和な暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然である。政府としては、我が国ではなく他国に対して武力攻撃が発生した場合に、憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続と同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする。


4 今後の国内法整備の進め方

これらの活動を自衛隊が実施するに当たっては、国家安全保障会議における審議等に基づき、内閣として決定を行うこととする。こうした手続を含めて、実際に自衛隊が活動を実施できるようにするためには、根拠となる国内法が必要となる。政府として、以上述べた基本方針の下、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする法案の作成作業を開始することとし、十分な検討を行い、準備ができ次第、国会に提出し、国会における御審議を頂くこととする。

                               (以 上)

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木村草太准教授(憲法)の月刊誌「潮」9月号7・1閣議決定寄稿文を批判する(下)

2014-10-06 13:52:34 | Weblog
<関連記事クリック>
2014/10/01
木村草太准教授(憲法)の月刊誌「潮」9月号7・1閣議決定寄稿文を批判する(上)
2014/10/04
木村草太准教授(憲法)の月刊誌「潮」9月号7・1閣議決定寄稿文を批判する(中)
2014/10/06
木村草太准教授(憲法)の月刊誌「潮」9月号7・1閣議決定寄稿文を批判する(下)



この寄稿文は400字詰12枚ほど、ページ数で6ページ分です。前半で字数の55%を費やして、「七・一閣議決定」が従来の政府解釈の枠内であると判定しています。そして残り45%の字数を、今回述べることに費やしています。これがまた前半の主張と首尾一貫していないのです。

       ----------------------------------------

 (注)囲み内の記事が寄稿文です。(略)とあるのは文間の文章省略のことです。

<7> 安倍政権の閣議決定逸脱を警戒する

 以上述べたとおり、私は「七・一閣議決定」は、従来の政府解釈どおり、個別的自衛権でも説明できる範囲内におさまっていると思いますし、この閣議決定の範囲におさまる法案が起草されていくのであれば、憲法上も問題はないと考えています。
 むしろ、これから大事になるのは、この閣議決定の限定を逸脱するような法案作りがなされないか、注視していくことです。
 (略)今後法整備をするときに、あくまで「防衛出動」の範囲でやらなければいけないということです。その範囲を超える法案が作られないように、厳しく監視していかなければなりません。


 仮に日本と関係ない場所で米軍が行う戦争に自衛隊が参加するとしたら、それは明らかに現行憲法で禁じられた集団的自衛権の行使にあたります。しかし、安倍総理とその周辺の人々は、そこまでやろうとしているのだと感じられてなりません。
 そうした暴走には歯止めをかけなければなりませんが、その際に「安倍総理のやり口は立憲主義の否定だ!」と大上段に構えた批判をしても、あまり効果がないでしょう。なぜなら、安倍総理をはじめとする政権側は「集団的自衛権の行使は合憲であり、立憲主義に反しない」と真剣に考えているはずだからです。
 では、効果的なやり方は何か。それは、集団的自衛権行使が違憲であることを、細かな憲法論議で諄々と説いていくことだと思います。


木村準教授は寄稿文の前半で、閣議決定という行為の段階では違憲合憲論議の論議の対象にならない。「七・一閣議決定」が個別的自衛権でも説明できる範囲におさまっているので、従来の政府憲法解釈に合っていると主張しました。

それなのに寄稿文の後半では、上記転載のように、安倍政権の今後の法案作りについて警戒をあらわにしています。

<寄稿文の論法整理>
木村寄稿文の論法整理してみます。

① 閣議決定という「行為」そのものは、違憲合憲論議の対象にならない。
  ※川本注 この見解はまちがいです。閣議決定は内閣法に拠る内閣の行為ですから、違憲合憲論議の対象になります。
    ↓
② 閣議決定の「内容」そのものは、違憲合憲論議の対象になる。
    ↓
③ 閣議決定後に制定される法案が、違憲合憲論議の対象になる。
    ↓
④ 「七・一閣議決定」の内容が、個別的自衛権でも説明できる範囲におさまっている。ゆえに閣議決定の内容は「合憲」と判定できる。
    ↓
⑤ しかし、安倍政権は法案作成において「七・一閣議決定」の内容から逸脱する可能性が高い。警戒するべきだ。
    ↓
⑥ それはなぜか? 安倍政権が「集団的自衛権の行使は合憲であり、立憲主義に反しない」と考えてるからだ。

<木村寄稿文の思考経過のおかしな所(1)>
前回触れたように、木村寄稿文では、「閣議決定という結果」と「閣議決定の実体」とを区分して論じています。この考え方がわかりづらい。木村寄稿文の主旨が違憲合憲のどちらに比重をかけているのか、理解するのに何回か読み返して時間がかかりました。

「閣議決定という結果」は法律作成以前であり、違憲合憲論議の対象にならない。しかしその一方で、「閣議決定の実体」である閣議決定文の内容を、従来政府解釈通りで合憲と判定しています。

閣議決定の結果とその実体である閣議決定文は不可分一体のものです。区別する意味がありません。木村准教授はそれをわざわざ区別して、別々の評価を与えています。

なぜそんな無理をするのでしょうか? 「七・一閣議決定」が合憲の内閣行為であるとするための、こじつけの理屈なのだと思います。だから、寄稿文後半部と方向性が相反するものになっています。

<木村寄稿文の思考経過のおかしな所(2)>
寄稿文後半は、安倍政権が閣議決定通りにしないかもしれない、と警戒一色になっています。閣議決定文が合憲であると判定したにもかかわらず警戒一色とは、おかしいではありませんか。

閣議決定文に先行き不安な、あるいは危険と感じる、穴とも言える表現語句がいくつもあることに、木村准教授は気づいているのでしょう。閣議決定文にそういう余地があるならば、違憲の要素を含んでいると、明らかに主張するべきではありませんか。そこを具体的に指摘し、説明して、私たちに警鐘を鳴らしてくれるのが学者の使命ではありませんか。

一方で、北朝鮮のミサイルを例にした「明白な危険」の法律的意味の解説を見れば、「七・一閣議決定」の危険性に対する木村准教授の理解がまだまだ浅いことにも気づかされます。

<8> 「明白な危険」について

 「明白」という文言はかなりきついものです。単に主観的に危険を感じるだけではなく、客観的に誰もが納得できる状況でない限り、法律上の「明白」とは見なされないのです。
 たとえば、北朝鮮がミサイル開発をしたとします。それだけでも日本にとっての危険だと感じる人もいるでしょうが、そのレベルでは「明白な危険」とは法的には認定できません。何のための開発なのかが、客観的には不明確だからです。
 北朝鮮が日本への攻撃意思を示したうえで、発射基地にミサイルを据えて燃料を入れたという段階なら、誰が見ても納得できる因果経過を説明できるでしょう。そのレベルになって初めて「明白な危険」と言えるのです。


ミサイル開発という状況をもって、明白な危険と言えないのは当然のことです。①日本への攻撃意思を示し、②発射基地にミサイルを据えて燃料を入れた、という二つの条件が揃ったら「明白な危険」の条件を満たす。

この「明白な危険」の条件としてほかにもいろいろな考え方があります。木村准教授は解説材料としてより単純化して示したことでしょうが、しかし日本への攻撃意思を示さないで、戦争が始まることを考えに入れておくのは常識の部類です。歴史上の国境紛争という名の戦争は、明白な攻撃意思表明がないのに、始まってしまっています。わが国日本自身にそういう戦争を手がけた経験があります。

戦いの原則の一つに「先制攻撃」というのがあります。今の日本ではそれは禁じられていますが、政府の関係部署や自衛隊では必ず研究しているでしょう。今すぐにでなくとも、5年後、10年後のうちに「明白な危険」の定義を変えられてはたまりません。

仮に自衛隊の戦術家たちに「明白な危険」とは何かと問うならば、私たちの考え及ばない数々の想定事例を示してくれるでしょう。それに外交上、政治上、憲法上の観点を考え合わせてこそ、「明白な危険」とはどういうものかの姿が見えてくるでしょう。この言葉の定義にはどんな状況が考えられるのか十二分以上に想像力を働かせることが必要だと思います。

<9> 細かな技術的解釈と政権側に迎合的な姿勢
木村准教授のこの寄稿文では、法的な側面からの無意味と思われるような細かな技術的解釈が特徴的です。もう一つ明らかなのは、政権側と争いたくないという取り組み姿勢です。前半のわかりづらい立論、前半と後半の論調の分裂は、この二つに起因するとしか考えようがありません。

テレビ解説の多くは、政論や世論が分裂している場合に、政権側や世論の流れに迎合的です。若く、これからを期待したい新進気鋭の人といえどもこういう傾向が強いことに変わりはありません。また、そういうタイプだからこそ、常連的コメンテーターとして、テレビから呼んでもらえるのかもしれません。こういう新進気鋭の人たちが、この後、人々の側に立って大成していってくれることを願っています。

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<私のアピール>

2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則の緩和、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。第2次大戦後の日本において安倍政権は最も危険な政権です。

安倍内閣打倒の機運を盛り上げていきましょう。与党であれ野党であれ、安倍首相と同じ考えの人、同じ路線の人を選挙で落としましょう。


コメント

木村草太准教授(憲法)の月刊誌「潮」9月号7・1閣議決定寄稿文を批判する(中)

2014-10-04 11:14:52 | Weblog
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私たちの憲法には、私たちに幸せな生活を保障したいという気持ちがいっぱい詰まっています。基本的人権とか自由とか平和とか……。

月刊誌「潮」9月号に「『七・一閣議決定』を読む」という一文を寄稿した憲法学者、木村草太准教授(首都大学東京)は「実務的」憲法学者ではないかと思います。

経済学者には、社会思想や経済思想など経済現象の基底にある人間の営みに発想の起点を置いている人がいます。一方で、日銀の公定歩合をどうするかという金利政策や、円安傾向をどう誘導するかという外国為替政策など、今年来年の経済動向を研究の対象にしている人もいます。常に、現在進行中の経済現象をあるがままに見つめて、そこからスタートしようという立場です。後者を、私は仮に、「実務的」経済学者と呼びます。

今の憲法は生まれるときから現在に至るまで、政治にもまれ続けてきました。憲法環境としての政治状況に重きを置いて憲法を論じる学者を、私は、「実務的」憲法学者と呼びます。そのうえ木村准教授は、細部に法技術的解釈にこだわりを見せています。このタイプは、生起変動をつづける政治状況に足場を置いている間に、憲法の気持ちから外れていく傾向があるのではないかと、私は危惧しています。

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 (注)囲み内の記事が寄稿文です。(略)とあるのは文間の文章省略のことです。

<1> 予断について

 さる七月一日に安倍晋三内閣が行った、集団的自衛権をめぐる閣議決定については、極端な報道が散見されます。「この閣議決定で、明日にでも外国に対する武力行使が可能になってしまった」と危機感を煽るような論調です。しかし、これは極端であって、「七・一閣議決定」の意味が理解されていないと感じています。


寄稿文冒頭が上の囲みの文章です。閣議決定が終わるとすぐに、その決定に従って何かを実施するのだと思いこんで、報道しているマスコミは無いでしょう。行政が常に何かの法律に準拠して執り行われていることは、公務員なら誰でも知っています。そういうものだということを知っている人は、私を含めて多くいます。

閣議決定の意味を知らないのではなく、大正デモクラシーから満州事変、日中戦争、太平洋戦争に至ったわが国の歴史に学べばこそ、二度とくりかえしはしないと、先行きを心配しているのです。若い憲法学者がそれをもって無知であると見るのは、思い上がった予断であると思います。


<2> 「七・一閣議決定」の意味

 今回の閣議決定は何のためにされたのかといえば、要するに「法案を作成する準備をした」ということです。
 国家権力を行使するには、法律の根拠が必要です。集団的自衛権を部分的にでも行使できるようにするためには、その根拠となる法律を作らねばなりません。


閣議決定だけでは、まだ法律ができていないので実効性がない。「法律を作りますよ」というだけでは、違憲の行為でも合憲の行為でも、なんでもありません――と主張しています。閣議決定そのものは憲法判断の対象になる行為ではない、と言うのでしょう。おかしな話です。まちがいです。

内閣法をここに見てみます。

第一条 内閣は、国民主権の理念にのっとり、日本国憲法第七十三条 その他日本国憲法 に定める職権を行う。
第四条 内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。

閣議によって内閣の職権を行うことができるのは、その権能が内閣法によって付与されているからです。法律はすべて合憲の範囲内において認められます。閣議決定は内閣の職権行為であり、内閣の行為は必ず合憲の範囲でなければいけません。ですから閣議決定という行為は、憲法判断の対象になる行為です。

胸中にいろいろな考えを抱き、政権内部でいろいろな案を練り、議論をするという段階は、内閣の行為ということになりません。しかし閣議決定という行為は内閣の行為であり、憲法の枠内でなければならないのです。

<3> 憲法を尊重し擁護する義務

 ところで、内閣および官僚は、憲法九十九条の「憲法尊重擁護義務」を負っています。あたりまえのことですが、内閣とその下部機関である行政官僚は、最高法規である憲法に違反する行政活動をしてはいけません。


憲法第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

上の文に続いて木村准教授は、集団的自衛権の行使を違憲とするこれまでの政府見解に従うならば、集団的自衛権を行使できるようにする法律を起草すること自体が憲法違反に問われる、としています。もっともなことで異論はありません。が、続く次の段で寄稿文は転調します。


<4> 閣議決定で憲法解釈を示すこと

 ところがいまの内閣は、国際社会における安全保障環境が変化したので、現行憲法下でも集団的自衛権の行使は部分的に許容されるとしています。 (略)ともかく彼らなりの憲法解釈を示して、「この線で法案を起草しましょう」という意思表示をしたわけです。
 閣議決定で憲法解釈を示すこと自体は、べつにおかしいことではありません。(略)
 ただ、法解釈が分かれた場合にそれを最終的に確定する権限は裁判所にあります。ですから内閣は、(閣議決定に基づく法律ができた)あとで裁判になったとしても、裁判所に否定されないような解釈をしておく必要があります。
 つまり、七・一閣議決定は「裁判所に否定されないような解釈」を事前に提示するという性質のものと捉えることができるでしょう。


「安全保障環境が変わったから」ということそのものは解釈変更の政治的動機であるけれども、憲法解釈を変える要件にはなり得ないと思います。「法の安定性」という法治国家の根本に関わることですから、「彼らなりの解釈」として軽く流して容認することには抵抗があります。

閣議決定の内容について、違憲提訴があっても憲法判断に耐えられるような憲法解釈であれば、妥当である――として、木村見解は7・1閣議決定を合憲と判断しています。彼が憲法判断に耐えられる憲法解釈であると認める主要な根拠は、後に述べるように、個別的自衛権ですべて説明可能な集団的自衛権に限定されているというところにあります。

そして、閣議決定そのものは、決定の内容のいかんを問わず憲法判断の対象外であるけれども、閣議決定の内容は憲法判断に耐え得るようなものでなければいけない――としています。

ここで木村准教授の立場が、安倍政権の側に立っていることが明らかになりました。私は反対の立場ですが、それはさしおきます。

私が違和感を覚えることがあります。閣議決定という行為そのものは憲法判断の対象外であるが、閣議決定の内容については合理的な憲法解釈に基づく必要があるとする立論のし方です。法律が成立して初めて憲法判断の対象となるという、細かな立て分けへの職人的こだわりです。そのうえ、先に述べたように、この立論は明らかにまちがっています。

しかもこの立て分けでいけば、法律ができる前に閣議決定の結果を批評することに対して、法律ができる前の批評・批判は不適切であり、法律ができた後に批評・批判をしてくださいということになります。木村准教授の論理は、閣議決定についての批評・批判封じにつながります。それは、議論の最中であったり、検討が始まったり、検討されていなかったり、さまざまな政治過程についての批評・批判を封じることにつながっていきます。とんでもないことです。

こうした立論につづいて次の説明がなされます。


<5> できた法律の憲法判断は裁判所で

 また、できた法律の運用をめぐって具体的な損害が生じ、裁判が起こされれば、裁判所で憲法判断がなされます。


閣議決定の次には法律が制定され、それが実際に動き始めて不満があれば、違憲だよと裁判所に提訴され、裁判所が憲法判断を下す――という流れの説明です。

これは、これまでの寄稿文の経過から見れば、違憲合憲の憲法判断は裁判所に任せておきなさいと言っているように思えます。なにかしら、素人には違憲合憲の議論は無理だよと、木村准教授の天の声が聞こえそうな感じがします。素人であろうがなんであろうが、稚拙であろうがなんであろうが、かまびすしく憲法論議の輪を世論に広げていきましょう。世論が沸騰してこそ、裁判所の冷たい心にも響くというものです。


<6> 個別的自衛権で説明できる武力行使

 憲法学者として七・一閣議決定の中身を見ると、「従来の解釈と完全に整合している」と読むことができる文章にはなっていると思います。公明党議員の方々が、与党協議でかなり頑張ったということでしょう。
 つまり、集団的自衛権という言葉は使っているものの。実際には個別的自衛権で説明できる武力行使に限定された内容になっているのです。


7・1閣議決定は、集団的自衛権を容認しているとはいえ、個別的自衛権でも十分に説明できる制限を加えている。だから、従来の政府憲法解釈の枠内におさまっていて違憲解釈ではない、という主張です。

この問題について野党が全く無力であったという政治状況にあって、与党である公明党が抵抗を示したのは良しとします。しかし、自衛隊出動要件の転回点となる7・1閣議決定の重要性から見れば、政権内のさざ波に過ぎません。さらに、公明党が自民党に抵抗したことと、閣議決定が違憲か合憲かという議論とは、関係のない別の事柄です。

しかしここで、「個別的自衛権でも説明できる武力行使」を従来の政府憲法解釈の枠内というならば、「集団的自衛権」という語句を入れる必要がありません。なぜ今、わざわざ多くの反対をふりはらって、政府が新しい憲法解釈を出すのでしょうか? そういう方面からの憲法解釈の考察がされていません。安倍政権はなぜ、「集団的自衛権」という語句を差し入れることに、特別の執心を最後まで示したのでしょうか?


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<私のアピール>

2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則の緩和、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。第2次大戦後の日本において安倍政権は最も危険な政権です。

安倍内閣退陣の機運を盛り上げていきましょう。与党であれ野党であれ、安倍首相と同じ考えの人、同じ路線の人を選挙で落としましょう。

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木村草太准教授(憲法)の月刊誌「潮」9月号7・1閣議決定寄稿文を批判する(上)

2014-10-01 13:57:22 | Weblog
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憲法学者である木村草太准教授(首都大学東京)が月刊誌「潮」9月号に「『七・一閣議決定』を読む」という一文を寄稿しています。こういう政権擁護、与党擁護の理屈もあるのかと感心し、これを批判しておく必要があると考えました。 ※「談」と注意書きがあるので、口述が元です。

木村准教授の寄稿は法律の技術職人といった風で、一読したところ緻密な立論を重ねているように見えます。そのおかげで、7・1閣議決定を合憲と判断しているのか、違憲と判断しているのか、一読してわかりづらいところがあります。これは元が口述だからというよりも、論理が迷走しているからだと考えます。彼の論旨に二面性があるからです。

論旨は、前半で、閣議決定という行為そのものは内閣の通常の行為に過ぎず、7・1閣議決定も通常の内閣の行為の範囲内であり、問題はないとしています。最高裁が違憲判決を避けて門前払いするのと同じやり方で、自公与党と安倍政権にお墨付きを与えたわけです。

そして後半では、今後制定される法律が合憲であるか違憲であるかの分かれ目であるとして、読者に注意を喚起しています。ここで、学者としての自分の良心を守る算段をしています。今後制定される関連法の行く末によっては、「だから私はこう言っていた」と逃げることができる論旨です。

寄稿文がこのような迷走ぶりを見せる結果になったのはなぜでしょう。

世の中は強いものに抵抗することが難しいものです。給料取りは上司に弱く、社長であってもお得意先には頭が上がりません。学者・評論家であっても、強いものに弱い人の方が、そうでない人よりはるかに多い。単純にそれが一つ。

もう一つは、細部の法律論的分析にこだわり過ぎる職人性です。このために7・1閣議決定に執心した政権側の意図の分析が推測になるため、意識的に切り捨てているようにも見えます。

結果、彼の議論は政権側の進行にエールを送ることになります。彼はNHKにも出ていますし、与党議員との人脈も豊富なようですから、政権側を刺激しないような立論をし、同時に憲法学者としての良心を守る方途を選んだと、私なんぞは見ているわけです。誠実に見える学者にも注意が必要です。

次回に、月刊誌「潮」9月号の木村准教授寄稿文を批判したいと思います。

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<私のアピール>

2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則の緩和、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。第2次大戦後の日本において安倍政権は最も危険な政権です。

安倍内閣退陣の機運を盛り上げていきましょう。与党であれ野党であれ、安倍首相と同じ考えの人、同じ路線の人を選挙で落としましょう。



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