『スクール・オブ・ロック 』(DVD)
制作国:アメリカ(2003年)
監督:リチャード・リンクレイター
脚本:マイク・ホワイト(ネッド役)
出演:ジャック・ブラック(デューイ Mr.S)、
ジョーン・キューザック(マリンズ校長)、
マイク・ホワイト、サラ・シルバーマン(パティ)、
モランダ・コスグローブ(manager)、
ジョーイ・ゲイドスJr.(Gt)、
ケビン・クラーク(Dr)、ロバート・ツァイ(Key)、
マリアム・ハッサン(Cho)、
レベッカ・ブラウン(Bass)
個性的なキャラクターに可愛い子ども達...お堅い私立学校に突如やってきた 型破りな偽教師...ロックが大好きな気持ちを封じ込め 堅物に徹するキュートな女校長...。面白さのエレメントは天こ盛り!
なのに...何故か スカッとはしない。デューイがネッドになりすましてクラスに乗り込むまでは 問題なく観られるのだけど 子ども達とロックを始める辺りからが どうにもいけない。ずぅ~っとモヤモヤしたまま観続けることになる。
何故モヤモヤが尾を引くのか...それは デューイが‘嘘’で子ども達を丸め込んでいるからに他ならない。しかも子ども達は 潜在的にはどうであれ 表だっては学校に反発心や閉塞感を抱いているわけでもない(描き切れていないだけかも知れない)。いずれにせよ 極めて普通に学校生活を送っているところにもってきて口車に乗せてしまう。互いの信頼関係の根底が‘嘘’からスタートしているから その上に何をいくら積み上げても 素直に「やれやれ! もっと やれぇ~!」という気持ちにはなれないのだ。
デューイと子ども達の関係が深くなるに連れ 子ども達は心の襞を開いてみせる。それに対しデューイの答えは かなり的を射た物ではあるのだけれど...デューイと子ども達の目指している方向が違っている状況の中では 的確なアドバイス 的確な仕切りも デューイ自身の欲求を満たすための取り繕いにしか成り得ない。子ども達の登用に いくら見事な采配を見せようともだ。
偽教師をしていることが 居候させてもらっているネッド(本物の)に ばれてしまったとき デューイは「あと一日経ったら 本当のことを言う」と言うのだが それでは遅すぎる。途中 やましい気持ちの表れが少しでもあったら もっと気持ちよく観られたかもしれない。
Mr.S(デューイ)の正体がばれた後 一旦気持ちが萎えた子ども達の気持ちが 再びロックとデューイに向けられるまでの課程も短絡過ぎるし、子ども達の‘バンド・バトル‘出場を観ているときの大人の変化も...。子ども達にも大人にも もっと考える時間が欲しいところ。
デューイがネッドになりすまして代用教員の職に就く → デタラメながらも授業を進めようとする → やがて 子ども達が窮屈な学校生活家庭生活に依って歪んでいると感じる → 子ども達の心をロックを通じて解放できないかと閃く → 子ども達との共同作戦を展開する → 校長や保護者に計画半ばにして知れてしまう → 子ども達の活き活きとした様とデューイの姿勢が やがて大人達の共感を呼び始める → いよいよ‘バンド・バトル’の本番! → 後日談
そんな展開なら いいのになぁ...。
ハチャメチャなロッカーであるデューイに「子どもに誠実であれ」と言うつもりはないのです。金のために潜り込んだ学校なのだから 子どもと接するのなんか 嫌々でもいいのだけれど‘反体制’を唱えるロッカーである以上 かなり子どもに近い感性と考え方を自ずと持っているのだから もっと 子ども達と芯から同志であって欲しかったと思うのです。
子どもが大人につく嘘は 時に許される物であると思うのだけど 大人が子どもにつく嘘は...特に継続的に騙し続けているのは やるせない。ありもしないプロジェクトをでっち上げ 踊らせるのではなく 子ども達とは 真っ直ぐ向き合って欲しかった。そして同じ一つの目標に向かっての極秘プロジェクトだったら みんなでワクワク出来たのに!
制作国:アメリカ(2003年)
監督:リチャード・リンクレイター
脚本:マイク・ホワイト(ネッド役)
出演:ジャック・ブラック(デューイ Mr.S)、
ジョーン・キューザック(マリンズ校長)、
マイク・ホワイト、サラ・シルバーマン(パティ)、
モランダ・コスグローブ(manager)、
ジョーイ・ゲイドスJr.(Gt)、
ケビン・クラーク(Dr)、ロバート・ツァイ(Key)、
マリアム・ハッサン(Cho)、
レベッカ・ブラウン(Bass)
個性的なキャラクターに可愛い子ども達...お堅い私立学校に突如やってきた 型破りな偽教師...ロックが大好きな気持ちを封じ込め 堅物に徹するキュートな女校長...。面白さのエレメントは天こ盛り!
なのに...何故か スカッとはしない。デューイがネッドになりすましてクラスに乗り込むまでは 問題なく観られるのだけど 子ども達とロックを始める辺りからが どうにもいけない。ずぅ~っとモヤモヤしたまま観続けることになる。
何故モヤモヤが尾を引くのか...それは デューイが‘嘘’で子ども達を丸め込んでいるからに他ならない。しかも子ども達は 潜在的にはどうであれ 表だっては学校に反発心や閉塞感を抱いているわけでもない(描き切れていないだけかも知れない)。いずれにせよ 極めて普通に学校生活を送っているところにもってきて口車に乗せてしまう。互いの信頼関係の根底が‘嘘’からスタートしているから その上に何をいくら積み上げても 素直に「やれやれ! もっと やれぇ~!」という気持ちにはなれないのだ。
デューイと子ども達の関係が深くなるに連れ 子ども達は心の襞を開いてみせる。それに対しデューイの答えは かなり的を射た物ではあるのだけれど...デューイと子ども達の目指している方向が違っている状況の中では 的確なアドバイス 的確な仕切りも デューイ自身の欲求を満たすための取り繕いにしか成り得ない。子ども達の登用に いくら見事な采配を見せようともだ。
偽教師をしていることが 居候させてもらっているネッド(本物の)に ばれてしまったとき デューイは「あと一日経ったら 本当のことを言う」と言うのだが それでは遅すぎる。途中 やましい気持ちの表れが少しでもあったら もっと気持ちよく観られたかもしれない。
Mr.S(デューイ)の正体がばれた後 一旦気持ちが萎えた子ども達の気持ちが 再びロックとデューイに向けられるまでの課程も短絡過ぎるし、子ども達の‘バンド・バトル‘出場を観ているときの大人の変化も...。子ども達にも大人にも もっと考える時間が欲しいところ。

そんな展開なら いいのになぁ...。
ハチャメチャなロッカーであるデューイに「子どもに誠実であれ」と言うつもりはないのです。金のために潜り込んだ学校なのだから 子どもと接するのなんか 嫌々でもいいのだけれど‘反体制’を唱えるロッカーである以上 かなり子どもに近い感性と考え方を自ずと持っているのだから もっと 子ども達と芯から同志であって欲しかったと思うのです。
子どもが大人につく嘘は 時に許される物であると思うのだけど 大人が子どもにつく嘘は...特に継続的に騙し続けているのは やるせない。ありもしないプロジェクトをでっち上げ 踊らせるのではなく 子ども達とは 真っ直ぐ向き合って欲しかった。そして同じ一つの目標に向かっての極秘プロジェクトだったら みんなでワクワク出来たのに!