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記憶遺産の価値

2015年10月10日 | 時事
世界記憶遺産「南京大虐殺」登録 日本、ユネスコ拠出金の凍結検討
確かにおかしな登録だとは思いますけど、金をちらつかせる姿勢は余りよろしくないのでは?

南京については以前にも触れた通り、中国側の主張には歴史的事実に即さない点が多々あるので、登録するにしてもちゃんと整合性の取れた範囲で、誰もが納得できる状況にすべきでしょう。ただ教科書記述問題でも述べましたが、同じ事象でも被害者と加害者の言い分が異なるのは言わば当然のことですし、平行線になる部分は日本側の見解も含め、双方の主張を並列にして記憶させるべきです。一方的な主張のみ記憶させるのはこの制度の趣旨に反し、記憶遺産自体の価値が崩壊してしまう恐れがありますね。元々日本はこの記憶遺産への登録には文化・自然遺産ほど積極的でなかったと思いますが・・・その薄みをつかれたのかな?

つーか、そもそもこういう世界的に価値を認められるような制度って、海外のそれに頼るのではなく、何か日本の権威でもって発信することはできないのでしょうかね?日本人はノーベル賞然り、ミシュラン然り、ギネス然り、アカデミー賞然り、何か海外の権威によって「日本凄い!」と認められることに異常な執念を燃やす民族のようですけど、当然認められるためには何らかの出資が必要でしょうし、努力して勝ち取ってもこの前の産業革命遺産のように味噌をつけられるようではたまりません。対して、それらの主催者は例えばミシュランであればミシュランタイヤ、ギネスであればギネスビールなど、本業の知名度も世界的なものに高めることができますし、ノーベル賞などでは毎年授賞式にストックホルムへ各国の英知を招いてもてなすことでより賞の権威を高めることができますし、国のアピールにもつながっています。世界中の報道陣が注目し、観光産業にもプラスに働くことでしょう。宝くじなどでおなじみの主催者が儲かるシステムが、こういう「権威づけ制度」にも例外なく当てはまっているのです。

別にこれまでにない新たな価値を見出し認めていく必要はありません。賞に限らずとも、例えばイスラム教徒の食事に出していいという「ハラール認証」では、マレーシアが世界一厳格な基準で価値を保証し、世界中の食品メーカーがマレーシアで審査待ちとなっているわけです。こういう技術を保証するという分野では日本も世界一精密で誠実な産業国として、世界に対して何らかの価値を保証していくことはできるのではないかと思います。例えば工業製品に関するJIS認証などは、世界の製品を審査しその価値を保証していくことはできるのではないでしょうか。また和食ブランドも、明確な基準を定めて国が認定制度を立ち上げれば、世界中を虜にする日本食がさらに世界に浸透していくことでしょう。シャンパンやボジョレーヌーヴォーなど、地域名を世界的なブランド化していくのもありでしょう。考えれば他にも何かありそうですね。