月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

週休2日という目標

2015-05-08 | 仕事
ここ最近の体調不良で仕事がたまっていっていたところに、ええい!と思い切ってGWも6日間休みをとったので、連休明けから大変な事になっている。
今、目の前に貼られている原稿リストだけで11本。
中には「本」という単位で数えられないようなものもあり、おそらくそれは1本だけで20時間はかかる。
そんなことを考えながら見ていると動悸がしてくる。
それなのに、まだ今月中に取材が最低5件。出張も2箇所ある。
一体いつ原稿を書くのかと時間のやりくりを考えてみるが、途中で考えるのが怖くなって「とりあえず書こう!」と気持ちを切り替える。

そういえば、今年の目標はきちんと週休2日とって、メリハリのある生活をすることだった。
アウトプットばかりで枯渇している自分をどうにかしたくて。
休みの1日は普段できない家事をしたり、夫や友人と遊んだりする。
そしてもう1日の休みは「自分だけ」の時間を作る。本を読んだり、DVDを見たり、ガーデニングをしたり、何かを作ったり、いわば趣味の時間。
そうやって、5日必死に働き、2日休むという生活をしたかったのだが、ちっとも実現せず・・・。
はぁ・・・。

「仕事が間に合わない」→「土日潰してやればいいか」
ずっと当たり前にしてきたこの思考を、いい加減どこかでやめなければならないとずっと思っていて、今年こそは実行しようと思っていたのに、結局そのまんま。相変わらずダメな私。

でも、毎日は楽しい。

毎日いろんなことを知る。新しい知識を得る。
昨日は、輸入車のコーティングなどの仕上げをする会社の取材だった。
車に全く興味のない私だから、普通に生きていたら接することなど決してない世界。
そういうことを日々感じながら、この世のいろんなものとの接点を増やしながら、この仕事をしている。

引っ込み思案でオタクの私。
きっとライターをしていなかったら、自分の世界から一歩も出ることはなかっただろう。そう確信できる。
視野の狭い、無知で偏った人間として生きていくことしかできなかったはず。
今もプライベートではその要素は多分に持っているが、それでも随分と物事を多面的に見ることはできるようになったと思う。

いろんな知識を得られて、たくさんの人に出会えて、好きな文章を書かせてもらえて、それでお金がもらえて、おいしいお酒が飲めるなんて、私は本当に幸せ者だなぁ・・・。

旅の話をしよう。~17年ぶりの再会

2015-05-06 | 
気づけば5月に突入。
ゴールデンウィークは九州に旅行に行っていた。
30日の夜~4日までと、やや長めの旅行だったので、かなりリフレッシュ。
1日1日が濃厚で感動的な旅だった。

体調もようやく回復。
3月半ばから1ヶ月半も悩まされた「咳」がようやく止まった。
咳のし過ぎで、どうやらあばら骨にヒビが入っているようだ。
人に聞くと、咳のしすぎで折れることはよくあるそうだ。
病院に行ったわけではないが、明らかに骨に痛みがあり、それが尋常な痛みではない。寝返りも伸びもできない日々が続いた。
それもなんとか日常生活に負担がないくらいには回復。
もうちょっとだ。もうちょっとで元気になれる。

ただ、人間ドックの結果はさんざんで、これから1年かけていろんな再検査を受けていく必要がある。
それについては、また・・・。

ブログも書くことができずにいたが、旅の話は少しずつ書いていきたい。
しっかり休んだので、仕事も山積み。これからハードだが、しっかり休みをとって心も体もリフレッシュできたことは本当によかった。
おかげで今週末は休めそうもないが・・・。


さて、旅行の話。その1:「17年前ぶりの再会」


死ぬまでにいつかもう一度訪れたいと思っていた店がある。
それは福岡・久留米にある某アイリッシュパブ。
最初に訪れたのは1998年の7月、旅行ガイド誌の取材でだった。

このゴールデン・ウィークに行った九州旅行の目的の1つは、この店の再訪。
私にはどうしても行きたい理由があった。

久留米に着き、懐かしいパブのドアを開けると、カウンターの中にはマスターが1人。
夫と2人でカウンターの椅子に腰掛け、「ギネスください」と私。
白いクリームみたいな泡のギネスビールが注がれるのを待ってから、おもむろにマスターに切り出した。

「あの・・・。覚えていらっしゃらないと思うんですけど・・・私、17年前にこちらに取材に来たことがあって・・・」

そう言うと、マスターはまるで私が来ることを知っていたかのように、私の名前をフルネームで呼んだのだ。
信じられなかった。
17年前に、たった一度訪れただけのお店のマスターが、私のことを覚えていてくれたのだ。

あまりの出来事に驚きと感動で震えが止まらず、「え?なんで?なんで?」とバカみたいに繰り返しているとマスターは言った。
「いつかもう一度来ると思ってましたから」と。
その瞬間、私の目から涙がポロポロこぼれた。

*   *   *   *   *

1998年夏。
私はまだ20代の駆け出しのライターだった。
大学を卒業して就職もせず、急に「フリーライター」になったものだから、まだたいした仕事はなかった。
その時も「るるぶ福岡」という旅行ガイド誌の仕事で「久留米20件、柳川8件行ってきて!」と頼まれ、1人で旅立ったのだった。

やってきたのはいいが、猛暑。
見知らぬ街をたった一人で歩き回り、「これは!」というお店を見つけると取材交渉から始め、その場で取材。撮影までやって、帰って記事を書いて、1件たったの2000円程度。
そんな過酷な仕事だった。

しかし、何でもやらなければならない。
どんな小さな仕事でも誠意を尽くして遂行しなければならない。
それが必ず後の仕事に繋がっていくはずだ。
そう思ってひたすら任務をこなしていた。

今のように「食べログ」もない、スマホもない。自分の足で歩いて、自分の嗅覚を信じて良い店を紹介するしかないので大変だ。
そのうえ、真面目な私は「適当な店」を掲載することはイヤだった。
少しでも美味しい店を・・・、こだわりのある店を・・・。そう思って見つけた店はだいたい「本物」で、だからこそ取材には応じてくれなかった。
「うちはいいよ。常連さんで十分なんで」
「そんなガイドを見た人に来られて、常連さんが入れなかったら悪いので」
そう言われることもたびたびで、がっくりしながらも自分の「嗅覚(美味しいものアンテナと私は呼んでいる)」に自信を持ったりもした。

そうして2日目の終わりにたどり着いたのが、アイリッシュパブだった。

ここからは、私が当時、この日の思いを書いた文章をコピペする。

まだすべての取材を終えられない焦りをもって、フラフラになりながらホテルに帰ろうとした。
その時、夜になって1軒のパブに灯りがともっているのを見つけた。
これも嗅覚だ。「このパブはいいかも……」
私は今日最後の仕事にしようと、その店のドアを開けた。
中は薄暗く、英国調の雰囲気。奥のカウンターにマスターらしき初老の男性がいた。
思い切って近寄り、取材のことを頼んでみた。
マスターは「る○ぶ」を手にとり、一瞥すると、冷たく言い放った。
「こういうのはいいよ。前にも取材されたけど、こっちが話したことと違うこと書かれたからね」
頑として受け付けないという態度だった。ほんの少しの隙間も見つからなかった。
それでも、私は引き下がるわけにもいかず、マスターに必死に頼み込んだ。「私はちゃんと書きますから!」そうも言ったと思う。
すると、あまりのしつこさに折れたのか、マスターは言った。

「じゃあ、あなたはこの店を見てどう思う? 私は何も話さないから、あなたが見たことを書いてみて。載せる前にそれを読んで決めるから」

……挑戦だ!
これは私への挑戦なのだ!
私はこういうときに引き下がるタイプの女じゃない。自分の中でフツフツと何かが燃え上がるのがわかった!

「じゃあ、ビールを」

「え?」

私はカメラもメモもペンも名刺もすべて置いて、カウンターのイスに座った。

「ビールください。今日はもう仕事は終わりなんで、今からは客として飲みます!」

マスターはさっきとは明らかに違う視線で私を一瞥し、黙ったままでビールを注いだ。
クリーミーな泡。コクがあるのに爽やかな喉ごし! やはりこういうビールを隠してたか、この店は……。
私が素直に感想を言うと、マスターは初めて語り始めた。こだわりをもったギネス生ビール。1杯700円だ。私は心の中にメモった。

ビールを飲み終わる頃、マスターと私の前にはもう厚い壁はなかった。

「こういう雑誌はね、”おしゃれな”とか、すぐに使うでしょう。女性向きに書くんだね。でも、私は旅の途中のバックパッカーたちが立ち寄って、旅の情報を交換するような店のつもりだから」

私はうなずいて、周りを見渡した。アンティークな家具。英国の雰囲気。古いジュークボックス……。きっとこれらに何か想いがあるはずなんだ。それをどうしても引き出したかった。
そこで、今度はウイスキーを注文した。
スコッチ・ウイスキーをロックで私の前に置き、マスターはようやく笑顔になって言った。

「こんな取材の人、今までにたくさん来たけどね、お酒をほんとに飲もうとしたのは、あなたが初めて」

その一言で、私はマスターの挑戦に勝ったことを知った。

それからのマスターはもうひたすら自分のことを語り続けた。若い時のこと、今の暮らし、そしてこのパブへの想い……。若い頃、世界一周したのだと言い、私が興味をもつと奥からアルバムまで持ってきてくれた。
そのアルバムには、若いマスターとお友達の写真がいっぱいだった。いろんな思い出話もしてくれた。
そして、イギリスに行った時、このお店のようなパブに通っていて、どうしてもそれをここでも再現したかったのだと話した。この店はマスターの若い頃の夢がいっぱい詰まっていたのだ!
それを聞いて、酔っ払った頭の奥で、「書けるなぁ」と思っていた。記事はほんの数行。私の想いもマスターの想いも入れるスペースはない。だけど、ちゃんと書けるなぁと思っていた。

すっかり仲良くなって、ホテルに帰り、トイレでゲロゲロ吐いた。翌日は地獄だった。だけど、不思議と頑張れた。
なんとか予定の日数で取材をすべて終え、大阪に帰るとまず最初にマスターの店の記事を書いた。そして、入稿前に郵送でマスターに送った。
2日ほどして、マスターから電話があった。そして、こう言ってくれた。

「ありがとう。ちゃんと私が書いてほしいことが書けてたよ」

電話を切った後も、嬉しくて興奮が止まらなかった。

たった数行の誰の目にも止まらないような小さな記事。
だけど、書かれる人にとったら、それは愛情と思い出がいっぱい詰まった店なのだ。
「どんな小さな記事でも、いつも全力で書こう」
過酷で安い仕事にうんざりしていた私にとって、マスターとの出会いはとても大切な修業の場だった。



*   *   *   *   *

きつい仕事の時、何のために書いているのかわからなくなる時、慣れと要領で書けるようになり、怠慢が顔を出す時、私はいつもこのマスターのことを思い出していた。
そして思っていたのだ。いつかもう一度訪れたいと。一人前のライターになって書き続けている姿を見てもらいたいと。

この旅で、17年越しの思いをようやく実現したと思ったら、まさか覚えてもらえているなんて・・・!!

実は、私は当時自分のホームページを作成していて、その中のエッセイコーナーに上の文章(青字)を載せていたのだが、それをこのパブの常連さんが偶然読んで、この店だと気づいてマスターに話したので、マスターもこのエッセイを読んでいてくれたという。
そういうことも全く知らずにいた。

「あの頃、久留米のタウン誌の人が来るといつも見せてたよ。取材するなら、これくらいの気持ちでやらないとダメだって」
そうも言ってくれた。

さらに、「1つだけ、あの文章で気に入らないことがある」とも。
「私のことを『初老』って書いてたでしょ?あの時、私はまだ40代だよ」

私ってば、なんと失礼なことを!!
20代の私には、落ち着いたマスターの風貌が随分年上に見えたのだ。(現在64歳)

私が「失礼しました。すみませんでした」と謝るのを見て、マスターは自分のグラスにもビールを注いで飲んだ。
それから小一時間ほどおしゃべりしてホテルへ戻った。

私はずっと胸がいっぱいだった。
幸せで、幸せで、本当に心の震えが止まらなかった。
ようやく会えた。覚えていてくれた。お元気だった。変わらず素敵なパブだった。

そして、17年前と同じように気を引き締める。
「どんな小さな記事でも、いつも全力で書こう」

幸い、今はいろんなご縁で、何十ページ、何百ページという大作や、日本酒業界の雑誌など、やりがいのある仕事をたくさんいただいている。
だけど、仕事の大小に関わらず、私の姿勢は変わらない。
「いつでも全力!」
今までも、これからも。
バカみたいに真面目で熱くていいのだ。
きっとあの頃の「全力」があったからこそ、今があるのだから。