植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

2020-01-31 04:18:56 | 金沢・石川の観光
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金沢の観光スポットレポート(No.1737)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。

*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



33)本門山本覚寺(ほんかくじ)

宗派:顕本法華宗
由緒:
創建にかかわった加賀藩重臣三輪志摩長好は三代利常に願い御骨堂を慶長19年(1614)現在地に建立、二代利長の分骨と位牌を収めた。利長夫人であり織田信長の五徐女・玉泉院はしばしば当寺の参拝したという。はじめは本長寺と輪番で前田家領内同流派寺院の触頭を務めた。文政10年(1827)、自火により一字残らず焼失し、その後再建されたが、明治4年(1871)3月に起きた六斗の大火で再び類焼した。
住所:金沢市野町3丁目18-4



■写真は本覚寺



34)亀福山希翁院(きおういん)

宗派:曹洞宗
由緒:
慶長10年(1605)春、前田利長公により寺領を宮腰口に拝領し建立。その後寛永2年(1625)に替地を命じられ現地に移転。 以後200数十年間護られてきたが、明治4年(1871)大火の類焼により伽藍宝物等を悉く焼失。久しく仮堂のままであったが、昭和7年(1932)に本堂庫裡とも再建され現在に至っています。
住所:金沢市野町3-19-66



■写真は希翁院



35)華嶽山開禅寺(かいぜんじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
当寺は開闢珠巌道珍和尚(大乗寺3世明峰素哲禅師の弟子にして大乗寺4世となる)が、寛正元年(1460)越中守山の地に建立し、当寺の勧請開山として瑩山紹瑾禅師(大乗寺2世)を拝請しました。尚、能登田鶴浜から越中守山に移転したという説もあります。さらに慶長4年(1599)に2代藩主利長と共に金沢に移転したと伝えられています。 慶長11年(1606)加賀藩家老三万三千石長家外護により長御霊牌祠堂寺として加賀金沢木の新保に移転建立し、更に金沢三間道を経て、現在地となりました。明治4年(1871)火災に罹り同6年(1873)に再建して、今日に至ります。・金沢市樹木保存指定「モチ」 ・涅槃図他書画等 ・天保二年建立「出世地蔵尊」(子を守り、安産の願い)
住所:金沢市野町3-18-10





■写真は開禅寺



36)霊松山龍渕寺(りゅうえんじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
天正十年(1582)、尾張の国にて、小松玉龍寺三世・大圓慧展により創建された。慶長年間に摂津国難波岡(現・大阪)に転じ、金龍寺と称した。寛永二年(1625)、加賀藩家臣・前田長種を介して、犀川川原に寺地千八百坪を得、中興四世徳厳文尭により再建。正保二年(1645)に、寺地三千坪を拝領して現在地に移転した。境内には藩主公用の竹林があるが、これは加賀藩三代藩主・前田利常の命により指定されたものである。また、書家・独角宗麟や、加賀古流生花の始祖、近藤理清などの墓がある。寺地全域が、金沢市の保存樹林に指定されている。(看板より)
住所:金沢市野町3-19-60



■写真は龍渕寺

(つづく)

〇寺町寺院群巡りバックナンバー(寺町寺院群巡り1~10)

◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺