四国遍路の旅記録  三巡目 第7回 その5

中蓮寺峰を越えて・・箸蔵寺へ  (平成23年5月18日)

88箇所の札所回りの途中に箸蔵寺の参詣をうまく組み入れることは、なかなかの難問なのですね。佐野の宿から箸蔵寺までが17kであること、箸蔵寺から雲辺寺までが19kであること、箸蔵寺には宿坊はあるものの、大抵の時期は団体専用であること・・など考慮すると、結局、佐野の宿に連泊して箸蔵寺を往復する遍路が最も多いのではないかと思います。
そのルートは国道192号と県道267号を経るもので、必ずしもいい遍路道という訳でもないし、同じ道を往復するのも何となく・・
私は3年前の秋、伊予三島から箸蔵寺に行き、寺の山下の民宿に泊って、翌日国道32号、県道6号を通って雲辺寺に行ったことがありましたが、これは山間の農村を通る素晴らしい道でした。
この度は、雲辺寺を下って大興寺との間にある宿から、箸蔵寺へのルートを模索しました。
一つは、六地蔵越えのルートがあります。これは基本的に県道6号ルートであり、以前に通った道と重複します。
そこで、「四国の道」に沿って、逆瀬池から中蓮寺峰、若狭峰を越え、猪ノ鼻峠から箸蔵街道に入り、直接山上の寺に至る道を通ることにしました。寺までの距離は約22k、結果としては素晴らしい道でした。もちろん、好天気という前提ですけど・・
宿のご主人からは、道の詳細について指導をいただき、奥さまには体調不良で食欲の無い身の心配をお掛けしながらの出発でした。

高原の朝の田圃

この宿は素晴らしい立地。ことに朝は高原の爽やかさを満喫できます。田圃も林もたっぷり水を湛えて輝いていました。
中蓮寺峰までの6.8kは、田園の道、湖畔の道、山間の道、舗装道、未舗装道・・まことに変化に富んだルートで、「四国の道」の道標が無ければ歩くことは出来ないでしょう。
何しろ、太い道から細い道へ、山道から大きな舗装道へと変幻自在なのですから・・
美しい逆瀬(さかせ)池の畔の道を歩きます。この池、溜池なのですが、昔から小さな池があった場所のようで、龍神の伝説を伝えています。


逆瀬池、向こうは中蓮寺峰の山波

 中蓮寺峰登山口

もみじ橋

集落の中を通る道から山の道に入り、中蓮寺峰登山口に至ります。
ここから1.8kはまだ緩やかな上り。
道傍に文政七年と刻んだ地蔵を見ます。この道が昔からの道であったことを思い、嬉しくなるものです。
やがて、赤いもみじ橋。ここから中蓮寺峰頂上まで0.9kは、四国の道特有の擬木(いや、ここのは本木のよう)を敷いた急坂の道。
片手金剛杖、片手、登山口でお借りした竹杖の両手杖の助けを借りて上ります。
頂上には休憩所。財田の街と田園の眺望が見事です。

 つつじのお迎え

中蓮寺峰頂上


財田の街の眺め

少し行くと、ハングライダーのフライト場があります。離陸ポイントから覗くと、ほんとに空中に浮かべそうな感じがする不思議・・
すぐに若狭峰に。この辺は広い未舗装林道の様相。
猪ノ鼻の方から軽トラで山作業に来ているご夫婦にお会いします。道を確認します。
「枝道はあるが、下へ下へ下がれば猪ノ鼻峠じゃー・・」 その先からは舗装道。国道32号へ出る道を左に分けて、旧猪ノ鼻峠へはまた未舗装道。
峠の標識は草に埋もれています。北方、国道32号やトンネルの出口は、微妙なところで見ることはできません。

 猪ノ鼻峠

四国の道は峠を直進しますが、右折する林道があり、箸蔵街道までの距離は変わらないものの、上りは少なさそう。
林道を行きます。林道の終り辺り舗装化が進んでいました。
箸蔵街道に入るところの小さな道標を見落とさないように・・
箸蔵街道は街道とは言っても、細い山道。馬除(うまよけ)には廃屋が数軒並んでいます。
ここにもそんなに遠くない昔、生活があったのですね。
その先、「箸蔵寺江二十三丁」の道標を見ます。

箸蔵街道馬除

 道標

そして、箸蔵寺への標示に従い左折して、暗く荒れた山道を行くと、突然開けて、広い八十八カ所御砂踏の所に出ます。箸蔵寺到着です。
御影堂や本殿もすぐ傍です。御影堂にお参りの団体が、おかしな所から現れた遍路に不審顔。
宿からここまで、距離は約22k、所要時間6時間40分でした。実に充実した歩き道行きでした。
お世話になった竹杖に合掌して、山にお返ししました。

別格15番札所箸蔵寺は、真言宗御室派別格本山。その縁起については、以前にも書いたことがありますので繰り返しませんが、本尊は金毘羅大権現で、今でも神仏習合の風習を色濃く残す独特の寺です。琴平の金毘羅大権現を祀っていた、通称金毘羅さんが明治の神仏分離により純粋な神社、金刀比羅宮に生まれ変わった以上その奥の院であるとの位置づけは説得性を欠いていると思われます。
江戸時代の終りに火災に遭い、大半の伽藍を焼失。現存する本殿、護摩殿、方丈等はすべて江戸末期に再建されたもの。
広大な境内、山門より本殿まで600段に近い壮大な石段。その石段に刻まれた海外の地名を含む寄進者の名は、古くから多くの信者も持つ証し。そして、本殿の持つ独特な雰囲気は、立派な寺の多い別格霊場の中でも、私はその魅力において最右翼に挙げたいと思います。

箸蔵寺本殿

箸蔵寺本殿

箸蔵寺本殿

箸蔵寺本殿

箸蔵寺本殿

箸蔵寺本殿

箸蔵寺本殿

箸蔵寺本殿


箸蔵寺本殿

本殿への石段

本殿は外陣、内陣、奥殿の3部分からなる複合建築で、銅板葺きの複雑な屋根構造を持っています。しかし何といってもこの本殿の特徴は、その過剰とも思えるほどの彫刻による装飾にあるでしょう。
本殿の前に立って振り仰げば、その独特の世界の中に飲み込まれる気分に襲われます。(国重文指定)
本殿前で、犬を連れた77歳の男性にお会いしました。池田の町からよく車で山の下まで来て、歩いて寺まで上ってきているといいます。昔は山歩きが趣味で、富士山にも2回登ったそうです。
「おー、そんなとこから歩いてきましたかー・・あなたは太っておられんからいい・・よう歩けるんですなー・・」
山を一緒に下って、町まで送るというのをお断りして、ちょうど来た電車に乗って池田の街のビジネスホテルに泊まりました。

箸蔵寺より阿波池田の眺望

吉野川の畔




観音寺まで、今回の区切り  (平成23年5月19日)

もし、箸蔵寺の宿坊に泊めてもらえたとしたら、この日は箸蔵街道を財田まで、更に財田川に沿って大興寺まで歩いて、その辺りに泊まろうかと思っておりました。
でも、宿坊には泊まれず、阿波池田の市内のビジネスホテルに泊まりました。これから箸蔵の山に上って歩く気力は失せました。それに、ちょっと所用も出てきたよう・・予定を短縮して、今日観音寺まで行って、今回の区切りにすることにしました。
阿波池田から讃岐財田まで電車で移動です。
途中、坪尻駅でスイッチバックを見たり・・ほんとに山の中、人の影も見ません。
 
讃岐財田駅を下りると、目の前は夏近い明るい田園がいっぱいに拡がっていました。
財田川の畔を歩きます。ああ、このまま歩けば観音寺か・・ 

讃岐財田の駅を出て・・

財田上の田園風景

古い潜水橋

財田川

遠くに寺の塔が霞み、川には古い潜水橋が残っていたり・・川原は水生植物に覆われ、時々お花畑です。
こんな道を歩く遍路姿は滅多にいないでしょう。二、三の人から声を掛けられました。
「どちらへ・・」大興寺というと「ああ、小松尾寺ねー・・」と返ってきます。
学校が近づけば、生徒さんと一緒です。「おはよー、おはよー」賑やかなこと。そんな中を大興寺まで歩きました。12kほどでしょうか。


大興寺

 大興寺

大興寺の門前で

67番札所小松尾山大興寺は大きな樹に囲まれた静かな寺です。村の鎮守、いやいや村のお寺という感じが何処かに残っていて好きな寺です。

(追記)小松尾山大興寺の変遷について
五来重は「四国遍路の寺」の中で「村の中のお寺で、熊野権現がなければ札所になるのは考えられないようなお寺です・・」と述べています。
その古を尋ねれば、白鳳期までたどれる古い寺と云われます。鎌倉期には、熊野権現を祀る別当寺であり修験者の拠点ともなっていた・・ 中世までは現地より北西に1k、今の国道377号に近い丘陵の端にあり(現代はその場所に一堂がある)真言宗、天台宗の二宗が兼学したという珍しい性格を持ち、隆盛を極めたとも云われます。江戸期始め澄禅が「・・寺ハ小庵也・・」と記すように戦国期の荒廃からの復興は遅れたようです。
江戸前期の「四国遍礼霊場記」の絵図には、上段中央に本堂(薬師)、右に鎮守熊野権現、左に大師堂が見られます。そして一段下に別当大興寺があります。また「天台大師の御影あり」とも記されます。
本堂に薬師如来(秘仏)(熊野権現の本地仏)平安期末(11世紀)の定朝様式を汲むと云われるもの。現在山門外に祀られる石造地蔵菩薩立像も立派で強く印象に残るもの。(昔は境内の地蔵堂の居られたとも)(現在は本堂、大師堂は「霊場記」に示す位置にほぼ定まり、寺の場所は空地となっています。)                    (令和5年8月追記)

四国遍礼霊場記 小松尾寺


それから、順番をちょっと変えて70番本山寺へ。大興寺から本山寺への道。どうにか行けるだろうとタカをくくっておりましたが、やはり迷いました。
おばあさんは大体うそを教えます。おじいさんに聞かなければいけません。いや、冗談・・


本山寺前の財田川、土手の道を行く遍路ひとり

本山寺

本山寺山門

本山寺本堂

本山寺五重塔

本山寺五重塔

70番札所本山寺の本堂の屋根の美しさ、さすがに国宝。それにそんなに古いものではなく、明治の終りに建てられたという五重塔の独特の造りと立派さには、あらためて感心しました。中備えにこれだけ蟇股を多用した塔は他に類を見ないのでは・・
それに忘れてはならないのは山門。その簡潔な表情が素晴らしい。
納経所の女性に五重塔のこと申しあげると、「そうらしいですね、時々そう言われる方がいますよ・・」とうれしそうでした。ご褒美に飴を戴きました。
長閑な財田川の土手を歩いて68番札所神恵院、69番札所観音寺へ。

観音寺

 観音寺

銭形と瀬戸内海

銭形もその向こうの青い瀬戸内海も。それを眺めていた母娘のお二人と短い言葉を交わして、琴弾八幡宮の長い石段もゆっくり下りて、観音寺の駅に。
この度の遍路の区切りとしました。

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コメント
 
 
 
先の楽しみ (コイケダ)
2011-06-18 22:19:07
こんばんは。

なぜかこの辺りはとても懐かしく感じるのです。
印象深い出来事が重なり、充実した区切りだったからでしょうか・・・
1巡めでは夢にも思わなかった(笑)別格箸蔵寺。
枯雑草様の写真を見てPC前で思わずおお!と声が出ました。2巡めではきっとお参り致しましょう!
(しかしいつになることやら(汗)
 
 
 
コイケダさん (枯雑草)
2011-06-19 19:52:28
こんにちは。
ようこそ・・そうでしたか、確か雲辺寺の
近くでは人助けをされたとか・・想いも深い
場所ですね。
箸蔵寺の素晴らしさは、何遍も言ってます。
この中蓮寺峰越えの道も素晴らしいもの。
興味がおありなら、東海図版の遍路地図を
ご覧ください。
また、財田から大興寺への財田川沿いの道、
へんろ道ではありませんが、すばらしいの
です。四国を歩くことが何なのか・・改めて
思いました。
 
 
 
Unknown (やすし)
2011-06-20 11:02:55
これまでもいい道を紹介していただいていますが、さすがに乱れ打ちの醍醐味ですね。5月の四国は松山から箸蔵寺(坪尻駅)でした。7月初めの石鎚山山開きに合わせて面河から石鎚に挑戦します。その前に足慣らしで坪尻駅から県道6号を通って雲辺寺、丸亀付近までを歩く予定です。野呂内の道は参考にさせていただきます。 
箸蔵街道は是非とも踏破したいですね。
こちらのHPの更新はしばらくかかります。
 
 
 
やすしさん (枯雑草)
2011-06-20 17:57:26
こんにちは。ようこそ・・
この中蓮寺峰~箸蔵街道の道は、とってもいい道
です。上にも書きましたが、東海図版の遍路地図
をご覧ください。県道6号の道も、素晴らしい道
です。懐かしい農村の道です。
面河から石鎚山ですか。土小屋ルート(まさか、面河
ルートじゃないでしょう・・)は、横峰経由だと必須
の今宮道(これが退屈・・)がないだけいいかもしれ
ませんね。HP楽しみにします。
 
 
 
ピンピンシニアさん (枯雑草)
2011-08-08 08:26:33
こんにちは。
馴れと体力の下降の具合で、2巡目あたりが
一番充実していたかもしれません。これから
は落ちるばかりです。いつまで歩けることやら・・
私には、真夏の歩きは無理です。
 
 
 
地図希望 (湖山です)
2013-11-13 11:22:37
青空屋さんから箸蔵寺ルートの地図をお願いします。

来年に歩いてみたいと考えてます。

来月7日お会いできるのが楽しみです。
 
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