黄金の水田の中の社倉


















     広島県の中央部、加計町下筒賀(現安芸太田町)に、社倉(しゃそう)が残されて
     いるという話を聞いた。社倉とは何か・・  江戸時代の中頃、広島藩は飢饉に
     備え、村ごとに麦を貯蔵する倉を設けることを督促したという。貯蔵された麦の
     一部は年々低金利で貸しつけることも行われ、利殖と救用を兼ね備えた制度で
     ある。
     この社倉は、県内各地に残るものの一つ。小規模ながら、建立時の状態をよく
     伝えているものと言われる。
     山間を縫う太田川に沿った国道を歩いていると、人に尋ねて聞くまでもない、少し
     高い場所の田圃の中に、特徴ある茅葺き屋根と白壁の倉が目に入ってくる。
     純白の壁、塗り直されて間もないようだ。
     黄金に染まりつつある豊かな稲の穂の向こうに、輝くような土蔵・・。
     社倉を設け、運用し、そしてこの時代にまで立派に維持してきた・・。村の人々の
     誇りを見る思いがした。
コメント ( 22 ) | Trackback ( 0 )