月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

地味なプレッシャー

2014-05-08 | 仕事
6日から仕事を再開したが、3日目で既にフラフラ。
こうなることはわかっていてたっぷり休んだのだから自業自得。
しかし、眠い。

さっき、ようやく酒蔵の原稿1本、デスクからOKが出た。
ホッとしたが、あと2本!!1週間でできるのかなぁ・・・。他の取材もめっちゃ入ってるのに!

昨夜、3時頃まで頑張って書いていて、翌朝のことも気になるからそこで終了して布団に入ったのだが、原稿を書いている途中だとそのことで頭がいっぱいになってなかなか寝付けないことに気づいた。
寝ていてもずっと夢の中で文章を綴っているのか、眠りが浅いのだ。

それに、他にもいろいろと気になることがあって落ち着かない。
新規の案件を受けることになって、GWの谷間で打合せをしてきたのだが、それがどうも難航しそうな予感があって。
その案件自体はいいのだけど、間に入ってくれているKさんがクライアントに対して結構ハードルを上げるものだから、それだけのことを本当にやれるのだろうかと気になって仕方がないのだ。

クライアントは、「こちらである程度の構成はしますので、ライティングだけをお願いしたい。その代わりもう少し安くしてほしい」と言って来たのに、Kさんは受け付けず、「ライターが構成までやるので、この見積りでしか受けません」と返事をしたようなのだ。
先方にしたら、「ほぅほぅ、そこまで言うならやってもらいましょうかね。それだけ強気でやるからには、よほど素晴らしいものを作ってくれるんでしょうね。」と言いたいところだろう・・・。

私としては最初なので価格を下げてもいいから様子見をしたかったのだけど。
慣れてきてこちらが主導権をもてるようになってから、「ここまでやるので」と価格を上げるという段階を踏みたかった。

この案件、うまくいけば定期的(年4回)にもらえる仕事になるのに、最初につまずいたらなくなるだろうなぁ・・・。
私としては多少安くても定期的な案件のほうが魅力的なわけで・・・。
でも、そんなことKさんに言えるはずもなく、結局ものすごいプレッシャーの中、来週取材に行くのである。

やるしかないし、できると思うけど(そう信じたい!)

そんなプレッシャーはあるものの、やっぱり「新しい仕事」というのはいつだって楽しみだ。
新しい人や企業との出会い、新しい場所で書けること。すべてがワクワクする。
「新しい」ということは素晴らしいね!

まあ、いつものように地味な媒体ではあるが・・・。
自分には華やかな案件というのはまわってこないものなんだろうな。向いていないし。
とにかく地味で一般人の目に触れない「業界もの」ばかり。
取材対象は大手企業だけれど、華やかさは一切ない。
でも、そういうのが好きなのかも。

さあ、ぶつくさ言ってないで、今晩も原稿頑張ろう!
眠気さましにコーヒーを3杯飲んだが、お腹をくだしただけだった。眠い。

「赤毛のアン」と私

2014-05-06 | 想い
ゴールデンウィークが終わった。
しっかりオフを楽しんで、今日(6日)からはぼちぼち仕事。
早速明日の朝早くから取材が入っているし、いろんな提出物もあるので、今日からやり始めた。

しかし、盛りだくさんで楽しくて幸せで、本当にいい休暇だった。
おかげで、たまりにたまった仕事の山とは明日から本気で格闘せねばならないが、それはそれ。また頑張れる。
こういうオンとオフの使い分けは大事だと思う。

特に私の場合、夫と普段の生活ではほとんど顔を合わせることも会話をすることもないので、「休暇」=「夫との時間」と言ってもよい。
毎日毎食が「孤食」である私にとって、夫と毎食を共にできることがまず幸せ。
このゴールデンウィークも、夫が仕事の山を終えたタイミングと合って、8連休ほどとれたので、それに合わせて私も休むことにした。
毎日毎日一緒にいて、1年分くらい充電した!!
連日連夜飲み続け、遊び続けで、夫は体調を崩したが(!)、それでも楽しい休暇だったと思う。
そういう話はまた追々書いていこう。

今日は数年ぶりに「赤毛のアン」の映画を借りてきて観た。
日本では1986年に劇場公開された、ミーガン・フォローズ主演の映画だ。
当然、映画館でも観て、その後テレビ放映されたときにビデオ録画したから、何度も何度も繰り返し観た。

私は自分の好きな本が映画やドラマになるのをあまり好まない。
もともと映像が苦手な理由とかぶるが、文章だからこそ持ち前の想像力を発揮できる楽しさがあるのに、映像で見せられてしまうと想像の余地がなく、がっかりさせられることが多いからだ。
ただ、この映画を観たとき、その「がっかり」感は一切なかった。むしろ、文章から想像していた通りの人々が実写で動いているのを見て感動したものだ。
特にミーガン・フォローズのアンは最高だった。
まるで物語の中から抜け出てきたように、アンそのものだった。(できることなら「そのもの」に傍点をつけたい!)
マシューもマリラもギルバートも。しいていえば、ダイアナだけがちょっとどっしりとしすぎていたけれど。
(同じく「風と共に去りぬ」もほぼ完璧だったのに、アシュレーだけが!)

もちろん、今日、今更、この映画を観ようと思ったのは、朝ドラの「花子とアン」の影響だ。
夫も一緒に朝ドラを見てくれているので(もちろん録画をまとめてだが)、ぜひ「赤毛のアン」のことも知ってほしいと思ったのだ。

観ていると、私は決して人が泣かない場面でポロポロ泣く。
夫が不思議がって「え?今泣くところ?」と言う。
いや、違うんだ。その場面に感動しているわけじゃないのだ。もうこれは何をどうと説明していいのかわからない。
ただ1つのシーンが、1つのセリフが、まだ少女だった頃の自分をよみがえらせてしまうのだ。
未来は希望と光で満ち溢れていて、自分は必ず「何者か」になると信じていて、野心でいっぱいだった幼い自分を。

夫が何度か大げさなアンのセリフを聞いて「かおりみたいやな」と言った。
私の好きな言葉、「明日はまだ失敗のない新しい日!」というセリフが出てきて、「これか!」と言った。
私がどれだけモンゴメリを愛し、どれほどに影響されてきたか。
単に映画のストーリーを楽しんでくれただけでなく、そのことを理解してくれて本当に嬉しかった。
「アン」は自分の物語の原点だけど、「エミリー」は自分の書くことの原点。
大人になってから読んだ多くの文学作品など何の意味もなくなるほど、この二つが「私」という人間を創っていると言っても過言ではないかもしれない。

長い休暇を終えて、久しぶりにパソコンに向かったこともあるけれど、今日は胸がいっぱいで、いつまでも文章を書き続けたいような気持ちだ。
ただ、明日も早いのでそろそろ終わりにしなくては。
しばらくブログからも遠ざかっていたけれど、今日をきっかけに少しずつまた書いていこうと思う。
なんでだろうな。ちょっと書く気持ちになれずにいたのだ。
いろいろと淋しいこともあったし。

でも、結局はここに戻ってくる。
ここしかないんだよな。
アンが腹心の友を得る前はずっと、鏡の中に映る自分だけが友達だったように。
自分を映すものというのは、時に人の心を慰める。