モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

初期「私小説」論――葛西善藏(7)「病気にされる」ことへの抵抗

2024年03月29日 | 初期「私小説」論
“病気”というモチーフは葛西善蔵のほとんどの小説の要素をなしていて、貧乏と病気は葛西文学のトレードマークのようなものとして受け止められてきました。
その取り扱い方はいろいろですが、晩年の『弱者』の中では様相がいささか異なってきます。
全体に不健康さが深まってくるにつれて諦めと恐れの感情がない交ぜになってくるとともに、なにがしか怒りの感情を含めたののしり調、しかもその相手は病状自体というよりは、病気を介して自分とかかわりをもつ人間に対しての苛立ちとか罵りとかを露わにしていきます。
たとえば次のように。

「まへまへからH(善蔵の世話をしていた青年/筆者注)が、Hの伯父さんの阿保博士に紹介してやらうと、何かの機会があると云ふのだ。だいたいが、皮膚科の方で其方では一方の権威者らしい。ことに、血液問題で博士論文をと蔦人だけに、其方での研究は相当に、世界的にも認められてゐるらしい。Hの勧誘にも拘らず、私はそんな偉い博士の診察を受けるのはいやだ。君は何処までも、僕を、神経症患者にしたいのか、僕は単純な神経衰弱じゃないか。若し君がさう云ふ言葉を喜ぶならば、僕は云ふ。僕は単純なアルコール中毒者ぢやないか。貴様も悪党だぞ。僕が之程いつてゐるのに、君は僕の理想主義者であることを、君は眼ないんだな、何処までも、何処までも、君も、おせいのやうな下等な女と一緒になって僕を虐めるのか。」



この苛立ち、怒りは、何でしょうか?
『弱者』という作品は、ドストエフスキーの『地下生活者の手記』や芥川龍之介の『歯車』、太宰治の『人間失格』に通じるような趣きのある独白調の小説で、いささか錯乱しているかと思わせるような叙述部分もあるのですが、
被害妄想というか、何かにおびえているようなそういった雰囲気も感じられます。

柄谷行人が『近代文学の起源』で“病気”についてこんなふうに書いています。
「医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。
国家に対して自立するような「内面」「主体」が国家的な制度によってこそ成立しえたということである。この社会は病んでおり、根本的に治療せねばならぬという「政治」の思想もまた、そこから起っている。」

明治国家は西洋医学と結託して“病気”を生産し、その治療活動を人民支配の手法として利用したという解釈です。
病気に悩まされ続けた葛西善蔵の苦しみは、その生涯の大半は放恣な生活態度からもたらされてくるものであり、生理的な苦しみとして認識されていました。
しかし晩年に至っては、何者かによって“病気”を強要されているという感覚が善蔵の中に芽ばえてきているということが、『弱者』に書かれていることから感じとれます。










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