感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
黄金の水田の中の社倉
広島県の中央部、加計町下筒賀(現安芸太田町)に、社倉(しゃそう)が残されて
いるという話を聞いた。社倉とは何か・・ 江戸時代の中頃、広島藩は飢饉に
備え、村ごとに麦を貯蔵する倉を設けることを督促したという。貯蔵された麦の
一部は年々低金利で貸しつけることも行われ、利殖と救用を兼ね備えた制度で
ある。
この社倉は、県内各地に残るものの一つ。小規模ながら、建立時の状態をよく
伝えているものと言われる。
山間を縫う太田川に沿った国道を歩いていると、人に尋ねて聞くまでもない、少し
高い場所の田圃の中に、特徴ある茅葺き屋根と白壁の倉が目に入ってくる。
純白の壁、塗り直されて間もないようだ。
黄金に染まりつつある豊かな稲の穂の向こうに、輝くような土蔵・・。
社倉を設け、運用し、そしてこの時代にまで立派に維持してきた・・。村の人々の
誇りを見る思いがした。
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これはまた珍しいものを見せていただきました。
社倉と言うのですか。
初めて見ますね。
白の漆喰が見事ですね。
茅葺も凄い!
大事に残して欲しい文化遺産ですね。
それにしてもよく保存されている。漆喰が素晴らしく白いのは最近補修したのでしょうか。それとも白く塗装した?
田園の中に白い社倉は今でいう災難時の備蓄倉庫ですね、
此れは今でも使われているのでしょうか?
田園の中で佇む白い壁は良いですね
今年もまもなく収穫のときがやってくるようです。
白い小さな土蔵。
屋根の形が神社を思わせます。
穀物を蓄えることが出来るようになって、放浪の旅から土着の生活に変わった原点を見るような気がします。
知らなければ、見落として通りすぎるような
小さな倉ですけどね。江戸時代の備蓄倉庫と
聞けば、少々の感慨を感じますね。立派に
維持保存されています。生活の遺産ですね。
これは、江戸時代広島藩(浅野家)の政策と
して設けられたものですから、安芸の国特有
のものでしょう。
白壁は最近補修されたものと思われます。
塗装ではありません。本格的な漆喰です。
立派に保存されています。
まさに備蓄倉庫ですね。中には何か入って
いるでしょうが、現在は本来の役割で使わ
れているということはないでしょう。
文化遺産いや、生活の遺産でしょうね。
これはちょっと前です。今は、稲の穂が
もっと垂れて、黄金の色も増していること
でしょう。
こういう生活の遺産を見ていると、江戸時代
という時代がどんな生活の場であったのか、
見直されるべきだという気がします。
江戸時代から、大事に保存されていた建物なのですね。
こんなのが、たくさん残っているのですね、広島県。
緑がうつくしいですね、その中に白い倉。古きよき時代を見せていただきました。
そして茅葺とこの真っ白な壁が大変美しいです。
残して欲しい遺産ですね。
この制度はとても合理的というか、素晴らしい制度ですね。
太田町は遠いでしょう?稲穂が黄金色に染まり、
塗り立ての白い壁が美しい田園風景と、似合いますね、備蓄倉庫ですね、今でも、美しい姿ですから、大事に手入れと管理されてるようですね、
昔の方達の知恵蔵ですね
貴方のブログを拝見するたびに知識が得られて博学者になったような気分になり。またおとぎの国に誘われいるような気分になりますね。
それは枯雑草さんさの写真と文章の上手さのとりこにされてしまうのかも知れませんね。
★「社倉」、聞くのも見るのも初めてです。立派なものですね~。‘食物の金庫’って感じのものだったのでしょうか。
今回感じたのは一人より二人のほうがいろいろと気づくことも多かったということです。
そのうちに機会があれば枯雑草さんとも神社やお寺などを歩いてみたいと思います。
社倉は、村ごとに設けられたようです。
村の戸数に応じた大きさになっているのでしょう。
現在まで残っている社倉のなかでは、小さい方
です。でも、一番美しく、見事に保存されている
ものだと思います。
小さな何と言うことない倉なんですが、漆喰の
白壁と茅葺きの屋根が美しいですね。それが、
実りを迎える田圃の中にあると一入と感じます。
江戸という時代の素晴らしい生活の仕組みの
片鱗を見る思いがします。
大きなプールで悠々。気持ちいいでしょうねー。
安芸太田町というと、広島の人には馴染みない
ですが、加計町筒賀と言えば、あっそうかと
思うのでは・・。今は高速道路が出来て随分
近くなりました。1時間はかかりませんよ。
この社倉、ほんとに昔の人の知恵蔵ですね。
ありがとうございます。
そう言われると恐縮します。写真も下手だし
文章も苦手。ただ、古いものが好きですから。
特に江戸時代の社会の仕組みや人々の生活の
仕方、もっと見直され、評価されていいのでは
ないかと思っています。
この社倉というのは、江戸時代、広島藩
の政策として設けられたもので、他の地方
でもあるのかどうか、私は知りません。
江戸時代の世の中の仕組みの素晴らしさ
の一端を見る思いがします。
ほんとにそうですね。江戸時代の藩の政策
の前提には、人々の食物を大事にするという
思想があったのでしょうね。大いに見習う
べきことですね。
ピンピンシニアさんの探求心には
敬意を表しますよ。
人間の心の中の不思議、それが地球
とか宇宙に繋がっている・・
そういうことかな・・と思っています。