四国遍路の旅記録  二巡目 第6回 その4

平成21年3月17日     女体山を越えて・・、桔願へ


志度の街、古い家並を見ながら志度寺の門前で南に折れて進むと、左手にオレンジタウンと大きな看板を掲げた、新しい住宅地が広がっています。朝日が溜池に光を落とし輝いていました。

志度の街で

オレンジタウンの朝

それを過ぎるとすぐ道際に長尾寺の奥の院と言われる玉泉寺があります。お参りします。
ここより3k、ついに桔願寺直前の寺、87番長尾寺に着きます。
この寺の縁起はよくわからないところが多いようです。長尾寺は今は天台宗ですが、昔、志度寺の一院が、先ほどお参りした奥の院の位置に、そしてここに移ってきたのではないかと言われています。
お参りは私の他1人だけ、寂しい境内です。

87番長尾寺

大窪寺への道はやがて鴨部川に沿い、前山ダムの畔、おへんろ交流サロンに着きます。
桔願前の歩き遍路はここで「へんろ大使」と称する認定証とバッジを戴けるのですが、私は1巡目のとき戴いているので名前を書いただけです。
ここで戴いた地図によると、ここから大窪寺までのへんろ道は5つあるということです。
①バス通りコース。県道3号と国道377号を通る道で、歩行3時間。
②旧へんろ道コース。昔からの遍路道に最も近い道と言われる道。多和相草からは、①の旧道です。歩行2時間50分。
③花折山遍路道。②の最初の部分花折林道の迂回路で最近整備された道です。急坂あり。この部分以外は②を通り、歩行3時間。
④四国の道コース。来栖渓谷を経て女体山(763m)越えの道。最も地道が長い。歩行3時間30分
⑤多和神社コース。多和神社を経由する舗装林道で太郎兵衛館先で④に合流する。歩行3時間。
私は、1巡目の時は雨で②を選んだのですが、今回は天気も良いし最も地道の多い④を行きます。

前山ダム湖畔の道祖神


古いベンチ (来栖神社手前)

サロンを出て、県道を左に外れ橋を渡ります。すぐ来栖神社。
来栖渓谷沿いの舗装道、所々に民家があります。来栖神社より1.2kで右に分岐。山道に入ります。
分岐から500mほど最後の民家(東さん)までは辛うじて舗装道、その先は山道。厳しい急坂を越えて下り多和神社経由の舗装林道に合流します。
分岐から2k。ここより女体山山頂まで1.5k、標高差270mを登る山道です。
山頂近く、急斜面が崩れて道が無くなった箇所、コンクリートを流し、鉄の階段と橋が造られています。
最後は岩に縋って山頂まで達します。サロンを出て3時間でした。
山頂からは春霞の彼方、屋島、五剣山、高松が望まれます。絶景です。

女体山への道

女体山山頂より

ここより0.7k下った場所より分岐する大窪寺奥の院胎蔵峯の往復0.4kを含め1.5kを大窪寺まで下ります。
奥の院胎蔵峯は、波型トタンとブロックの粗末なお堂ですが、内部は清潔で岩窟のなかに阿弥陀仏と大師の石像が祀られています。
辺りには多くの石仏、幽玄を感ずる場所です。
奥の院のお参りを含め女体山山頂から大窪寺まで1時間10分でした。

胎蔵峰奥の院

88番大窪寺。この寺は昔から桔願寺と決まっていた訳ではなさそうです。
しかし、若い空海が生誕地の善通寺から阿波の焼山寺、太龍寺、さらには室戸岬に行く経路としては、ここは重要な場所で奥の院に修行の場を置いたであろうことは確かのようです。
さすがに四国巡礼の桔願所、多くの遍路で賑わっています。団体バスから降りた遍路さんたちは、本堂前に用意された階段に並んで記念撮影です。
その横では、ベンチに座って目を瞑り、何やら感慨に耽っていそうな歩き遍路の姿もあります。ここで桔願を迎え、涙が止まらなくなったという遍路も多く耳にします。
お前はどうなんだ・・。いやいや、私は2巡目だし、区切りだし・・、それほどのこたーないですよ。でも、本堂と大師堂で、いつもより倍くらいの時間を掛けて読経させていただきました。
広島から持ってこられた原爆の火にもお参りしました。
皆さんおっしゃるように、それでも納経所の対応は事務的でクールなものでしたけれどね。

88番大窪寺

大窪寺の遍路

金剛杖の果て

山門を出たところで飴湯のお接待。
門前の店で、水をいっぱい所望、うどんを注文しましたが、半分食べるのが精いっぱい。早々に門前の宿に入りました。

同宿は、志度寺前で一緒に歩いた若い人も、へんろサロンで私と入れ替わりに出ていった人も、高松から歩いてきたという超健脚の人も、善通寺近くの若いお坊さま夫妻もいました。
桔願を果たした人は皆どこかすっきりした顔をしています。

明日の大瀧寺行きのこと、女将さんに相談しましたが、そんな道は知らん・・こちらからじゃ無理じゃないかと・・。まあ、どうにかなるだろう。早朝の車の手配だけはお願いしました。

     本日の歩行:     34199歩
     地図上の距離:    20.2k



平成21年3月18日     ロープと木に縋ってよじ登る、大瀧寺へ


88番大窪寺で2巡目結願の翌日、香川・徳島県境の阿讃縦走コースを通り別格20番大瀧寺に参りました。
この寺は標高910mの大瀧山山頂にあり、歩きでは最もお参りが困難な寺と言われます。しかし、ここは別格20札所桔願の寺でもあるのです。

この香川県と徳島県の県境の尾根を通る阿讃コースは、へんろ地図には載っておらず、インターネットの遍路サイトである方が紹介されたものです。
念願のルートですが、弱足、非野宿、帰りは別ルート、荷物は預けたい、この付近宿が少なく、最も近い唯一つの宿は連泊不可、というクイズのような難問に悩んだ末、大窪寺門前の宿を朝発ち、登山口の長谷集落まで車を利用、途中竹屋敷の宿に荷物を預ける・・という苦肉の策を採ることに。
寺からの帰路はへんろ地図(第8版)にある夏子に下る道を通る。
歩行距離は約26kとなる予定。

道しるべ  大瀧寺への阿讃縦走コース

長谷の金毘羅神社の本殿裏から尾根を通る山道に入ります。
寺近くまで常に尾根道であり、県境杭とピンクテープに導かれ1ヵ所を除き迷い易い所はありません。
石の少ない歩きよい道なのですが・・実は始めの2.8kで標高290mから850mを稼ぐ急坂なのです。歩き始めて20分、最初の急坂、トラロープが張ってあり、これと樹木に縋って強引に登ります。その後連続して2個所も。
通常の山道はジグザグに道を切りますが、ここでは自然の地形のまま・・これがこういうことに。
大相山に分岐する標高850m地点まで1時間40分を要しました。
この分岐が唯一の注意ポイント。道の紹介者が付けられたと思われるへんろ札を見落とさぬように・・左分岐。
その後の1.2kは標高720mほどまで下り道。左手に新設林道が上がってきていてびっくり。おそらく平間集落から上がってくる道。
それから道は上がったり下がったり、2個所の850mのピーク前はまたまた急坂。ここにはロープはありません。木に縋るのみ。
電話鉄塔が見え隠れする、寺は近い。十三丁と彫られた石柱があります。昔は参道であったということなのでしょうか。
無線鉄塔の横を通り車道に出ます。長谷から約7k、私の足で3時間30分でした。やはり、健脚向きの道と言えましょう。
大瀧寺は少し左に下って10分少々です。

ロープに縋って

へんろ札

尾根の笹道

丁石

寺の隣の石段を上ったところの西照神社は、立派ですが、大瀧寺は由緒ある別格20番桔願の寺としては、驚くほど簡素です。

余談。空海の著書「三教指帰」の中で「阿国の大瀧の嶽にのぼりよじ・・・谷響きを惜しまず・・」と書かれているのは、21番札所のある太龍山であるであるという説と、この大瀧山であるという説があります。
当然こちらの寺では後者の説を採っているのですが、いずれの場所でも若き空海が虚空蔵求聞持法を修したというのは大いにありうることだと思われます。

納経所で何度も声をかけますが、人の気配もありません。ふと見るとブザー、何処からともなく女の方が・・。
ここは、水が出ないところと聞いています。持ってきたペットボトルのお茶も残り僅か。その心が通じてしまったのか、あるいは顔に出ていたのか・・。新しいペットボトルのお茶を差し出される。有難くて涙・・でした。
聞こえてきた、この山の上の生活の苦労とも聞きとれる少ない言葉・・。それは、ここでは書くことはできません。ひょっとしたら、聞こえる声ではなかったかもしれませんから。

別格20番大瀧寺


大瀧山山頂より、吉野川が見える

夏子へ下る道

寺からの帰り路はへんろ地図にある夏子に下る道を通りました。
1k余りはコンクリート道で、育苗場の温室や畑があります。その下の九十九折れの道は、湿った赤土で雨の日は歩き難いでしょう。
25000地形図で見ると、周りは果樹園となっていますが、今は森林です。1車線幅の林道の風情。
へんろ地図のH450とH270の間は、多くの方からの情報通り不通。3k以上に渡り舗装道を迂回します。こんなところでへんろ仲間で知人のMさんの遍路札を見ました。ありがたいことです。そういえば鯖大師明善さんのごく最近(この2月)の札も見ました。
迂回路はちょうど足の形をしていて、その足首の部分、畑を越して先の道が下方に見える場所があります。
畑にきれいなおねーさんがいます。「下の道までここを通っていいですか・・」「どうぞ。鉄の格子があるから、元に戻しといてねー」
畑の周囲は、猪除けでしょう、鉄格子があるのです。おかげで、少し短縮。

へんろ地図のH270の地点。カーブミラーに書かれた遍路道の表示、Mさんが書かれた注意書きなど、すべてペンキを塗って消されていました。
寺から約9.7k、3時間20分で夏子ダムの畔、県道193号に出ました。

夏子ダムの傍にある休憩所。小さなお店があります。
おばさん2人、おじさん1人。おばさん1人は確かに店のひとと思えますが、あとの2人は手伝いなのか、暇つぶしに来ているのか不明。突然の遍路の登場に一気に賑わいます。
「おへんろさん、づーと歩いとん?足が強いんじゃねー、それに気ーもな。うちらもへんろするよ。阿波一国廻りでなー。足が弱いけー歩かれへん、バスや。ところでだんなはんは日本人とちゃうんじゃー、どっかの国がまじっとらへん?」
「えー、そんなこと言われたの初めてじゃ。わしには身に覚えのないことでござんすよ・・」
お参りしたのがこの山の上のお寺と聞いて、そのお寺の話になる。
「うちがハタチくらいときやったか、お寺が火事になってご本尊のお軸焼いてしもーてなー。前の住職さんが気ん毒なことなってしもてなー。今のお寺のちょっと先、お墓のとこや・・。」
「そういうことがあったですか。気の毒なことで・・。で、別格20番の桔願所のお寺としてはちょっと寂しいお寺でがんすなー。水も出ないちゅうことだし、近所に人家もないところで暮らすのは、並大抵の事じゃないでしょう・・」
「お寺の横に家建てとったろー。今のご住職がお布施せー、せーいうもんだけーあまりよー言われんのよー。うちは檀家じゃないけーえーけんど・・・」
おっと、際限がない・・。これ以上はカットですな。

多和の道で

へんろの影

朝通った山道の登り口の長谷まで4.5k。さらに多和を経て宿まで4.5k。
遍路は長い杖を持っているためか、大抵の犬には吠えられます。でも、散歩中の犬は安心。犬連れのお年寄りと取り留めのない話をしました。
何処からか、草と木を焼く香りが匂ってきます。

竹屋敷の宿は遍路には立派すぎる宿。でも温泉とうまい料理で寛げましたよ。
この宿の内外には多くの山頭火句碑があることでも知られます。見て歩くのも楽しいこと。そのなかのいくつかを記しておきましょう。

水音しんじつおちつきました    ずんぶり湯の中顔と顔笑ふ    涸れきった川をわたる

分け居れば水音    分け入っても分け入っても青い山    ひとりひつそり竹の子竹になる

空へ若竹のなやみなし    水あれば椿おちてゐる    カラスないてわたしもひとり

ひらひら蝶はうたへない


2年半を要した私の2巡目の遍路の旅の終わりでした。
これからはもう、すべてのお寺を順番に歩くことはないだろうな・・。どこかの堂守さんが言われたように、好きな場所だけ歩けばいい、電車やバスに乗ったり・・、そんなことを考えていました。


     本日の歩行:     万歩計不良のため計測なし
     地図上の距離:    33k  内7.3kは車利用

     (平成21年3月10日~3月18日)

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