感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
私の好きな遍路道(4) 讃岐
私の好きな遍路道 目次
(1) 阿波
(2) 土佐
(3) 伊予
(4) 讃岐 (この記事)
私がお勧めする遍路道(つづき)
讃岐
1、雲辺寺道で雲辺寺に上る。 地図:讃岐「豊浜付近」「雲辺寺道付近」
雲辺寺に上る道と言えば、池田町佐野から上る道あるいは曼陀峠を通る道というのが定番でしょうが、ここでは捻くれ心を発揮して古くからの雲辺寺道を上るルートを推します。
雲辺寺道は古道で豊浜をその始点とします。ですから、三角寺または奥ノ院から雲辺寺の上り道として採ろうとするとアプローチはちょっと遠回り、例えば、三角寺→奥の院→平山→川之江→箕浦→豊浜。
この道は雲辺寺の下りに採る場合は、番外萩原寺は道のすぐ傍ですから便利かもしれません。
豊浜からの雲辺寺道古道の道筋はほぼ残っています。溜池の連なる道を尋ね尋ねて井関池畔まで。瀧宮神社、櫃負観音堂を経て山道へ。かなり荒れた箇所もありますが、地蔵や丁石に励まされるいい道です。ロープウエイの山上駅の傍に出ます。
(該当遍路日記「平成27年春その2」)
2、箸蔵寺から雲辺寺への道。 地図:阿波「箸蔵寺付近」讃岐「猪ノ鼻峠付近」「六地蔵峠付近」「雲辺寺付近」
ここから三つは箸蔵寺から(へ)の道です。箸蔵寺は阿波の国の内ですから、阿波と讃岐を跨る道となります。
まず一つ。池田町佐野に泊まった遍路が箸蔵寺へ参るには、国道192号、県道267号を往復するルートを採ることが多かったのではないかと思いますが、箸蔵寺からの還路、直接雲辺寺へ行く道があります。
箸蔵寺への山道の入口付近から緩い上りの国道32号を行き県道6号に入ります。野呂内下の集落の道、それは素晴らしい道です。道傍に山からの水場もあります。
運が良ければ村の人から声を掛けていだけるかも・・
「右こんひらみち 左うんへんみち」と刻んだ古い道標も見られます。古くからの遍路道でもあるのです。
鮎苦谷川に沿って県道268号を上り雲辺寺へ。約19kの道程。
なお、国道32号から土讃線つぼじり駅に下り下野呂内に行くルートはスイッチバックも見られる楽しい道筋です。
(該当遍路日記「2巡目第5回その4」)
3、中蓮寺峰越えで箸蔵寺へ行く道。 地図:讃岐「六地蔵峠付近」「猪ノ鼻峠付近」阿波「箸蔵寺付近」
この道は「四国のみち」です。昔から多くの遍路が通った道ではありません。むしろハイキングコースとして風光を愛でる道かもしれません。
道は遍路が好んで泊まる宿の近く粟井ダムを見上げる処から始まります。逆瀬川の傍を通り中蓮寺峰の登山口、もみじ橋を渡り急坂を山頂へ。
ここは絶好のハングライダーのフライト場。若狭峰を越えて猪ノ鼻峠へ。そして二軒茶屋で箸蔵街道に入り馬除から箸蔵寺へ。大師堂の横に直接出ます。
約22kの行程です。
(該当遍路日記「3巡目第7回その5」)
4、箸蔵街道の道。 地図:讃岐「財田付近」「猪ノ鼻峠付近」阿波「箸蔵寺付近」
箸蔵街道は金毘羅さんとその奥の院とも称される箸蔵寺を結ぶ道です。
琴平を出た道は、樅ノ木峠の飛行神社を経て黒川の南の山を越え財田へ。ここまでの古道はやや消えかかった所もあるようです。
財田から箸蔵寺までの道はすべてが古道というわけではないようですが道筋は明確に維持されています。石仏、二軒茶屋、馬除を経ます。
財田から馬除を経て三好の昼間まで通じた道は「箸蔵越え」と呼ばれた阿讃国境を越える古道の一つ。二軒茶屋の茶屋跡や馬除の廃屋など、昔の賑わいの名残りでしょうか。
5、金毘羅・土佐伊予街道を行く。 地図:讃岐「箕浦付近」「豊浜付近」「大野原付近」「山本付近」「中屋敷付近」
「佐文付近」 「琴平付近」
この道は遍路道ではありません、金毘羅道です。
金毘羅参りに利用された主な道は「高松街道」「丸亀街道」「多度津街道」「阿波街道」「伊予・土佐街道」の五つで金毘羅五街道と通称されています。
道の呼び方について一言。阿波街道や伊予街道などは讃岐一国に留まらない長い道ですが、これらの地から讃岐の金毘羅に向かっては同じ道を「讃岐街道」とか「金毘羅道」とかと呼ばれます。紛らわしいですね。
さて、ここで推す道は伊予・土佐街道が国境の余木崎を越え讃岐に入ってから金毘羅までの道。
その道には多くの石燈篭(金毘羅燈篭と呼ばれる)や札納、丁石などが残り、昔の金毘羅道の雰囲気をよく残していると言われる道です。
箕浦から豊浜町、大野原町中姫、山本町辻、ここで大興寺を出る遍路道と交差、山本町財田西、中屋敷、立石、作文そして牛屋口。ここには土佐や伊予の人の寄進による鳥居や石燈篭が並びます。そして金毘羅宮へ。
この道、遍路姿をしていても地元のお年寄りからは「ごくろうさまです、きをつけて・・」と声が掛かります。きっと金毘羅参りの人と見ていただいているのでしょう。
(該当遍路日記「3巡目第8回その2」)
6、弥谷寺から海岸寺への道。 地図:讃岐「弥谷寺・海岸寺付近」
白方の海岸寺、奥ノ院それに佛母院に参るには、天霧峠を下るのが最短であり雰囲気のよい道です。
弥谷寺からは殆どが下りの道で、峠下の荒れた道もこの頃は落ち着いてきたようです。天霧八王山奥の院は荒れたお堂の様子ですが、内部はかなり広い洞窟となっており驚かされます。坂を下った虚空蔵寺辺りは春には桜の園。
海岸寺、奥ノ院、佛母院の辺りも含めて・・土台、この白方の地は、何やら時間がゆっくり経っている別世界の風情を醸し出しているように、私には思えます。
(該当遍路日記「平成27年春その3」他)
7、国分坂を上がると・・ 地図:讃岐「国分寺付近」「五色台付近」
真念は「・・これより白峰寺迄五十町、此間に坂有、国分坂といふ。十町ほどのぼる、谷川有」と。また澄禅は「屏風ヲ立タル様成坂・・上リ上リテ渓水在。此水由緒有水也、水上ニ地蔵堂有り・・」と記しています。
ここに国分坂と書かれた道は今も残っています。実は、その上の国分台は自衛隊の演習地となっていて、白峰寺へ通り抜けることはお勧めできませんが・・
急坂を九十九折れで上る道にはしっかりと丁石地蔵が残されており、坂途中にはへんろ坂大師堂もあります。(大師像は国分寺の境内に遷されています。)
坂の上から見える神崎池や国分の田園。雲で霞んでいなければ素晴らしい眺望も得られるでしょう。
白峰への道の途中にあるという渓水(おそらく西方、神谷に下る水だと思われます。)を見たいという望みは諦めなくてはならないでしょう。
(該当遍路日記「平成23年晩秋その1」)
8、白峰寺から根来寺への道。 地図:讃岐「五色台付近」
高屋から81番白峰寺に行く道。今は北側の山裾をまわる長い石段の道ですが、昔の道は神谷川畔に立つ讃岐最大の道標(寛政6年)「すく遍ん路ミち」から東に直進し山に入る道であったと思われます。
江戸初期にはこの道に白峰寺の中門や大門もある参道であったようですが、今は道共々消えてしまっています。
白峰寺から82番根来寺への道は全長4.6k、五色台スカイラインと交差する足尾大明神社の辺りを除いて土道の古道です。
道傍には多くの古いものが残されています。白峰寺の近く、別所の三重塔跡、摩尼輪塔、奥ノ院毘沙門窟、中間の閼伽井、十九丁の地蔵など。
この道はハイキングの団体や遠足の小学生によく出会う道でもあります。
根来寺から83番一宮寺に向かう道。今はスカイラインを通る遍路が多いようですが、その道の東側に沿って土道があります。赤子谷まで殆ど土道を辿ることができるのです。
赤子谷の地蔵堂の先、袋山を巻いて鬼無町の衣懸池に出る古道、私は何度か探りましたがちょっと難しいようです。
(該当遍路日記「2巡目第6回その3」他)
9、高松市街の遍路道。 地図:讃岐「高松市街(南)」「高松市街(北)」
一宮寺から84番屋島寺へは県道173号などにより市街の中心部を通る遍路が多いようです。しかし、江戸時代の後期には藩が遍路の城下への立ち入りを禁止したとも言われ、一宮を出て南西から北東へ階段状の道筋で屋島を目指すルートが定着していったようです。
三名町、太田上町、太田下町、伏石三石神社、野田池、松縄町、木太町、春日町、屋島中町と辿ります。道傍には思いの込められた地蔵や道標が多く見られます。
道を尋ねれば、また多くの人から優しい言葉を戴ける道でもあります。
(該当遍路日記「平成27年春その4」)」
10、結願の寺大窪寺への道。 地図:讃岐「前山付近」「大窪寺付近」
88番大窪寺への道は、助光、多和を通り山門の前に出るルートと、女体山を越えて直接境内に入るルートがあります。
女体山を越える道は前山のおへんろ交流サロンから8.5k、前者の道より短いものの山越えの厳しい道です。平成へんろ石もこちらの道に立っていて、この頃はこの道が遍路道の主道といった観があります。しかし、昔からの道は山門に出る前者の道の方です。といっても、実際の古道は途切れ途切れに残っているだけですから、古道の近くに後からできた町道などと言った方が正確でしょうか。多くの遍路はその道を歩きます。
おへんろ交流サロンを出て相草の手前は近年に地元の人によって開かれた山越えの道「花折山へんろ道」があります。
大窪寺門前まで多くの丁石地蔵が残っていますが、その多くは古道の傍。地蔵と素晴らしい土道の断片が残っている場所もあります。でも、丁石の丁数を数えてそんな道を歩きたいと思うと行きつ戻りつを繰り返さなくてはなりません。残念なことです。
(該当遍路日記「3巡目第8回その5」「2巡目第6回その4」)
11、大瀧山上り下りの道。 地図:讃岐「塩江付近」「大相山付近」「大瀧山付近」
番外別格大瀧寺への道は、従来より塩江からの道と夏子からの道が知られていました。その後、近年になって長谷の金毘羅神社から阿讃国境の尾根道が古くからの遍路道であったことが紹介されて、この道を通る遍路も増えてきたようです。
この道にはロープに縋らないと上れない所が数箇所ある厳しい道で、健脚者のみに許された道といえましょう。
嘗ては草に覆われていた夏子からの道は最近は林道化して、雨後などはかえって歩き難い道となっているようです。それと、夏子に近い細野辺りから5kに及ぶ「長靴」をまわらなくてはならない弱点もあります。長靴をショートカットする道を多くの人が探っているようですが、良い道は見つかってないようです。
地図に?付で示した道は、猪除けの柵を越えなくてはならない所があり、これもよい道とはいい難いもの。
大瀧山に登るその他の土道ルートとして、遍路道としてはアプローチに難がありますが、脇町方面より、大谷、鼓尾を経て上る道。
この道は阿讃国境の峠道の一つ「大瀧山越え」の古道の一部でもあります。鳥居や庚申塔などが残る道です。
(該当遍路日記「2巡目第6回その4」)
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