モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

初期「私小説」論――宇野浩二(2)何を語り、何を語らないか

2024年06月21日 | 初期「私小説」論
宇野浩二の代表作のひとつとされる『蔵の中』は初期の作品(というか、処女作ではないがこの作で文壇へのデビューを果したとされる作品です)ですが、
文体的特徴としての“語り”の技法は完成の域に達しているといっても過言ではない出来を示していて、ある種凄味のようなものさえ感じさせます。
しかし文学としての宇野の語りの可能性はそこにとどまるということがなく、『蔵の中』から3年後に発表した「夢見る部屋」は更に果敢な挑戦を試みているように私には感じられます。
一読して、何かプルーストの『失われた時を求めて』を思い起こさせるところもあって、この時期に西洋文学の世界でも注目されていた「意識の流れ」を宇野も意識していたのではないかと推測されるフシがあります。
「意識の流れ」の記念碑的作品といえばジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』なんかもありますが、この作が発表されたのは1920年(『失われたときを求めて』は1913年)で、宇野の『夢見る部屋』とほぼ同年です。
宇野は、日本のプルーストでありジョイスであると言ってもいいのではないかと、私は思っております。



宇野の語りの特徴は、ものの空間的秩序を時間の流れの中に溶かし込んでいきつつ、時間的秩序変換して小説的造形を達成していくところにあると私は思います。
空間的秩序を時間の流れに溶かし込んでいく手法は、空間の描写を追想の形をとって記述していくという技法に支えられています。
もしこれがそうではなく、今実際に網膜に映っている事象を語っていくやり方で空間描写をしていくと、時間の流れの中に溶かし込んでいくということができません。
追想とはそれ自体人間の心理的時空環境の中で事象を見ていくことですから、空間の秩序と人間の心理とが絡み合う記述スタイルが醸成されていきます。
そしてこの心理的時空が、その主体の視点や身体の具体的な移動とともに膨張していって、“私”が一人閉じこもって自分だけの時間を過ごすために設定された部屋(空間)もまた膨張していって外部の世界との行き来を表象するようになっていく。
そのようにして造形されていったのが、『夢見る部屋』とタイトルされた小説世界というわけです。

具体的に言いますと、『夢見る部屋』は次のように書き出されています。
「その頃、私は、しばしば、私の部屋の、私の身のまはりを見廻しては、間断なく、溜め息をついたり、舌鼓を打ったり、(中略)誠に静心なく暮らしていたのであった。」
まさにズバリ、「その頃」という言葉でこの作品が書き起こされています。
『夢見る部屋』の実験性は、自分の“語り”が、文字で極力間隙を残すことなく誌面を埋め尽くしていけるかを試みようとするかのようです。

とにかくこの小説での部屋の描写は微に入り細を穿ち(図面までつけている)、さらに部屋に設置されている家具や小道具、それに写真や幻燈機械などの飾り物・遊具に及んでいき、そしてそれらにまつわる記録やエピソードや薀蓄などへと展開し、その流れで部屋の外の世界との交渉や、そこに登場する人物たちとのやりとりなど、小説の語りはどこまでも止むことの無い勢いで続いていきます。
こういう叙述の仕方は、しかし得てして冗長、散漫、とりとめのなさといったネガティブな効果に堕していくのが一般的です。
ところが宇野の語りはそうはなっていかず、私などもついつい読み継がされていくところが、やはり宇野の語りの巧さ、あるいは地力のようなものを感じさせます。

そこにはひとつの秘密がひそんでいるような気がします。
つまり、あらゆることを語りつくそうとするかのような素振りの裏側には、実は“語らない”領域が設定されているということです。
たとえば、小説の終わりの寸前でこんなことが書かれています。
「この話の中に出てくる人物といえば、私の妻にしても、東台館の事務所の老人にしても、煙草屋の娘にしても、さては、私の恋する山の女にしても、それらの人々の風采さえ伝えないで、ただ夢のような話や感想をだけしか話さないといつて、怒りなすな。」

宇野の語りはのべつまくなしであるように見せかけて、実は“語らない領域”ということが意識されています。
そのことを考慮しながら読んでいきますと、宇野の小説空間は、膨大な“語らない領域”あるいは“語られない領域”に満ちていることがわかってきます。
何を語り何を語らないかという判断を常につきまとわせながら物語を書く、それが宇野の小説の技法的特徴であり、リアリティを生み出していく根源であると私には感じられるのです。
そのルールあるいは“節度”を規定しているのは、まさしく日本の“私”小説の特性に他なりません。









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