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東雲

2015年04月04日 | 自伝
梅雨かよ!とツッコミたくなる天気予報ですが、とりあえず今日は走ってきました。

1月150km、2月150km、3月200kmと、順調に通算距離を伸ばしてきましたが、先週春休みに入ったことを良いことに連走したら途端に右足が警告を発してきやがりました。
いちいちリンクを張るのも面倒なので(笑)簡単に説明すると、2年前の2月から走り始めたのですが、8月に犬を避けようとして右足を痛め、12月に復活。去年は5月にかけて500km走った時点でサボり、10月に復活しようと連走したら左足を痛め、今回はまた右足という有様です。1~3月は普通に走れるのですがね・・・これ去年は気づきませんでしたけど、何か既に両足とも炎症が持病の域に達していて、たまたま1~3月は寒いから疼かないだけなのかもしれません。まあ3日休んだし、1回15km程度なら何ともなさそうなので、今後は適当に妥協しつつ通年走れるようにしていきたいと思っています。ちなみに今回痛めた直接の原因は先週最長距離を27kmに伸ばし、翌日も13km走ったたからですが・・・自業自得ですな。

で、この時期は桜が満開で、足さえ痛まなければ非常に気持ちよく走ることができます。特に長良橋の辺りには鵜飼舟がずらっと並んでいて、金華山も綺麗に見えるお気に入りのスポットです。その鵜飼舟の話ですが、あれ一艘一艘に○○丸という名前がついているのです。岐阜丸というストレートなものから、道三丸、金華丸など、岐阜にちなんだ名前が多くつけられているようです。屋根に漢字とローマ字で書いてありましたから、走りながら適当に読んでいくと、「東雲丸」で思わずピタッと止まってしまいました。・・・これ、「とううんまる」ではありません。「しののめまる」と読むのです。
何という大和言葉!
・・・「篠の目」とは、篠竹でできた簾のようなものの隙間(目)から漏れた明かりを取ることで、転じて薄明かりとか、明け方に東の雲が光に染まってまだらに光ることを指すそうです。つまり、東雲を「しののめ」と読むのは完全に当て字であり、「本気」と書いて「マジ」と読むアレと同じ発想なわけです(笑)

元々日本には文字がなく、中国から伝わった漢字を当てたのが始まりですから、古墳時代の頃は「音」をそのまま使う言葉が多く誕生しました。今でも中国はマクドナルドを「麦当労」、コカコーラを「可口可楽」というように、そのまんまの当て字を多用していますが、当時日本で使われていた言葉も全て「音」を利用した当て字だったわけです。しかし、日本人はそれで満足せず、元明天皇(7世紀)の時代には早くも漢字の「意味」に注目した言葉が次々と誕生したのです。ちなみに大和を「やまと」と読むのも「意味」に注目した当て字であり、日本人が「私」という意味で我が国、吾の国などと言っていたのを中国人が聞いて「倭」という蔑称をつけたわけですが、そこから脱却するために「和」という言葉を選び、そこに元々の国名であった「やまと」を「大いなる和」に当てたのだろうと思っています。そう考えれば邪馬台国も「やまと」だったのかもしれませんね。漢字の読みが複雑なのはこうした表音文字と表意文字、当て字が混在し、さらに音もその時代ごとに中国で使われていた読み方を輸入したために当の中国では廃れてしまった読み方も律儀に記録していったものですから、複数の音読みが定着してしまったことにあります。ちょっと横道にそれましたが、東雲を「しののめ」と読むのは東雲→明け方の雲→薄ら明るい→篠の目→しののめという連想ゲームの結果であり、その飛躍具合が半端なく、太古の昔にこの字を当てた人の計り知れない才能を感じたという話でした。桜も綺麗でしたが思わぬ大和言葉の美しさにも魅せられるとは・・・
ちなみに梅雨(つゆ)も、黴が生える雨から黴雨(ばいう)→語感をよく梅雨→梅を漬ける時期だから→漬ゆ→つゆという説があるとか。こう考えていくと、言葉というのは時代に合わせて変わって当然であり、「日本語の元の意味はこうだからこの使い方はおかしい!」と新語に目くじらを立てすぎるのも無粋な気がしてきますね。

でも断じて「ゆう(言う)」と「すごいたのしかったです」は、「いう」「すごく」に訂正しますが(笑)