月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

怒涛のような2カ月を終えてわかったことがある

2022-02-02 | 想い
怒涛のごとく過ぎ去った2カ月だった。
眉間にしわを寄せ、ため息をつき、文句を言うことが多い2カ月でもあった。
自信を失ったり、酔った自分の発言に嫌気がさしたり、落ち込んだりすることも多い2カ月だった。
結果的に、あまり体調のよくない2ヵ月だった。
救いは、そんな中のCT検査(定期検診)にも関わらず、結果がよかったことだ。
12月の検診もクリアできたので、次は4月。しかし、安心はしていられない。こんな精神的なストレスとダメージを受けていたら、次こそ悪い結果になるかもしれないと思い、ようやく生活と自分自身を立て直した。

前回も書いたのだが、ある案件によってこの2カ月はかなり振り回された。生活も、精神的にも。
制作側はディレクター不在で責任を押し付け合い、クライアント側は素人集団のくせにしゃしゃり出て文句ばかり言う。
関係者全員が敵のように感じて、途中からはもう精神がボロボロだった。

私はなんとか和解して、最終的に「良いもの」を作ろうとした。
私が書くものが気に入らないならそれでいい。でも、素人が単に自分の思いだけで文章を削除したり繋いだりすると、絶対におかしなものになる。
気に食わないかもしれないが、やっぱり「餅は餅屋」なんだ。
だから、「こう書いてほしい」ということをちゃんと伝えてほしくて、とても丁寧なメールを送った。
関係者の皆様にとってより良いものを作りたいので、ご要望をお伝えください、と。こちらでご要望に沿えるような文章に書き直しますから、と。
「自分は監修役ではない」と言い張るデザイナーさんの業務を減らすためでもあった。
デザイナーさんに直にいかず、私が修正内容を承ればいいと思ったのだ。なんとか皆のバランスをとりたかった。
ものを作る人間として、「良いものを作りたい」という一心だった。自分のプライドの問題ではないのだ。

それが、3日経っても何の連絡もなかった。
4日目にデザイナーさんから連絡があり、あれだけお願いしたのに、クライアントは私をすっ飛ばして自分たちで修正し、もう取材先に最後の確認がまわっていることを聞いた。
その瞬間はカッとなったが、少し経つと逆にすっきりしている自分に気づいた。
より良いものを作るためにと、ここまで丁重にお願いしたのに、相手はスルーしたのだ。
一時は、自分が悪かったのかなと、いつもの癖で、まずは自己嫌悪に陥っていたが、もうここまでくると相手の人間性・社会性のほうがおかしいとわかったので、ああ、こんな人のことで悩むのはバカバカしいと思えた。

それに、取材先へのチェックにまわっているという最終原稿を見てびっくりした。
偉そうに私の書いたものに文句を言っていたが、「てにをは」レベルの間違いだらけ。
文法も言葉の使い方も、まるで中学生。
素人がやりがちな「それっぽい」表現を使おうとしているが、つなぎがめちゃくちゃでまったく意味がわからない。(雰囲気だけ)
私が書いたものを部分的に削除しているから、せっかくとれていた文章のリズムもめちゃくちゃ。
哀しさを超えて、もう笑うしかなかった。

はい、終了~!ピー――――ッ!

自分の中で試合終了のホイッスルが鳴った。

記名入りの記事でもないし、商業誌でもないので、本当によかった。
今回は「たたき台」を提供したと思えばいい。あの人たちが好きなようにこねくり回して、おかしなものに仕上げればいい。
私はまったく関係ないし。
そう思えたら、もうどうでもよくなって、すっきりした。

それよりもデザイナーさんとの関係性修復のほうが大事だと思った。
私vsデザイナーさんvsクライアントよりも、私&デザイナーさんvsクライアントの図式の方がいいと思ったのだ。
最初は「ん?」と思ったが、ここまでくるとデザイナーさんも被害者ではある。
それに、「良いものを作りたい」という気持ちは同じで、私のことも考えて、間に立って奮闘してくれたことは事実だ。

「もうすっきりしました。吹っ切れました。それより、間に立って奮闘してくださってありがとうございました。」
そういう意味のことを伝えたら、デザイナーさんもホッとしたのか、以前のように優しい口調に戻った。
そこからは「味方」の絆が強まり、関係性は良くなった。

私も大人になったなぁと思う。
10年前くらいだったら、もうブチ切れて、それで終わりだっただろう。
クライアントはともかく(どちらにしろ継続的なものではなく今回だけの関係。クライアントの事務所自体がこの事業のための短期の寄せ集めで制作とは何の関係もない業種の人たち)、デザイナーさんとは長い付き合いだし、これからも仲良くさせてもらいたいと思っているので、早めに自分の中で切り替えができてよかったと思っている。

また、今回のことでいろいろと考えることがあり、自分が次に進むための良い機会になったとも思っている。
これからどんな仕事をしていくか、何を書いていくか。

そして、このことは、私の体調にも密接につながっている。
私の中のガンは、私の精神のバロメーターなんだと、改めて思った。
私がストレスをためず、自分の人生を楽しんで生きるためにはどうすればいいのか、それを教えてくれる。
間違った方向へ行くと、すぐに「痛み」で教えてくれる。
こいつはすげーや。
すごいもんを手に入れてしまった。

夜中に怖い夢を見て、「そんなはっきり言う?」とびっくりするくらい大きな声ではっきりと「助けて―!!」と絶叫して目が覚めた。
横で寝ていた夫はまた飛び起きる。

もう何度繰り返したかわからないが、この夜中の絶叫が始まると、私の精神はもう限界まできているのだ。
それを夫もよく知っているし、最近は本当に毎日、一日中お腹が痛くて、体をよじりながらパソコンに向かい、少し時間ができればソファに横になり……という日々を過ごしていた。

おとといの夜中、強い痛みで目が覚めた。
一昨年の11月、原因不明の激痛で緊急入院して死にかけたことを思い出し、恐怖がおそいかかってきた。
こんな日に限って、夫は東京出張だった。
瞑想し、自分自身と対話した。
そうするといろんなものが見えてきて、少しだけ痛みがおさまって、いつの間にか眠りについていた。

朝起きて、対話してもらった答えを実践してみた。
なんということはない。鏡に向かってニコニコして、万歳しながら「やった、やった!」と喜ぶだけだ。
信じなくていいけれど、お腹の痛みはそれからもうなくなった。

まあ、やったのはそれだけではないのだけど。
人生は、眉間にしわを寄せて、ため息をついて、文句を言うためにあるのではないということだ。
再発してから、自分の生活を大事にして仕事もセーブしてきたのに、夏の間があまりに暇だったから、久しぶりに忙しくなったのが嬉しくて、何でもかんでも引き受けてしまった。
結果的に、追われる2カ月を送り、ずいぶんと生活を乱してしまった。
あの案件のこともあり、精神的にもやられ、悪循環をとめられなくなっていた。

なんで私は同じことを繰り返すんだろうな。
自分の生きる価値は、仕事の「量」や人の「評価」で決まるわけではないのに。
自分の内側で自分を認められないから、すぐ外の要素に頼る。

幸せは外からやってくるのではありません。あなたの内にあるものです。

これは何の小説の言葉だっただろう。ジイドの「狭き門」かな?
リルケ?ツルゲーネフ?
そのあたりだったと思う。
ふと30年も前に読んだ言葉がよみがえる。(まあ、何の本だったかは明確ではないが)

自分の幸せとは何か。
どう生きたら、人生を楽しめるのか。
この怒涛のような2カ月の終わりに、それをもう一度考えることができた。
そうしたら、もう痛みは消えていた。