月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

自己満足

2014-05-12 | 想い
私の場合、取材相手というのは、一期一会というか、一度だけ会ってそれで終わりというケースが非常に多い。
「だから」適当に接することも可能。
「だけど」まるで長い付き合いになる人のように接することも可能。

自分はいつもできる限り後者でありたいと思っている。
それはこちらの一方通行で終わることもあるし、たまに同じような思いを持っている方に出くわして、一度きりでもとても気持ちの良い関係が築けることもある。

先週取材した人はそういう人で、後でやりとりするちょっとしたメールもとても素敵だった。
長い人生の中で一瞬すれ違うだけの人でも、やっぱり気持ちがよいほうがいい。ほんの少しでもほっこりあたたかい気持ちになるほうがいい。
次の仕事に繋がるわけでもないし、報酬に反映されるわけでもないけれど、いつもできるだけ丁寧に、誠実に、ちょっとおせっかいなくらいに、相手に接するようにしている。
まあ、自己満足だな。

タクシーの運転手さんと一緒。
私は電車を乗り過ごしたり、仕事で移動したりと、わりとよくタクシーを使う。
昔からいつも思っていた。
タクシーの中は誰も見ているわけじゃないし、よほど悪い対応をしないかぎりは訴えられることもない。
飲食店のようにこちらが選ぶわけにもいかないので、どんな対応をしようが自分の売上にはほとんど反映されない。
「だから」適当に接することも可能。
愛想悪く、一言も口をきかず、言われた場所に連れて行って、お金をもらえばそれでいい。
「だけど」まるで長い付き合いになる人のように接することも可能。
ニコニコして、気持ちよくて、「忘れ物はありませんか?」と声をかけてくれて、ちょっと面白い話もしてくれて、丁寧で礼儀正しくて、降りた後になんだかほっこりするような、そんな対応をしてくれる人もいるのだ。

前者と後者で報酬に変わりはないかもしれない。
じゃあ、どうして後者の人はそうするんだろうって、いつも考えていた。

結局、自分が気持ちがいいからなんだと思う。
人の喜びは自分の喜び。
お客さんが「ありがとう」って言ってくれる。それを聞く楽しみ。人の役に立っているという誇り。
そういうものをもてるかどうか、それだけの違いなんだろうなぁ。

私の仕事もその時限りの出会いが多いけど、気持ちの良い対応をしたい。
自己満足でいいのだけど、相手もそう思ってくれていると、呼応したときの喜びはまた格別。
今日、改めてそんなことを考えていた。

今日は雨。
でも、朝はまだ晴れていて、庭のツルバラがとてもきれいだった。


こんなに満開だったモッコウバラはもう枯れた。


八重のハナミズキも。


これからまだどんどんいろんな花が咲く。
手入れを怠っているので、今週末は絶対に刈り込みをしなければ。

少々キツいことがあっても、落ち込むことがあっても、自信をなくすことがあっても、春はいい。
家の外に出て、庭を見て、駅まで歩いているだけで、幸せな気持ちが戻ってくるから。