月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

ようやく一段落

2018-03-29 | 生活
8日間の原稿追い込みの後、神奈川へ発ち、戻るとその足で祇園へ出勤し、残りの原稿をやりあげると今度は金沢へ。
時間がない中、修正がどんどんくるものだから、揺れるサンダーバードの中でパソコンを開いて細かい字を見ていたら吐きそうになった。
帰り着くと布団に倒れこみたい気持ちを抑えて修正をやりあげた。目がしょぼしょぼして眩暈がする。
なんでこんなに修正があるのかと憤慨していたからか、胃までキリキリと痛んだ。

そんなこんなでなんとか終わらせて寝たものの、昨日は朝起きられなかった。
ようやく今回も一段落して気が抜けたのか、頭痛がひどく、体も重い。
ずっと寝ていたい気持ちだったが、たまっていた洗濯をして、フレスコまで買い物に行った。
でも、帰りの坂道が辛くて、足が重く、この感じは抗がん剤の副作用と似ているなぁと、そんなことを思っていた。

なんとか家にたどり着くと、鯖を焼いて、肉じゃがを作って、春菊とラディッシュのサラダを作って食べた。
コーヒーまでは淹れる気力がなく、そのままぐったりと横たわったまま、読みかけの原田マハの『異邦人』を読んで、少しだけ昼寝をしたら、かなり回復していた。

あまりにハードな2週間だったから、心身ともに疲れていたんだな、と思った。
史上最大のピンチとも言えるほどたまりきった原稿と格闘し、遠方へ移動し、神経を尖らせて冴えない頭フル回転で取材して、さらに店では慣れない立ち仕事をしながら、初対面のお客さんとニコニコ会話して。

「できる・できない」と「好き・嫌い」は違うんだ、といつも思う。
初対面の人と話すような仕事ばかりこれまでやってきたし、人と関わる仕事は「できる」。
決して人嫌いでもない。人と接するのは好きだし、人との出会いや会話の中からしか感性は潤わないし、自分という人間も成長しないと思っている。
でもそれは、大人になっていく成長過程の中で培った考え方であって、もっともっと核の部分に迫っていけば、私という人間のベースは「一人の世界にこもること」によってできている。
「大人しくて引っ込み思案で、一人遊びと空想の中で生きることが好き」というのが、真の私であると思う。
だから、孤独になって一人で「書く」という作業は、表面的には疲弊していったとしても、精神的には恐ろしく回復していくのだ。自分の世界に入れば入るほど、日々の他者との間で生まれるストレスが解消され、自分を包んでいる膜の傷が修復されていくようなそんな気持ちになる。
ただ、あまりに時間がタイトだと、「間に合うかどうか」ということのほうが気になって、自分が満足いくものを書きながらも締め切りに間に合わせるというバランスが難しく、それでまた精神が追い詰められる。
今回は毎晩のようにうなされ、大声をあげるので、横で寝ている夫が敏感になって、私が叫ぶタイミングを寝ながらも察知し、先に抑えるという芸当をマスターしたくらいだ。

とにかくこの2年の間では稀に見るようなハードな2週間だった。
でも、もう終わった。
酒造りのシーズンも、あと1、2ヶ月というところなので、これから夏にかけては比較的のんびりとした日々が続く。
この間に、冬の間にやりたかったこと・・・例えば、自分のHP作成や資料の整理などをしておき、また秋に備えなくては。

一晩ゆっくり寝たら、今朝はかなり回復していた。
そして、私が格闘している間に、春が来ていた。

今週末はお花見をする。
本当は今日くらいが満開で見頃だけど、明後日ならまだ大丈夫だろう。
それから花壇の植え替えも。(ちょっと遅かった!今から土を掘り返すのは恐怖だ。おそらくいろんな虫がゴロゴロ出て来る)

大変だったけど、過ぎてみれば何ということもない。
もう気持ちは春を楽しむことへと向いている。