単行本は読売出版社から出ており、1988年2月にユーゴー書店で買っている。少し読み始めようとしていたが、冒頭の年老いた原胤昭がべらんめぇ口調で講談のように話し始めるところで、入り込むことができず、断念していた。27年越しで読むことになった。今回はスルスル入り込める。数年前に明治ものを連続して読んだおかげで、時代感などに比較的なれたおかげだろう。
登場人物の設定はお馴染みの、主人公がいて、立場の弱い仲間がいて、ものすごく腕のたつ敵役がいて、というもので、ワンパターンとも言えるが、風太郎の十八番であり、出ましたって嬉しい気持ちだ。
ぬらりひょんの安のエピソードでは、五・一五事件に関わる加害者が登場する。また犯罪者は情緒が不安定で、堅気になろうと固い決心をしたにもかかわらず、ふとしたきっかけで気分を害し、まと元の道に戻ってしまうという虚しさ。あと、原胤昭がいる、絵草紙屋兼、楽器屋兼、出獄人保護所の十字屋だが、これは経営者がクリスチャンと言うことからも、そう言う店の名前になっているのだが、十字屋の楽器店というセンテンスが出てきて初めてピンと来た。確か京都にCDショップがあり、楽器も売っているのを思い出した。店の名前はまさに十字屋だ。それで調べてみると、銀座に十字屋というのが今でもあり、京都の十字屋もそこから派生した店ということだ。この小説でも店は銀座にある。なるほどそれを知ると、ますます面白い。
これを読んでいると、薩摩出身と言うのは、とんでもない反発心のやからだ。御用盗とはなんたることか?
明治維新から明治創世記は幕府から冷遇されてきた古い大名家が幕府を転覆させた事件だ。何が正しいではなく、怨恨、私情で歴史が変わったのではなかろうか。維新後も古い力と新しい力がやりあっている。
サルマタは飛ぶ、の章。人間の幸不幸は、特に不幸は、防ぎようもなく外界からくる。これには共感する。そうなのだ。自分ではどう幸せに生きよう、嫌なことも気の持ちようを転換して切り替えて、ポジティブに考えようと努力するのに、それとは関係なしに、まったく不可抗力的に不幸がやって来る。これはまったく不思議だ。
上巻の終盤。星の涙の降る夜に、の章。はじめはそれでも風太郎にはない叙情的な描写が印象的。有明の娘、お夕が陰謀にはめられ石川島に連れられてくる。そこで決断した行為とは?あまりにも悲しい。予想もしなかった。
上巻の終わりにとんでもないどんでん返しを配置する。うまい!
下巻
これは読むほどに山田風太郎の集大成だ、と思わずにいられない。ミステリーから、世のはじかれ者達が、一転して自己犠牲を払いながら主人公のために悪を懲らしめていったり、医学知識を活かした事件やトリックなど。
最後の12行で娯楽小説にはあり得ないくらいの爽やかな悲しみを与えられた。
上巻
20150322読み始め
20150411読了
下巻
20150412読み始め
20150425読了