ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

「楼蘭」 井上靖

2019-03-27 23:27:32 | 読書

「楼蘭」西域に楼蘭と呼ばれる小さい国があった。漢の武帝により張騫(ちょうけん)が大月氏に派遣された。その途中で見つかった。楼蘭はやがて都を移さねばならなくなった。その先が鄯善である。国民が皆鄯善に移る日、一人の姫が自刃した。その遺体は岡の上に埋葬された。鄯善人は当初、楼蘭こそは自分達が帰るべき国だと思い続けた。しかしふるさとの楼蘭は匈奴に占領され、鄯善自体が匈奴によって幾度の侵攻を受ける。時には漢と組み、匈奴と組み、平穏な時は訪れなかった。やがて平和が訪れ、楼蘭に向かった鄯善人だが、砂に埋もれてしまいそれが楼蘭なのかわからなくなっていた。目印は近くにあったロブ湖だが、それすら無くなっていた。それがなければ確証がない。そうして楼蘭は忘れ去られていった。歴史上存在が確認されたのは50年ほどしかないという。

その後1900年に入ってヘディンによって楼蘭が特定された。ロブ湖は1500年の周期で南北に位置を変えるため、それまで場所を特定できなかったのだ。ヘディンの4度目の探索の時、丁度ロブ湖の変移の真っ只中で、水の流れが戻りつつあるところだった。そして岡の上の墓の発掘が行われ、若い女性のミイラが発見されたのだった。
「洪水」索勱(さくばい)は匈奴との戦いの前衛基地建設のため西域に派遣された。途中でアシャ族の女から竜都という一夜にして水に沈んだ町の話を聞く。やがて結婚同様の生活を始める。ある時クム河の対岸に匈奴が集まってきているという情報があり、すぐさま軍を向ける。到着したときにかねてからの豪雨のため河は増水していた。対岸にわたることはもはや困難。重臣の提案では、古来雨を静めるには女を生け贄にするといういわれがあった。アシャ族の女を生け贄にしろと言うことだ。しかし索勱はそれはできなかった。索勱はこの洪水は悪魔の仕業であるとし、悪魔に立ち向かうことで静めようとした。そして数日の戦いの後洪水を静めることが出来た。そして匈奴を追い返すことにも成功した。匈奴から奪ったクム河の畔に町を建設した。1年後、漢から任務解除の使いがくる。しかし拒否する。アシャ族の女は喜ぶ。だが次に漢から使いが来たとき、代わりの人員が大勢やって来たため、従って帰ることにした。アシャ族の女を連れて帰りたいが、漢の町で馴染めるだろうかという不安もある。帰る日、またもや豪雨のため河は増水。以前のように河に戦いを挑んだが水は静まらない。今回は女を生け贄にしようという案が頭に浮かぶ。そして残酷にもそれを実行してしまう。一瞬増水が収まった。次の瞬間遠くから黄色の濁流が押し寄せてきた。黄色い洪水だ。それがクム河の畔に作った町はおろか、自分達をも飲み込むことを悟った。その時アシャ族の女の竜都の話を思い出す。残酷な話であり、前作の楼蘭同様、西域特有の一夜で町が消えたり、湖が移動したりという不思議な現象に驚きを感じる。
「異域の人」講談社文芸文庫で読んだが再読。前2作と読み進めてきて、同じ地名、同じ人物が少しずつ位置を変えて登場する。連作のようにも読むことができる。班超の伝記のような様相なのだが、この時期の西域はやはり国同士の関係が目まぐるしく変化する。昨日の味方は今日の敵。そうして班超は常に戦いを余儀なくされている。かつては自国、漢からも、漢から遠く遠征してるのをいいことに仕事をサボっていると疑われ、そうでない証拠として妻を離縁し漢に帰した。その後腹心である趙が異人の女を妻にしているのを悪い噂が広まる。潔白であるが、噂を静めるには女を国に帰すしかないと、班超と同じ運命を辿らせることになった。ところが女は途中、匈奴によって殺されてしまう。悲観した趙は逃亡した。敵方に寝返ったという噂もある。長い任務のあと漢に帰った班超だが、地元の子供から胡人と言われる。長年の西域の任務のため、容貌が西域のそれに変化していたのだった。歩いていると自分とよく似た雰囲気の老人にあった。それはもしかして逃亡した趙ではなかったかと思うのであった。班超の激動の人生と、仲間が一人ずついなくなっていく寂寥感。最後に、一番の腹心に再会したかもしれないという微かな希望。
「狼災記」前作からの流れがいい。時代は遡って秦の始皇帝の時代だが、匈奴に悩ませられているのはこの時代もそうだった。初めに史実が語られる。将軍の蒙恬は匈奴との戦いで大きな働きを続けるが、始皇帝が崩じたあと、李斯と趙高の策略によって、始皇帝の次子である胡亥を立て、偽の勅書により長子扶蘇と蒙恬は自死させられる。なおこれがもとで、その後間もなく秦は滅びてしまう。ここから創作が始まる。蒙恬を尊敬していた陸沈康は蒙恬が不可解な死を遂げた今、辺境の地で匈奴と戦うことに意味を見いだすことができなくなった。友人の張安良から、慰労のため獣皮と羊肉が送られてきたものの、秦に帰ることを決意。しかし折り悪く雪が深くなり進むことが困難になる。そこである小さな集落に宿を借りることにした。そこで死臭のする女と体を交える。この種族は7回交わると狼に変貌してしまうことを知らされる。6日目に集落を去るべきと思った陸沈康は出ていくが、思いを断ちきれず一人で集落に戻る。翌朝目覚めた陸は女と共に狼に変貌していることに気づく。その後行方は知れない。数年後張安良が砂漠を進んでいると、ひとつがいの狼と出会う。狼は人の言葉をしゃべった。もちろん狼は変貌してしまった陸沈康だ。あまりに懐かしさに人間に少し返ったのだ。しかし、やがて狼としての心が戻ってくる。そして結末は。陸沈康と女の会話が「蒼き狼」っぽくて、井上靖らしさが味わえる。結局本題は非現実的な怪奇譚だが、独特の寂寥感があってしみじみする。何か一度読んだことがあるかと既視感があったり、これは映画にしても面白いのではないかと思っていたら、実は映画化されている。オダギリ・ジョー出演の「ウォーリアー&ウルフ」である。しかも、見ていた。美しい映像だったのは記憶している。2009年の映画なのでかなり前の映画だ(今から10年前)
「羅刹女国」これを読むのは2回目になる。驚いたことにこれも前作から緩やかに繋がってくる。国は大きく変わって、セイロンの小島のどこかと言うことだ。しかし、女が変身すると言うところが前作からの流れに従う。ある島に漂着したソウカラ一行。そこには羅刹女が住んでいる。漂着船が来ると、夜叉の姿から美女に変身し、男たちに無心に尽くす。さて羅刹女は天空を飛翔することができ、人間に変ずることができる能力がある。ただ男が他の女に心を変えると夜叉に返り、牢に閉じ込め食べてしまうのだ。だが千日夜叉に変えないでいたらそのまま人間のままでいられるという。男たちはそれぞれ女とつがいになり、子供を産む(しかし女児しか生まれない。やがて羅刹女になるからだ)。同時に国へ帰るため船を再建する。あと3日で千日を迎えると言うとき、女たちは、人間となるか、羅刹女に戻るか、相談する。女たちは皆、人間になることを望むが。「狼災記」や井上靖の他の作品にも通じるが、魔性の女でありながら男と触れ合ううちに情が生まれ別れがたくなる。しかし、不幸な結末が待っている。この作品も話はおどろおどろしいが、女の情がいとおしく感じる。
「僧伽羅国縁起」セイロン辺りの話。玄奘三蔵の大唐西域記を題材にしているようだ。虎の父と人間の母から生まれた兄妹の話。獣として生きたくないという事で、母と兄妹は虎である父から逃げて故国に帰る。しかし虎は妻と子が恋しくて、故国を襲う。多くの兵士や猟師も犠牲になった。故国に帰ったものの父が虎であることを隠しながら貧しい生活を送っていた兄は、王の虎退治の召募に志願する。息子の小刀に対して抵抗することなく、むしろ自ら体を差し出す父。悲しい場面だ。国王からなぜ虎を退治することができたのか執拗に問いただされ、父親殺しを白状する。王は、虎を退治した報償と、父親殺しの罰を同時に与えた。それは大きな船に大量の食料と衣類を搭載するという褒美と、その船によって国外へ追放と言う罰であった。やがて島に漂着した兄はそこで子孫を作り、国を造ったと言う。当初獅子国と言われた国はその後名を変え、僧伽羅国となった。この話もそうだが、倫理に反する行いをするわけだが、因果応報と言うような説教じみた結末を見せるわけではなく、ただ心を動かしたり、印象のみを残す不思議な文章だ。
「宦者中行説」漢の王は長年いさかいを起こしている匈奴と同盟を結びたい。最も信頼している部下を匈奴に潜り込ませることで、匈奴を懐柔させようとする。そこで白羽の矢が立ったのが中行説(ちゅう こうえつ)だ。しかし、歳も歳だけに乗り気でない。そして、自分が匈奴のもとに潜り込んでも返って漢に仇なすだろうと断るが、送られてしまう。その後もしばしば匈奴は漢の辺境を襲撃する。その黒幕が中行説だった。初め不本意であった中行説であったが、匈奴に仕えると、重用してくれたため、恩ができてしまったのだ。そして今となっては夢は、匈奴の単于(ぜんう・王)をして漢を征服することであった。軍師となって度々漢を攻める機会を進言した。そして最大のチャンス、漢の現王が崩じたとき、周辺の国々が漢を落とそうと動き出す機会に乗じて、漢を攻略しようとタイミングを待っていた。ところがいざその機会が訪れたとき、既に中行説は老齢のためこの世にいなかった。匈奴は漢に制圧された。中行説が生きていたら違った展開になっていたかもしれない。
「褒姒の笑い」周の時代の話で、幽王の治世に伯陽父が10年のうちに周は滅びると予言した。貧しい父母から生まれた褒姒は美しく育つ。やがて幽王の後宮に入り、寵愛を受ける。幽王は正室と太子を廃し、代わって褒姒が正室となる。ただひとつ褒姒は決して笑顔を見せることが無い女性だ。幽王は何とか笑顔を見たいと思っていたところ、家臣から山の上の烽火を炊いてみてはどうかと提案する。通常は敵襲の合図に使うものだが、それを使って、兵士たちが松明を持って集まってくる様子を見せてはどうかと。実際集まって松明が稜線につながる様子は見事なようで、初めて褒姒は一瞬ではあるが笑顔を見せた。その後年に一回は烽火に火を入れたが、狼少年と同じである、年々兵士たちは集まらなくなった。そして褒姒の笑顔も見られることがなくなったのである。10年たったとき、本当の敵襲があったにもかかわらず、兵士は集まらず。皆が気づいた時はすでに時遅し。幽王と褒姒は逃避を余儀なくされた。その時褒姒は一番声高らかに哄笑したのだ。幽王はその後捕らえられ殺され、褒姒は行方はしれない。数々の書物には幽王は愚政を敷き、褒姒は悪女と伝えられる。史記の記述から作者が想像してみせる。幽王はそもそも滅びるよう運命づけられていて、悪魔の化身である褒姒は滅びに近づくときに限り笑顔を見せていたに過ぎない。
「幽鬼」明智光秀の本能寺の変前後の話。信長を討った報いに幻覚に悩まされ、山崎の戦いで敗れたあと、逃避の途中で野武士に殺されたと言う話と記憶していたが、波多野氏を攻略した際に、降伏をすすめ、信長に会うよう提案した。その保証に光秀は自分の母親を人質に波多野氏に預けた。ところが信長は波多野氏を処刑してしまう。その見せしめに光秀の母親母親磔にされ殺されたのだ。波多野に対しては面目を潰された上、母親も殺されたという踏んだり蹴ったり。そして本能寺の変を起こすわけだが、秀吉に敗れたあと、あまりの疲労に幻覚を見ていた。それは波多野氏の幻覚だった。光秀がかわいそうだ。
「補陀落渡海記」熊野にある補陀落寺の住職は61才を迎えたとき、渡海し補陀落に向かうという伝統があった。つまりは海に放されそこで死ぬということだ。主人公は金光坊だが、そんな伝統に釈然としない。誰が決めたわけでなく、たまたま3代前までが61才で渡海しただけだ。現世の生はこれで終わるが、補陀落で新しい生を得る。自分はまだそこまでの境地に至っていないのではないかと言うのも、渡海したくない理由のひとつだ。しかし周りから変なプレッシャーをかけられ、不本意にも渡海せざるを得なくなる。遂にその日を迎え、一人海に流される。そのまま逃げてしまえばいいのではないかと思うが、ご丁寧に箱を被され釘で密閉されてしまうのだ。と言いつつ、金光坊は箱の内側から体当たりをして箱を壊すことができた。しかしその勢いで船は転覆してしまう。舟の破片に掴まって綱切島に漂着した。その島は渡海の出発点なのだが、そこに見送りの僧たちがまだおり、助けてくれと訴える金光坊であったが、聞き入れられず再び海に放たれたのだった。しかも皮肉なことに、金光坊を最後に渡海の伝統はなくなったということだ。これは実際にあった話を作者が脚色して小説にしたものらしい。こういう自分は全く望んではいないのに、周囲からそういう方向へ持っていかれるという不可思議な現象がいつでも誰にも起こるものだ。
「小磐梯」筋としては、1888年(明治21年)に起きた磐梯噴火の話だ。主人公の私は税の徴収係として磐梯に向かう。当時の徴収というと、田畑の測量といった意味合いだそうだ。主人公は測量の経験があったため、若いながらリーダーとして部下や、地元民を引き連れて磐梯を訪れる。不思議なのは、現代文であるため明治という感覚が湧かない。また磐梯のの自然描写が細かく、何を話そうとしているのか、つい見失ってしまう。自然の描写や、地形の描写の隙間に、小さな地震が起きたなどという描写がサブリミナル的に挟まれ、不穏な雰囲気を感じる。やがて、ヒキガエルの大群が大移動しているところに出くわしたり、蛇を多く見た、温泉の湯が減った、井戸の水が涸れた、山鳴りが聞こえた。などという描写が増えてくる。そんな中、怪し気な若い男女の旅行者と出会ったり、陽気な商人風の男と出会い、民家で住人とともに一晩過ごしたりする。測量、地震、裏のありそうな男女との出会い、商人との出会い。一体なんの話なのか、何が起こるのかわからないまま話が進む。そして遂にその時が来る。磐梯山の噴火だ。小磐梯が消えるほどの大きな噴火だった。主人公は幸い高所に逃げることができ助かったが、回りにいた、子供達(前夜止めてもらった民家の子供)や、あの若い男女(女の方は自殺願望があり自殺を図ろうとしていた)、商人はみんな土砂と石に飲み込まれてしまった。地形が変わり、新たに湖ができたと話に聞くが、主人公は思い出すと悲しくなり、一生磐梯を訪れることはないだろうと思うのだった。色んな思いでその場所にたまたまいた人たち、嫌な予感がしていたが、何事もなすことができず、噴火の時を迎える他なかった。無常だ。
「北の駅路」見知らぬ人物から「日本国東山道陸奥州駅路図」という4冊の書物が送られてくる。忘れた頃にその送ってきた当人から長い書簡が届く。そこにはその人物自身と、4冊の書物に関わる物語がしたためられていた。少しミステリー風であるし、ただその人物の投げ槍で怠惰な人生が文学的でもある。その書物が人物のどん底の人生を度々救ってきた。やがてその書物に対して何の関心も抱かなくなったとき、新たな堕落が舞い降りてきたのだった。
 
20190316読み始め
20190327読了

最新の画像もっと見る

コメントを投稿