ご縁があって、秀蓮さんという書家の方の個展によく伺っている。
http://shu-ren.jp/index.html
今回は京都の法然院での開催。
帰りに新緑の哲学の道を歩いて帰ろうと、そんなことも楽しみに思いながら夫と出かけた。
緑が目に眩しい、静かな境内の講堂にて。
お着物の方が秀蓮さん。
今回も魂に迫る作品ばかりで、何度も胸を押さえた。
いつも最後に「どれがよかったですか?」と聞かれる。今回はこれ。
孟子の言葉である。
「至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり」
吉田松陰先生に影響を与えた言葉ということも大きいが、愚かな私自身のポリシーともかぶるところがある。
誠を尽くせば、人は必ず心動かされる。
そう信じていなければ、何もできなかったと思う。
秀蓮さんは幕末好きなので、その時代の志士たちの言葉や関連したものが多い。
「魂」の下の「狂」も吉田松陰先生のことを書いたものだ。
見ているだけで熱くなる。
彼女の想いが紙の上からあふれてくるようだ。
こういう強い思いをぶちまけたような作品もとても好きだが、私は細い線の優しい作品にとても惹かれる。
「桜」もステキだった。
どれもこれも感動して、とても良い時間を過ごせた。
秀蓮さんとのご縁を作ってくれた、あんこちゃんにも心から感謝。
絵が好きで美術館に行く方ならわかると思うが、画集や写真などからは絶対伝わらない「生」の感動というものがある。
次回何か開催されるときは、早めにこちらでも告知させてもらうので、興味のある方はぜひ行ってほしい。
この日は夫と哲学の道を歩いて帰った。
「感動するっていうことは、何かそれによって『考えること』があるってことやと思う」と夫。
私は何を考えたのだろう。
自分が見失ってしまった「野心」や「あふれる想い」のことだろうか。
秀蓮さんの作品に出会うと、いつもそれを思い出してしまう。
何かを生み出したいと思う、あの純粋で熱い心を。
紙とケンカするような、紙にぶつけるようにして書いていた、不器用だけど本当の「自分」。
ずいぶんと器用になったもんやね、と皮肉ってやりたくなる。
見えないものを見ようとするより、目を閉じて生きたほうがラクやから。
http://shu-ren.jp/index.html
今回は京都の法然院での開催。
帰りに新緑の哲学の道を歩いて帰ろうと、そんなことも楽しみに思いながら夫と出かけた。
緑が目に眩しい、静かな境内の講堂にて。
お着物の方が秀蓮さん。
今回も魂に迫る作品ばかりで、何度も胸を押さえた。
いつも最後に「どれがよかったですか?」と聞かれる。今回はこれ。
孟子の言葉である。
「至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり」
吉田松陰先生に影響を与えた言葉ということも大きいが、愚かな私自身のポリシーともかぶるところがある。
誠を尽くせば、人は必ず心動かされる。
そう信じていなければ、何もできなかったと思う。
秀蓮さんは幕末好きなので、その時代の志士たちの言葉や関連したものが多い。
「魂」の下の「狂」も吉田松陰先生のことを書いたものだ。
見ているだけで熱くなる。
彼女の想いが紙の上からあふれてくるようだ。
こういう強い思いをぶちまけたような作品もとても好きだが、私は細い線の優しい作品にとても惹かれる。
「桜」もステキだった。
どれもこれも感動して、とても良い時間を過ごせた。
秀蓮さんとのご縁を作ってくれた、あんこちゃんにも心から感謝。
絵が好きで美術館に行く方ならわかると思うが、画集や写真などからは絶対伝わらない「生」の感動というものがある。
次回何か開催されるときは、早めにこちらでも告知させてもらうので、興味のある方はぜひ行ってほしい。
この日は夫と哲学の道を歩いて帰った。
「感動するっていうことは、何かそれによって『考えること』があるってことやと思う」と夫。
私は何を考えたのだろう。
自分が見失ってしまった「野心」や「あふれる想い」のことだろうか。
秀蓮さんの作品に出会うと、いつもそれを思い出してしまう。
何かを生み出したいと思う、あの純粋で熱い心を。
紙とケンカするような、紙にぶつけるようにして書いていた、不器用だけど本当の「自分」。
ずいぶんと器用になったもんやね、と皮肉ってやりたくなる。
見えないものを見ようとするより、目を閉じて生きたほうがラクやから。