(株)カプロラクタム-blog

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エコキャップ詐欺

2015年04月11日 | 時事
ペットボトルふた回収のNPO、ワクチン代寄付滞る
全国からキャップを集めさせて私服を肥やしていたとは・・・とんでもないNPOですな。

このエコキャップ運動は学校や自治体、企業の間でも一時期かなり流行し、前任校でも過去にしばらくの期間やっていました。しかしシールをはがすとか数を数えるのが大変だったり、洗っていないor乾いていないのが混ざると途端にカビ始めたり、たまった後の運び賃や袋代が自腹だったりなど、中々に負担の大きな活動で、結局止めてしまいました。学校側のボランティア意欲などその程度ですが(笑)子どもの中には熱心過ぎる余り、近所のコンビニの回収箱からくすねてくる子もいて、崇高な目的があれば手段は厭わないというような「善意にはびこる狂気」を感じ、恐ろしくも思ったものです。第一、ゴミでも勝手に自分のものにしたら紛れもない窃盗罪ですしね。
自治体で行っている資源回収は、各種雑紙や布類、空き缶など、何となくリサイクルの先が見え、後々ちゃんと資源になっていくのだろうなあというのがある程度実感しやすい活動です。昔、このペットボトルの前身というべきプルタブ運動というのもありましたが、あれもアルミなので溶かして車椅子にするという理屈はまあ納得がいきました。蓋が缶から離れない仕様に変更されてからはなくなりましたけどね。しかし、このエコキャップ運動の「キャップ800個でワクチン1本」という題目には、素人目にも大きな破綻が見え隠れしています。キャップに含まれるプラスチックから抽出された成分がワクチンの原料になるとかならまだしも、どうやらそのNPOが各地からタダで譲り受けたキャップを売却して利益を上げることで、ワクチンを作っている団体に寄付をするというシステムだったようで、これなら個人が直接赤十字とかにワクチン代を寄付した方が余程中間搾取なく人助けになりますな。しかも「この日にソフトクリームを食べると1円寄付」「3.11検索でヤフーが寄付」などとは違い、賛同者に全く利益がなく、回収の手間や送料まで全てボランティアの名目で金銭的な自己負担を強いたのに関わらず、全く実績を上げていなかったというのは、本当にどういう神経をしているのでしょうか。完全に人の善意をあざ笑い上前をはねる行為で、強い憤りを覚えますな。

しかし、このNPOは糞だとしても、何も考えず安易に乗せられていた方も反省すべき点が多々あるでしょう。少なくとも、「騙された!」などと一方的に被害者ぶって抗議する立場にはありません。このスクープを出した朝日新聞も、実はこのエコキャップ活動を推進していた立場だったのです。これは自戒を込めて言いますが、この資金が万が一悪いことに使われていた場合、それを見抜けず資金提供をしてしまったわけですから、最悪犯罪の片棒を担いだことにもなってしまいます。例えば誰かに「お金の入った封筒置いてきちゃったから取ってきて」と頼まれ、親切にその通りに動いたらオレオレ詐欺の受け子扱いされ、逮捕されてしまうことだってありますからね。善意に付け込む側の悪事は当然罰せられるべきですが、善だと信じていたものが実は悪だった場合、それを見抜けずに加担してきた責任というのはちゃんと自覚するべきでしょう。へんな言い訳をせず、「自分のしてきたことも間違いだった」とその責任を認める覚悟が、絶対的な善だと思われているボランティア活動にさえあると思います。
ペットボトルキャップがワクチンになるというのはある意味「トンデモ科学」の類です。その仕組みを具体的に学ぼうともせずに相手の主張を丸呑みし、「人助けになるのなら」と活動を始めてしまう思考回路には、かなりの危うさが潜んでいますね。例えば今話題の沖縄基地問題で「辺野古反対!」と叫んでいる連中の多くは地元民でなく、本土の人間だと聞きます。アレをすると利益になる団体があって、そのために抗議活動を行うアルバイトやボランティアが集められているようですが、もしかしたら末端の人間は純粋に「沖縄のためになるなら」という善意で行っている可能性もあるのです。「やらない善よりやる偽善」とも言われますが、こういう「理解なき善意」というのは首謀者の思う壺というか、一種の洗脳状態ですから、それこそオウム事件のように「国家権力に支配されている愚民を救済してあげよう」という善意で暴挙に出てしまうことだってあるわけです。最近は就活に有利だからと言って、何でも良いからボランティアをしようという動きも活発になっていますが、下心のあるボランティアは本当の意味でのボランティアではないでしょう。特別支援にいた頃は夏にボランティアを受け入れて児童とすごしてもらう活動がありましたが、結局教師が教えることが多く、結構負担になる活動でした。特に「友達に誘われて」とか、「ボランティアでもしようかな?」という程度の覚悟では、受け入れ側にとっていない方がマシな場合も多々あります。まあこれも、「良いことしてる俺カッコイイ」という自己満足的な動機しか教えてこられなかった学校側の失敗でもあるのかも知れません。逆に清掃作業や震災復興等、人手が必要な場合は不純な動機や偽善でもとにかく助けが欲しいということもあり、ボランティア活動全てを否定する気はありませんが、準備や覚悟次第では逆に足手まといになること、善は絶対的ではなく、中には羊の皮をかぶった狼に騙される場合もあるということを肝に銘じておかなければいけないと思います。

あなたのしているその活動、本当に人のためになっていますか?自己満足のために他の何かを貶めていませんか?折角骨折るのなら、せめて活動趣旨ぐらいは自ら検証し、加担する覚悟をもって行動したいものです。