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拘束介護

2014年11月09日 | 時事
制度外ホームで「拘束介護」 約130人、体固定や施錠
高齢者や認知症の方の介護・看護は本当難しいですね。

亡くなった祖母が昨年入院した際、「身体拘束に関する同意書」のようなものがありました。手術の後、様々な管が繋がれた状態になりましたが、認知症がある場合、両手が自由のままだとそれを引き抜いてしまう恐れがあるため、「一時的な措置」として両手にミトンをつけるとのことでした。一見すればそんな自由が許される状況でないことは明白だったので、むしろそんなことのためにいちいち家族の同意を取らないといけないのかと思いましたが、厚労省によれば身体拘束は原則禁止であり、「生命に関わり、代替措置がなく、一時的に限り」やむを得ないとされているそうです。結論から言えば、祖母のミトンは誰かが見舞いに来ているうちは外していましたけど、亡くなるまでの10ヶ月間、解除されることはありませんでした。最近は病室に家族が24時間付き添うことも少なくなり、面会時間以外も医者や看護師が張り付いているわけではないので、やはりふとした拍子にチューブを抜いてしまう危険性がどうしても拭えないわけです。ただし、これもし患者が自分だとしたら、一時的ならまだしも痒い所も自由にかけない環境がずっと続くのは、確実に闘病以上の辛いものを感じますね。最近もアメリカで話題になった尊厳死問題も然りですが、末期医療・介護については何か当人と第三者との感覚に大きな隔たりがあるように思えます。

特別支援学校の時、「子どもの手首をつかむこと」が禁止されていました。子どもの行動を制止したりする時に、手をつなぐだけでは力が入らずすり抜けてしまいますから、普通の学校や家庭でも、子どもの手首をつかむことは結構頻繁に行われているのではないかと思います。しかし、力のない子どもにとって、手首をつかまれてしまうと振りほどくこともできず、絶対に従わざるを得ない状況となってしまい、その結果「子どもの支配」につながってしまうのです。たとえ振りほどかれようとも、相手の「拒否する権利」は認め、何度でも手をつなぎ直す。この繰り返しによって本当の信頼関係が生まれていくのではないか。拒否することすら封じ込められた子どもがどう育つか・・・この考え方を聞いて「なるほど」と思い、今もそうすることにしています。虐待や体罰の問題も、大人のエゴを押し付けている面で同じなのかもしれません。もちろん身体拘束については尚更です。もっと大きく言えば、支配と隷属と言う関係は奴隷制度に当たりますから、日本国憲法18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。」に反していると言えるでしょう。

かといって、実際問題チューブを抜かれては命が危ないですし、その数秒の行為を24時間監視するというのは不可能です。そして、もし事故が起きてしまった場合、間違いなく本人の過失ではなく医療・福祉現場の責任問題になってしまいます。そうしたリスクも鑑みれば「やむを得ない場合」が存在するのは仕方がないと思いますが、記事のように一律拘束はおかしいとしても、じゃあどうすればよいのかとなると非常に難しいですね。「身体拘束を伴う方の入所お断り」では困りますし、人手を極端に増やし、訴訟リスクにも備えるため入居費用を跳ね上げるぐらいしか思いつきませんが・・・誰も入れなくなりますな。

これはもう、自分の親は自分が面倒見るという当たり前の価値観を取り戻す時なのかもしれません。