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安土城址

2013年03月31日 | 自伝
ドライブがてら安土まで行ってきました。

教員の春休みは、3月中に片づけと引継ぎをし、4月からは1日より始業式まで会議会議で休みがありませんが、異動がなければ3月中はそれなりに羽根を伸ばすことが可能です。去年はこの隙に東北慰問の旅に出たわけですが、今年は学校までジョギングしてみたり変わっていく若い先生とバドミントンをしようとあくせくしたりしているうちに気付けば最終日となってしまいました(笑)明日からは日付もまたぎかねない忙しさなので、天気予報も芳しくなかったのですが強行することにしました。

んで、何故安土だったかというと、1日で行ける範囲の近場でまだ行ったことがなかったからです。何故なら、この辺の人は織田信長の城と言えば岐阜城なので、敢えて別の城の跡を見に行く気が起きなかったわけですね。そこで、春休みの読み物として借りてきた「学校では教えてくれない日本史の授業(井沢元彦)」を2巻まで読破し、そういえば近いのに行ったことがなかったなあと思い立ったのが理由です。完成後わずか3年で消失してしまいましたが、少なくとも秀吉や家康は完成した城にしばらくいたわけで、彼らの人生観に大きく影響を及ぼした城であることは間違いありません。信長はとにかく新しいもの好きであり、その発想も功績も斬新過ぎて逆に中々正しく理解されていない面もありますが、そのものすごさを理解した今が安土の地に足を踏み入れる時だとおもったわけです。

そんなわけで2時間ぐらいかけて安土駅周辺まで行き、手始めに「安土城郭資料館」へ入りました。

新しい!
色使いや装飾もさることながら、何とこの城、スイッチ一つで割れるのです(笑)20分の1スケールと言うことですが、見上げると最上階に座した信長のフィギュアが入っていました。
この出会いの後、博物館や安土城址でも同じようなミニチュアを見ましたし、「信長の館」では天守閣のみフルスケールで再現したものもあり、その色使いと豪華絢爛さに度肝を抜かれました。当時の「城」とは、墨俣の一夜城に代表される土塁を積み上げた物で、一種の要塞であることが多かったわけですが、この安土城はこれ以降に多く見られる「文化芸能の極みとしての城」の匂いが非常に強く感じられました。「逆説の日本史」にもありましたけど、信長はこの安土城をして、天皇家を見下ろし、浄土思想を下に敷いて、中華の国の賢人達と戯れる「現人神」として君臨する意志を表明したのです。「何を絵空事を」と思われるかもしれませんが、この城を実際に見た秀吉や家康がその後何をしたかというと、黄金の茶室を造って豪華絢爛さをアピールしたり、超絶技巧の細工を施した日光東照宮を築いたり、明らかに信長の後追いをしているのです。しかも、「豊国大明神」「東照大権現」などと、神になろうとしたことまで追随する始末。彼らはあらゆる面で信長の影響を受け、後に成功を収めたことで、信長自身の功績はかなりかすんで評価されてしまっていますが、彼がもう10年も生きていたらそれこそ唐入りも成功させ、天皇に取って代わる現人神として君臨していたのかもしれません。

徒歩でも回れる範囲に見所が詰まっていて、安土は中々面白いところでした。ただし、言っちゃ悪いですが安土城がなければただの片田舎だったことでしょう。ただ、信長がもう10年生きていたらそれこそこの地が東京のようになったかと思うと感慨深いですね。歴史の面白さを肌で感じた1日でした。

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