卒業高校の同期生が数年前に出版した「『日出処の天子』は誰か」を読み始めたところ、法隆寺絡みのところで横道にそれてしまいました。
(注)日出処の天子とは聖徳太子のことですが、聖徳太子は諡号 (しごう) で、生前の
称号は厩戸皇子。帝国書院のホームページ (←クリック) では、くわしい解説
付きで「厩戸王」を採用しています。
聖徳太子 (厩戸王) 、法隆寺となれば、梅原 猛哲学者 (故人) 著書「隠された十字架 ─法隆寺論─ 」のことを思い出します。本書の新潮社単行本発売1972/5/1、改版新潮文庫発売1981/4/28ですから、わたしが本書のことを知ったのは改版新潮文庫の発売人気が話題になってからのことだったと記憶しています。
わたしは書評を読んでも、何の感興もわかなかった。そもそも書名の「十字架」というのが気に入らなかった。古事記・日本書紀に始まる古代大和朝廷内の武力騒乱殺人事件という話題に、キリスト教イメージの「十字架」という書名はきちがい沙汰だという印象でした。
そのうえ、本のテーマは「怨霊」と「たたり」です。古代のことは文字文献も発掘物証も、実に少ない。代々の研究者たちがその寡少な事実を積み重ねて積み重ねて、歴史を読み解いていく。どんなことでもどんな人生でも、そういう地道な姿がわたしの好みです。
書名の十字架ということば。殺された人たちの怨霊、たたり、というテーマ。多くの人が不慮の死を遂げ、文献や物証が少なくてわからないことがたくさんあって、怨霊・たたりというテーマに合うような推論の根拠を集める。わたしは梅原猛哲学者に、地道な学者でなく、向こう受けねらいの派手な人を直感しました。
そんなところへ、故西岡常一法隆寺棟梁の「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」(わたしのは小学館ライブラリー1991.8.1.初版1刷、初出は小学館1988年3月刊)に出会いました。これはもう、わたしにとっては 学ぶところ多く、折々に読みかえす愛読書になって大事にしております。
法隆寺西伽藍配置図
〇〇 五重の塔は仏舎利の塔婆である 法隆寺棟梁 西岡常一「木に学べ」P91
五重の塔がどんなものか、わかりますか? これは塔婆 (とうば) なんです。われ
われ俗人も、人が亡くなるとの塔婆をたてますな。あれと同じです。お釈迦さまの舎利 (仏陀の遺骨のこと) を埋めて、その上にたてた塔婆が五重塔なんですな。
塔婆を長くもたせるために三重、五重の屋根でおおうているんです。ですから法隆寺でも薬師寺でも、古い時代の塔はちゃんと心柱の礎石の舎利孔に仏舎利が納めてあって、そこから塔婆がたっているんです。塔の形はいろいろあります。三重も五重もありますけど、塔の本体はあの心柱です。
この下に、お釈迦さまの骨があるぞというしるしなんですな。
実際に心柱の下に、舎利を入れてある容器があるんです。徳利型の小さなすきとおった瑠璃の壺に入ってますな。
われ俗人も、人が亡くなるとの塔婆をたてますな。あれと同じです。お釈迦さまの舎利 (仏陀の遺骨のこと) を埋めて、その上にたてた塔婆が五重塔なんですな。
塔婆を長くもたせるために三重、五重の屋根でおおうているんです。ですから法隆寺でも薬師寺でも、古い時代の塔はちゃんと心柱の礎石の舎利孔に仏舎利が納めてあって、そこから塔婆がたっているんです。塔の形はいろいろあります。三重も五重もありますけど、塔の本体はあの心柱です。
この下に、お釈迦さまの骨があるぞというしるしなんですな。
実際に心柱の下に、舎利を入れてある容器があるんです。徳利型の小さなすきとおった瑠璃の壺に入ってますな。
「お釈迦さまの骨があるぞ」というのは、昔々の時代劇、水戸黄門の印籠をかざすようなものですね。怨霊なんぞと邪まなこと思うことなかれ、ということでしょう。
〇〇 西院伽藍の中門 法隆寺棟梁 西岡常一「木に学べ」P102、103
中門を見てもらいますと、ふしぎな構造をしておるんですな。門の真ん中に柱が立っているんです。左右に入口がふたつあります。この柱を、梅原猛さんは、「聖徳太子の怨霊が伽藍から出ないようにするため、中門の真ん中に柱を置いた怨霊封じだ」というんです。ところが、そんなことはないんです。呪いとかそんなものはないんです。呪いとかそんなものは、仏法にはありません。仏教は人の世の平和を考えるもんです。仏教というもんを本当に理解せんと、ああいうことになってしまう。
わたしは、こう説明しとるんです。金剛力士 (仁王) は片方が赤く、片方が黒いでしょう。人間は煩悩があるから黒い。こちらから入るわけですな。それで中に入って仏さんに接して、ちゃんと悟りを開いて赤くなって出てくるということを表現してある、と思ってるんです。正面の左側が入口で、右側が出口ですな。
といっても、こうした門は、本来は一般の人たちが通るもんじゃないんです。天皇から派遣された勅使がたったときとか、公式な要件のときだけ、使われたもんでしょうな。
建造物を呪いだとか、そんなふうに考えてはいけません。建てるわたしらでも、平和を祈って仏法が広まるように思って、建てとるんですから。
わたしは、こう説明しとるんです。金剛力士 (仁王) は片方が赤く、片方が黒いでしょう。人間は煩悩があるから黒い。こちらから入るわけですな。それで中に入って仏さんに接して、ちゃんと悟りを開いて赤くなって出てくるということを表現してある、と思ってるんです。正面の左側が入口で、右側が出口ですな。
といっても、こうした門は、本来は一般の人たちが通るもんじゃないんです。天皇から派遣された勅使がたったときとか、公式な要件のときだけ、使われたもんでしょうな。
建造物を呪いだとか、そんなふうに考えてはいけません。建てるわたしらでも、平和を祈って仏法が広まるように思って、建てとるんですから。
梅原怨霊哲学者のことを、「仏教というもんを本当に理解せんと、ああいうことになってしまう」と言い切る勇敢さは、痛快であります。
〇〇 西院伽藍 東の廻廊は西の廻廊より1間≒1.82m長いというバランス
法隆寺棟梁 西岡常一「木に学べ」P103
(建造物は)バランスや構造的なことを考えて建てておるんです。そのバランスということで言いますと、この東と西の廻廊ですが、中門を中心にして、東と西の廻廊は同じ長さじゃないんでっせ。ここの伽藍は、五重塔と金堂を囲んで廻廊がまわってます。ところが、五重塔と金堂は同じ大きさじゃありませんな。金堂の方が広い。今、中門から講堂まで石が敷かれてますが、この道を中心にすると、どうしても金堂の方が広くなる。左右を同じにしたら塔の方は広く、堂の方がせまくなる。そういう感じを起させないように、どうしたかいいましたら、東の廻廊を1間 (≒1.82m)だけ長くしたんです。
こういわれましたら「なるほどそうか」と思いますが、ほとんどの人が気がつきません。気がつかないということは不自然やないということですな。長さを違わして、バランスをとってあるが、それが気にならんということです。
こういわれましたら「なるほどそうか」と思いますが、ほとんどの人が気がつきません。気がつかないということは不自然やないということですな。長さを違わして、バランスをとってあるが、それが気にならんということです。
法隆寺の中門の配置が不自然で怨霊絡みと言うなら、こちらの廻廊の長さもアンバランスになっています。でもこれは視点の異なる立場からバランスを取っています、と西岡棟梁が言っています。
西岡法隆寺棟梁はこの点を訴えたかったのではないでしょうか。