カナ文字文庫(漢字廃止論)

日本文学の名作などをカナ書きに改めて掲載。

ニホンジン の シゼンカン 1

2014-11-22 | テラダ トラヒコ
 ニホンジン の シゼンカン

 テラダ トラヒコ

 ショゲン

「ニホンジン の シゼンカン」 と いう ワタシ に あたえられた カダイ の イミ は イッケン はなはだ ヘイメイ な よう で、 よく かんがえて みる と じつは ぞんがい アイマイ な もの の よう に おもわれる。 フデ を とる マエ に あらかじめ いちおう の ケントウ と ブンセキ と を ヒツヨウ と する もの の よう で ある。
 これ は、 ニホンジン が その カンキョウ 「ニホン の シゼン」 を いかに みて いかに ハンノウ する か、 と いう こと、 また それ が ニホンジン イガイ の ガイコクジン が ソレゾレ の ガイコク の シゼン に たいする ミカタ と それ に たいする ハンノウ シカタ と くらべて いかなる トクショク を もつ か と いう こと を しゅとして イミ する よう に おもわれる。 そうして ダイニジテキ には ガイコクジン が ニホン の シゼン に たいする ミカタ が ニホンジン と どう ちがう か と いう こと も モンダイ に なりうる わけ で ある。
 もしも シゼン と いう もの が チキュウジョウ どこ でも おなじ ソウボウ を ていして いる もの と したら、 ニホン の シゼン も ガイコク の シゼン も おなじ で ある はず で あって、 したがって ジョウキ の ごとき モンダイ の ナイヨウ ギンミ は フヒツヨウ で ある が、 しかし ジッサイ には シゼン の ソウボウ が いたる ところ むしろ おどろく べき タヨウ タサイ の ヘンカ を しめして いて、 ヒトクチ に シゼン と いって しまう には あまり に フクザツ な ヘンカ を みせて いる の で ある。 こういう イミ から する と、 おなじ よう に、 「ニホン の シゼン」 と いう コトバ で すら も じつは あまり に ばくぜん と しすぎた コトバ で ある。 ホッカイドウ や チョウセン タイワン は ジョガイ する と して も、 たとえば ナンカイドウ キュウシュウ の シゼン と トウホク チホウ の シゼン と を ヒトツ に みて ろんずる こと は、 モンダイ の シュルイ に よって は けっして ダトウ で あろう とは おもわれない。
 こう かんがえて くる と、 コンド は また 「ニホンジン」 と いう コトバ の ナイヨウ が かなり クウソ な サンマン な もの に おもわれて くる。 キュウシュウジン と トウホクジン と くらべる と カク-コジン の コセイ を チョウエツ する と して も その ウエ に ソレゾレ の チホウテキ トクセイ の シハイ が れきぜん と みとめられる。 それで キュウシュウジン の シゼンカン や トウホクジン の シゼンカン と いった よう な もの も それぞれ リッパ に ソンリツ しうる わけ で ある。 しかし、 ここ では、 それら の チホウテキ トクセイ を ソウカツ し また ヨウヤク した 「イッパンテキ ニホンジン」 の 「ヨウヤク した ニホン」 の シゼンカン を コウサツ せよ と いう の が ワタシ に あたえられた モンダイ で あろう と おもわれる。 そう だ と する と モンダイ は けっして そう ヨウイ で ない こと が わかる の で ある。
 ワレワレ は ツウレイ ベンギジョウ シゼン と ニンゲン と を タイリツ させ リョウホウ ベツベツ の ソンザイ の よう に かんがえる。 これ が ゲンダイ の カガクテキ ホウホウ の チョウショ で ある と ドウジ に タンショ で ある。 この リョウシャ は じつは がっして ヒトツ の ユウキタイ を コウセイ して いる の で あって キュウキョクテキ には ドクリツ に きりはなして かんがえる こと の できない もの で ある。 ジンルイ も あらゆる ショクブツ や ドウブツ と ドウヨウ に ながい ながい サイゲツ の アイダ に シゼン の フトコロ に はぐくまれて その カンキョウ に テキオウ する よう に そだてあげられて きた もの で あって、 あらゆる カンキョウ の トクイセイ は その ナカ に そだって きた もの に たとえ わずか でも なんらか コユウ の インメイ を のこして いる で あろう と おもわれる。
 ニホンジン の センゾ が どこ に うまれ どこ から わたって きた か は ベツモンダイ と して、 ユウシ イライ 2000 ユウヨネン この トチ に ドチャク して しまった ニホンジン が たとえ いかなる イデンテキ キオク を もって いる と して も、 その ジョウソウ を ダイブブン エンペイ する だけ の ケイケン の シュウカク を この ニホン の カンキョウ から うけとり、 それ に できる だけ しっくり テキオウ する よう に ドリョク し また すくなくも ブブンテキ には それ に セイコウ して きた もの で ある こと には ウタガイ が ない で あろう と おもわれる。
 そういう ワケ で ある から、 もし ニホンジン の シゼンカン と いう モンダイ を かんがえよう と する ならば、 まず ダイイチ に ニホン の シゼン が いかなる もの で あって、 いかなる トクチョウ を もって いる か と いう こと を かんがえて みる の が ジュンジョ で あろう と おもわれる。
 もっとも カコ 2000 ネン の アイダ に ニホン の シゼン が キュウゲキ に イジョウ な ヘンカ を した の だ と する と モンダイ は フクザツ に なる が、 サイワイ にも チシツ ジダイ の カッキ に おこった と かんがえられる よう な おおきな チリテキ キコウテキ ヘンカ が ニホン の ユウシ イゴ には けっして おこらなかった と ダンゲン して も ほとんど マチガイ は ない と おもわれる から、 ワレワレ は アンシン して ゲンザイ の ニホン の テンネン の カンキョウ が ソノママ に ワレワレ ソセン の ジダイ の それ を しめして いる と カテイ して も はなはだしい ゴビュウ に おちいる シンパイ は ない で あろう と おもわれる。
 それで イカ に まず ニホン の シゼン の トクイセイ に ついて きわめて ガイリャク な ショソウ を レッキ して みよう と おもう。 そうして その ツギ に ニホンジン が そういう カンキョウ に おうじて いかなる セイカツ ヨウシキ を えらんで きた か と いう こと を かんがえて みたら、 それ だけ でも ワタシ に かせられた モンダイ に たいする ワタシ と して の トウカイ の ダイブブン は もう つくされる の では ない か と おもわれる。 ニホンジン を うんだ シゼン と その ナカ に おける セイカツ と が あって しかる ノチ に うまれでた テツガク シュウキョウ シソウ や ブンガク ゲイジュツ に かんする ショウサイ な シンオウ な コウサツ に ついて は、 ワタシ など より は ベツ に その ヒト に とぼしく ない で あろう と おもわれる。

 ニホン の シゼン

 ニホン に おける シゼンカイ の トクイセイ の シュジュソウ の コンテイ には チキュウジョウ に おける ニホンコク の ドクジ な イチ と いう もの が キソテキ ゲンリ と なって ソンザイ し それ が スベテ を シハイ して いる よう に おもわれる。
 ダイイチ に キコウ で ある。 ゲンザイ の ニホン は カラフト コッキョウ から タイワン まで つらなる トウカン の ウエ に あって アネッタイ から アカンタイ に ちかい あらゆる キコウ フウド を ホウガン して いる。 しかし それ は ごく キンダイ の こと で あって、 ニッシン センソウ イゼン の ホンライ の ニホンジン を セイイク して きた キコウ は ダイタイ に おいて オンタイ の それ で あった。 そうして いわゆる オンタイ の ナカ での もっとも さむい チホウ から もっとも あたたかい チホウ まで の あらゆる ダンカイ を こまかく グビ し ホウガン して いる。 こういう ふう に、 たがいに あいいれうる ハンイナイ での あらゆる ダンカイ に ブンカ された ショソウ が この キョウショウ な コクド の ナカ に ホウカツ されて いる と いう こと は それ だけ でも すでに イミ の ふかい こと で ある。 たとえば あの ボウダイ な アフリカ タイリク の どの ブブン に これ だけ の キコウ の タヨウ な ブンカ が みとめられる で あろう か を ソウゾウ して みる と いい と おもう。
 オンタイ の トクチョウ は キセツ の ネンシュウキ で ある。 ネッタイ では ワレワレ の かんがえる よう な キセツ と いう ガイネン の ほとんど セイリツ しない トチ が おおい。 ナンヨウ では ネンジュウ ナツ の シマ が ある、 インド など の キセツフウ コウタイ に よる ウキ カンキ の ごとき もの も オンタイ に おける シュンカシュウトウ の ジュンカン とは かなり かけはなれた むしろ 「キソク ただしい チョウキ の テンキ ヘンカ」 と でも なづけたい もの で ある。 しかし 「テンキ」 と いう コトバ も やはり オンタイ だけ で イミ を もつ コトバ で ある。 いろいろ と ヨソク しがたい ヘンカ を すれば こそ 「テンキ」 で あろう。 カンタイ でも ドウヨウ で ある。 そこ では 「チュウヤ」 は ある が キセツ も テンキ も ない。
 オンタイ に おける キセツ の コウタイ、 テンキ の ヘンカ は ニンゲン の チエ を ヨウセイ する。 シュウキテキ あるいは ヒ-シュウキテキ に フクザツ な ヘンカ の ソウボウ を あらわす カンキョウ に テキオウ する ため には ニンゲン は フダン の チュウイ と タヨウ な クフウ を ヨウキュウ される から で ある。
 そうした オンタイ の ナカ でも ニホン は また タ の クニ と くらべて イロイロ な トクイセイ を もって いる。 その おも な ゲンイン は ニホン が タイリク の シュウエン で ある と ドウジ に また カンカイ の トウショ で ある と いう ジジツ に きする こと が できる よう で ある。 もっとも この テン では エイコク ショトウ は きわめて ルイジ の イチ に ある が、 しかし タイリク の ニシガワ と ヒガシガワ と では タイキ ならびに カイリュウ の ジュンカン の エイキョウ で イロイロ な ソウイ の ある こと が キコウ ガクシャ に よって とうに チュウイ されて いる。 どちら か と いえば ニホン の よう に タイリク の ヒガシガワ、 タイヨウ の ニシガワ の クニ は キコウテキ に フリ な ジョウケン に ある。 この こと は チョウセン マンシュウ を それ と ドウ-イド の セイオウ ショコク と くらべて みれば わかる と おもう。 ただ ニホン は その コクド と リンセツ タイリク との アイダ に ちょっと した ウミ を へだてて いる おかげ で シベリア の オク に ある タイキ カツドウ チュウシン の シュンレツ な シハイ を いくらか カンワ された カタチ で うけて いる の で ある。
 ヒカクテキ あたらしい チシツ ジダイ まで ニホン が ツシマ の ヘン を とおして チョウセン と リクツヅキ に なって いた こと は ゾウ や サイ の カセキ など から も ショウメイ される よう で ある が、 それ と レンカン して、 もしも ツシマ チョウセン の カイキョウ を ふさいで しまって ダンリュウ が ニホンカイ に シンニュウ する の を ふせいだら ニホン の キコウ に そうとう ケンチョ な ヘンカ が おこる で あろう と いう こと は オオク の ガクシャ の みとめる ところ で ある。 この イチジ から かんがえて も ニホン の キコウ は、 ニホン の ごとき イチ、 ニホン の ごとき スイリク ブンプ に よって はじめて カノウ で ある こと、 したがって ニホン の キコウ が チキュウジョウ の あらゆる いわゆる オンタイ の ナカ でも まったく ドクジ な もの で ある こと が リョウカイ できる で あろう と おもわれる。
 このよう な リユウ から、 ニホン の キコウ には タイリクテキ な ヨウソ と カイヨウテキ な ヨウソ が フクザツ に コウサク して おり、 また ジカンテキ にも、 シュウキテキ キセツテキ ジュンカン の ホカ に フキソク で キュウゲキ カッパツ な コウタイ が みられる。 すなわち 「テンキ」 が タヨウ で あり その ヘンカ が ヒンパン で ある。
 アメ の フリカタ だけ でも じつに イロイロ サマザマ の フリカタ が あって、 それ を クベツ する メイショウ が それ に おうじて ブンカ して いる テン でも ニホン は おそらく セカイジュウ ズイイチ では ない か と おもう。 こころみに 「ハルサメ」 「サミダレ」 「シグレ」 の テキセツ な ヤクゴ を ガイコクゴ に もとめる と したら ソウオウ な コンワク を ケイケン する で あろう と おもわれる。 「ハナグモリ」 「カスミ」 「イナズマ」 など でも、 それ と スンブン たがわぬ ゲンショウ が ニホン イガイ の いずれ の クニ に みられる か も ギモン で ある。 たとえば ドイツ の 「ウェッターロイヒテン」 は イナズマ と ブツリテキ には ほとんど おなじ ゲンショウ で あって も それ は けっして イナダ の ヤミ を はしらない。 あらゆる フタイテキ キショウ ジョウケン が ちがい したがって ニンゲン の カンジュセイ に たいする その サヨウ は ぜんぜん ベツモノ では ない か と おもわれる の で ある。
 これ に かぎらず、 ニンゲン と シゼン を ひっくるめた ユウキタイ に おける シゼン と ニンゲン の コウショウ は やはり ユウキテキ で ある から、 たとえ カガクテキ キショウガクテキ に ドウイツ と みられる もの でも、 それ に ズイハン する タ-ヨウソ の フクゴウ イカン に よって まったく ベッシュ の イギ を もつ の は いう まで も ない こと で ある。 そういう イミ で ワタシ は、 「ハルサメ」 も 「アキカゼ」 も セイヨウ には ない と いう の で ある。 そうして、 こういう ゴイ ジシン の ナカ に ニホンジン の シゼンカン の ショ-ダンペン が ノウミツ に アッシュク された カタチ で ホウゾウ されて いる と かんがえる の で ある。
 ニホン に おける トクイ の キショウ ゲンショウ-チュウ でも もっとも いちじるしい もの は タイフウ で あろう。 これ も ニホン の トクシュ な チリテキ イチ に フタイ した ゲンショウ で ある。 「ノワキ」 「ニヒャク トオカ」 こういう コトバ も ガイコクジン に とって は クウキョ な タダ の コトバ と して ひびく だけ で あろう。
 キコウ の ツギ に ジュウヨウ な もの は トチ の キフク スイリク の コウサク に よる チケイテキ チリテキ ヨウソ で ある。
 ニホン の トウカン の セイイン に ついて は イロイロ の ガクセツ が ある。 しかし ニホン の トチ が いわば タイリク の ヘンエン の もみくだかれた ハヘン で ある こと には ウタガイ ない よう で ある。 この こと は ニホン の チシツ コウゾウ、 したがって それ に シハイ され エイキョウ された チケイテキ コウゾウ の フクザツ タヨウ な こと、 サクザツ の キボ の こまかい こと と ミッセツ に レンカン して いる。 じっさい ニホン の チシツズ を ひらいて その イロイロ の シキサイ に そめわけられた モザイック を、 オオク の タ の タイリクテキ コクド の ドウ-シャクド の それ と みくらべて みて も この トクチョウ は ソウゾウ する に かたく ない。 このよう な チシツテキ タヨウセイ は それ を しょうじた チカク ウンドウ の ため にも、 また チシツ の ソウイ に よる ニジテキ ゲンイン から も、 きわめて フクザツ な チケイ の ブンプ、 スイリク の コウサク を うみだした、 その うえ に こうした トチ に コユウ な カザン ゲンショウ の ヒンシュツ が さらに いっそう その ヘンカ に トクユウ な イサイ を そえた よう で ある。
 フクザツ な チケイ は また キョジュウシャ の シュウラク の ブンプ や その ソウゴカン の コウツウモウ の ハッタツ に トクベツ な エイキョウ を およぼさない では おかない の で ある。 サンミャク や カリュウ の コウサク に よって こまかく クブン された チケイテキ タンイ ごと に ショウトシ の ホウガ が ハッタツ し、 それ が ゴジツ ホウケン ジダイ の カッキョ の キソ を つくった で あろう。 このよう な チケイ は ヒョウハクテキ な ミンゾクテキ シュウセイ には てきせず、 むしろ ミンゾク を ドチャク させる ケイコウ を もつ と おもわれる。 そうして ドチャク した ジュウミン は、 その チケイテキ トクチョウ から しょうずる あらゆる フウドテキ トクチョウ に テキオウ しながら しだいに ブンカ しつつ カクジ の チホウテキ トクセイ を カンヨウ して きた で あろう。 それ と ドウジ に カクジ の すみついた トチ への ねづよい アイチャク の ネン を バイヨウ して きた もの で あろう。 かの ぼうばく たる ステッペン や パンパス を ヒョウロウ する ミンゾク との ヒカク を おもいうかべる とき に この ニホン の チケイテキ トクチョウ の セイシンテキ イギ が いっそう メイリョウ に ナットク される で あろう と おもわれる。
 この チシツ チケイ の フクザツサ の ソイン を なした カコ の チシツ ジダイ に おける チカク の カツドウ は、 ゲンダイ に おいて も その かすか な ヨキョウ を つたえて いる。 すなわち ジシン ならびに カザン の ゲンショウ で ある。
 わずか に ジシンケイ に かんじる くらい の ジシン ならば ニホン の どこ か に ヒトツ フタツ おこらない ヒ は まれ で あり、 ケンチョ あるいは やや ケンチョ と しょうする ジシン の ヒトツ フタツ おこらない ツキ は ない。 ハカイテキ で カイカ を しょうじ シショウシャ を だす よう なの でも 3~4 ネン も まてば きっと テイコク リョウド の どこ か に トッパツ する もの と おもって マチガイ は ない。 この ゲンショウ は ワガクニ ケンコク イライ おそらく ゲンダイ と ほぼ ドウヨウ な ヒンド を もって くりかえされて きた もの で あろう。 ニホン ショキ ダイ 16 カン に キロク された、 タイシ が シビ と いう オトコ に あたえた ウタ にも 「ナイ」 が あらわれて おり、 また その 29 カン には テンム テンノウ の ミヨ に おける トサ ノ クニ ダイジシン と それ に ともなう トチ カンボツ の キロク が ある。
 ジシン に よって ジャッキ される ツナミ も また しばしば、 おそらく ニンゲン の イチダイ に ヒトツ か フタツ ぐらい ずつ は、 オオヤシマ ノ クニ の どこ か の ウラベ を おそって すくなからざる ジンチク カザイ を トウジン した よう で ある。
 うごかぬ もの の タトエ に ひかれる ワレワレ の アシモト の ダイチ が ときとして おおいに ふるえうごく、 そういう タイケン を もちつたえて きた コクミン と、 そう で ない コクミン と が シゼン と いう もの に たいする カンネン に おいて かなり に おおきな ケンカク を しめして も フシギ は ない わけ で あろう。 このよう に おそろしい チカク カツドウ の ゲンショウ は しかし カコ に おいて ニホン の フクザツ な ケイカン の ビ を つくりあげる ゲンドウリョク と なった ダイキボ の チヘン の かすか な ヨイン で ある こと を かんがえる と、 ワレワレ は ゲンザイ の ダイチ の オリオリ の ドウヨウ を トクベツ な メ で みなおす こと も でき は しない か と おもわれる。
 おなじ こと は カザン の バクハツ に ついて も いわれる で あろう。 そうして カザン の ソンザイ が コクミン の セイシン セイカツ に およぼした エイキョウ も たんに イアツテキ の もの ばかり では ない。
 ニホン の サンスイビ が カザン に おう ところ が おおい と いう こと は シュウチ の こと で ある。 コクリツ コウエン と して おされた フウケイ の ウチ に カザン に カンケイ した もの の はなはだ おおい と いう こと も すでに オオク の ヒト の シテキ した ところ で ある。 カザン は しばしば メガミ に みたてられる。 じっさい うつくしい キョクセンビ の ヘンカ を みせない カザン は ない よう で ある。 カザン ソノモノ の スガタ が うつくしい のみ ならず、 それ が つねに ヤマ と ヤマ との アイダ の ボンチ を もとめて フンシュツ する ため に シシュウ の ケイカン に フクザツ タヨウ な トクショク を フヨ する コウカ を もって いる の で ある。 のみならず また カザン の フンシュツ は ショクブツカイ を おびやかす ドジョウ の ロウキュウ に たいして カイシュン の コウカ を もたらす もの とも かんがえられる の で ある。
 このよう に ワレラ の キョウド ニホン に おいて は アシモト の ダイチ は イッポウ に おいて は ふかき ジアイ を もって ワレワレ を ホイク する 「ハハ なる トチ」 で ある と ドウジ に、 また しばしば ケイバツ の ムチ を ふるって ワレワレ の とかく ユウダ に ながれやすい ココロ を ひきしめる 「ゲンプ」 と して の ヤクワリ をも つとめる の で ある。 ゲンプ の ゲン と ジボ の ジ との ハイゴウ よろしき を えた クニガラ に のみ ニンゲン の サイコウ ブンカ が ハッタツ する ミコミ が ある で あろう。
 チカクテキ コウゾウ の フクザツ な こと は また チカク の ホウゾウ する コウサンブツ の タヨウ と ホウフ を イミ する が、 ドウジ に また ある トクシュ な コウサンブツ に チュウモク する とき は その サンシュツガク の モノタリナサ を かんじさせる こと にも なる の で ある。 セキタン でも セキユ でも テツ でも でる には ソウオウ に でて も セカイ で チョメイ な これら の もの の サンチ の サンガク に ヒッテキ する もの は ない で あろう。 ニホン が サコク と して ジキュウ ジソク に あまんじて いる うち は とにかく セカイ の キョウコク と して のりだそう と する バアイ に、 この ジジツ が シンコク な エイキョウ を コクゼ の ウエ に およぼして くる の で ある。 それ は とにかく このよう に イロイロ の もの が すこし ずつ そなわって いる と いう こと が あらゆる テン で ニホン の シゼン の トクショク を なして いる とも いわれなく は ない。
 ジシン の ゲンショウ でも ダイショウ の ジシン が フダン に ナシクズシ に おこって いる カワリ に たとえば チュウブ アジア など で おこる よう な ヒジョウ に ダイキボ な ジシン は むしろ まれ で ある よう に おもわれる。 この こと は やはり ゼンキ の コウサン に かんする ショセツ と ホンシツテキ に レンカン を もって いる の で ある。 すなわち、 ニホン の チカク コウゾウ が こまかい モザイック から なって おり、 タ の セカイ の シュジュ の ブブン を せまい メンセキ-ナイ に アッシュク した ミニアチュア と でも いった よう な ケイタイ に なって いる ため で あろう と おもわれる の で ある。
 チケイ の フクザツ な ため の ニジテキ エイキョウ と して は、 キョリ から みれば いくらも はなれて いない カク-チホウ の アイダ に ミクロクリマトロジカル な サベツ の タヨウセイ が しょうじる。 ちょっと した ヤマツヅキ の ウラオモテ では ニッショウ ウリョウ したがって あらゆる キコウ ヨウソ に かなり いちじるしい ソウイ の ある と いう こと は ダレ も しる とおり で ある。 その エイキョウ の もっとも メ に みえる の は そうした チイキ の ショクブツ ケイカン の ソウイ で ある。 たとえば シンシュウ ヘン でも ある トウザイ に はしる ケイリュウ の ナンガン の シャメン には ホッカイドウ ヘン で みられる よう な カツヨウジュリン が こんもり しげって いる のに、 タイガン の ヒオモテ の シャメン には ナンゴク-らしい シンヨウジュ マジリ の ソリン が みられる こと も ある。
 たんに ミクロクリマトロジカル サベツ のみ ならず、 また チシツ の タヨウ な ヘンカ に よる ショクブツ ケイカン の タヨウセイ も ニホン の トチ の ソウボウ を フクザツ に する の で ある。 たとえば フウカ せる カコウガン ばかり の ヤマ と、 シンショク の まだ わかい コセイソウ の ヤマ と では ヤマ の ケイタイ の ちがう うえ に それ を かざる ショクブツ シャカイ に いちじるしい ソウイ が めだつ よう で ある。 カザン の スソノ でも、 トチ が カイサ で おおわれて いる か、 ヨウガン を ロシュツ して いる か に よって また フンシュツ ネンダイ の シンキュウ に よって も おのずから フロラ の ブンカ を みせて いる よう で ある。
 チカゴロ ナカイ ハクシ の 「トウア ショクブツ」 を みて いろいろ キョウミ を かんじた こと の ナカ でも とくに おもしろい と おもった こと は、 ニホン カクチ の ショクブツカイ に、 トウア の キタ から ミナミ へ かけて の イロイロ な コクド の ショクブツ が サマザマ に いりこみ いりみだれて いる ジョウキョウ で ある。 これ も ニホン と いう クニ の トクシュ な チリテキ イチ に よって セツメイ され リカイ さる べき ゲンショウ で あろう。 ナカ には また カンタン には セツメイ されそう も ない フシギ な ゲンショウ も ある。 たとえば シンシュウ の サンチ に ある ジャッカン の ショクブツ は マンシュウ チョウセン と キョウツウ で あって、 しかも ホンシュウ の タ の いずれ の チ にも みられない と いった よう な ジジツ が ある そう で ある。 それから また、 ニホン では ゆめにも みつかろう とは おもわれなかった チンキ な ショクブツ 「ヤッコソウ」 の よう な もの が チカゴロ に なって ハッケン された と いう よう な ジジツ も ある。 これら の ジジツ は ショクブツ に かんする こと で ある が、 しかし また、 ニホン コクミン を ソセイ して いる イロイロ な ジンシュテキ ミンゾクテキ ヨウソ の シュッショ と その トライ の ケイロ を コウサツ せん と する ヒトビト に とって は この ショクブツカイ の ジジツ が ヒジョウ に イミ の ふかい アンジ の ヒカリ を なげかける もの と いわなければ ならない。
 テンネン の ショクブツ の タヨウセイ と あいたいして ニホン の ノウサクブツ の タヨウセイ も また すくなくも ジブン の メ で みた セイオウ ショコク など とは ヒカク に ならない よう な キ が する の で ある。 もっとも これ は ニンゲン の バイヨウ する もの で ある から、 コクミン の ジョウショク が ニクショク と サイショク の どちら に へんして いる か と いう こと にも より、 また トチ に たいする ジンコウ ミツド にも シハイ される こと で ある が、 しかし いずれ に して も、 つくろう と おもえば タイガイ の もの は ニホン の どこ か に つくりえられる と いう ジジツ の コンテイ には、 やはり キコウ フウド の タヨウセイ と いう ヒッス ジョウケン が グビ して いなければ ならない ドウリ で あろう。
 ノウサクブツ の タヨウセイ は また ニホン の モザイック-テキ ケイカン を イロイロ に いろどり くまどって いる。 チケイ の フクザツサ は ダイノウホウ を キョゼツ させ タハタ の リンカク を キョクセンカ し、 その コウテイ の スイジュン を こまか な ダンカイ に きざんで いる。 ソビエト ロシア の エイガ カントク が 「ニホン」 の フィルム を とって ロト で コウカイ した とき、 ネコ の ヒタイ の よう な イナダ の ショウクガ に カッキョ して はたらく ノウフ の シゴト を みて カンシュウ が ふきだして わらった と いう ハナシ で ある。 それ を キ に して コクジョク と おもって いる ヒト も ある よう で ある。 しかし 「ゲンタイリク」 の ぼうばく たる ゲンヤ イガイ の チキュウ の カオ を みた こと の ない スラヴ の タミ には 「タゴト の ツキ」 の シンジン な イギ が わかろう はず は ない の で ある。 ニホンジン を ロシアジン と おなじ ニンゲン と かんがえよう と する イチブ の シソウカ たち の ヒカガクテキ な コンポンテキ サクゴ の ヒトツ を ここ にも みる こと が できる で あろう。
 イナダ クワバタケ イモバタケ の つらなる ケシキ を みて ニホンコク-ジュウ スキクワ の はいらない ところ は ない か と おもって いる と、 そこ から いくらも はなれない ところ には シタクサ の しげる ゾウキバヤシ が あり カハン の コウブチ が ある。 キシャ に のれば やがて フエツ の アト なき ゲンシリン も みられ、 また ヤソウ の ハナ の ビフウ に そよぐ ボクジョウ も みられる。 セッケイ に コウザン ショクブツ を つみ、 カコウゲン の サバク に ワイソウ の ヒョウホン を おさめる こと も カノウ で ある。
 ドウシュ の ショクブツ の ブンカ の いちじるしい こと も ソウトウ な もの で ある。 ナツヤスミ に シンシュウ の コウゲン に きて こころみに ショクブツ ズカン など と ひきあわせながら シロウト-リュウ に クサバナ の セカイ を のぞいて みて も、 ケイタイ が ほとんど おなじ で あって、 しかも すこし ずつ ちがった トクチョウ を もった ショクブツ の ダイカゾク と いった よう な もの が かずかず あり、 しかも ヒトツ の カゾク から タ の カゾク への レンサ と なり キョウリョウ と なる か と おもわれる よう な もの にも とぼしく ない。 ツツジ の シュルイ だけ でも その ブンカ の タヨウ な こと は ニホン が ズイイチ で なかでも シンシュウ が いちじるしい と いう ハナシ で ある。
 ハナシ は ショクブツ の ハナシ で ある。 しかし このよう な ショクブツ の タヨウ な ブンカ を しょうぜしめた その おなじ キコウ フウド の カンキョウ の タヨウセイ が ニホンジン と いう ニンゲン の セイリ を とおして その シンリ の ウエ に まで も なにかしら ルイジ の タヨウセイ を ブンカ させる よう な コウカ を もたない で すむ もの で あろう か。 これ は すくなくも シンチョウ な ギンミ を くわえた ノチ で なければ ケイソツ に ヒテイ しさる こと の できない モンダイ で あろう。 のみならず、 その カンキョウ に よって うまれた シゼン の タヨウセイ が さらに また ニジテキ エイキョウ と して ジョウキ の イチジテキ コウカ に サンカ する こと も わすれて は ならない の で ある。
 ショクブツカイ は ドウブツカイ を シハイ する。 フモウ の チ に サイショ の クサ の タネ が メ を だす と、 それ が コンチュウ を よび、 コンチュウ が トリ を よび、 その トリ の フンリュウ が あたらしい ショクブツ の シュシ を ユニュウ する、 そこ に イロイロ の ジュウルイ が イジュウ を はじめて しだいに ヒトツ の 「シャカイ」 が ゲンシュツ する。 ニホン に おける ショクブツカイ の タヨウセイ は また その ホウゾウ する ドウブツカイ の ホウフ の カノウセイ を シジ する か と おもわれる。
 こころみに ハンタイ の キョクタン の レイ を あげて みる と、 あの ボウダイ な ナンキョク タイリク の ウエ に すむ 「リクセイ ドウブツ」 の ナカ で サイダイ なる もの は ナニ か、 と いう ヒトコマラセ の ギモン に たいする ただしい カイトウ は 「それ は ハネ の ない イッシュ の カ で ある」 と いう の で ある。 こんな コクド も ある こと を かんがえる と、 ワレワレ は カ も いる が ウマ も ウシ も おり、 しかも トラ や シシ の いない ニホン に うまれた こと の コウフク を ジュウブン に ジカク して も いい の で ある。
 イマ ワタシ は アサマヤマ の フモト の カクシャ で、 この ゲンコウ を かきながら ウグイス や カッコウ や ホトトギス や イロイロ の ウタイドリ の コエ に したしんで いる。 キジ らしい コエ も きいた。 クイナ らしい コウオン も しばしば ハンヤ の ユメ に いった。 これら の トリ の ナキゴエ は キセツ の ショウチョウ と して ムカシ から ワカ や ハイク にも えいぜられて いる。 また、 ニホン は その チリテキ の イチ から シゼン に イロイロ な ワタリドリ の ツウロ に なって いる ので、 これ も この クニ の キセツテキ ケイカン の タヨウセイ に キヨ する ところ が はなはだ おおい。 ガン や ツバメ の キョライ は ムカシ の ノウフ には イッシュ の コヨミ の ヤクメ をも つとめた もの で あろう。
 ヤジュウ の シュルイ は それほど ホウフ では ない よう な キ が する。 これ は ニホン が タイリク と ウミ で きりはなされて いる せい では ない か と おもわれる。 チシツ ジダイ は チョウセン と リクツヅキ に なって いた コロ に はいりこんで いた ゾウ や サイ など は たぶん キコウ の ヘンカ の ため に ゼツメツ して イマ では ただ ジャッカン の カセキ を のこして いる。
 チョウセン に いる トラ が キコウテキ には そんな に ちがわない ニホン に いない の は どういう ワケ で ある か、 おそらく ニホン の チ が タイリク と ブンリ した アト に なって この ドウブツ が チョウセン ハントウ に はいりこんで きた の では ない か と おもわれる。 ネコ は ヘイアンチョウ に チョウセン から ハクライ した と つたえられて いる。 ホッカイドウ の ヒグマ も トラ と ドウヨウ で、 トウホク ニホン の リクチ の うまれた とき ツガル カイキョウ は おそらく リク で つながって いた の では ない か と おもわれる が、 それ が ソノゴ の チヘン の ため に セツダン して それ が チョウリュウ の ため に ひろく ふかく ほりえぐられた、 それから アト に どこ か から ヒグマ が エゾチ に はいりこんで きた の では ない か と ソウゾウ される。 シコク には キツネ が いない と いう こと が はたして ジジツ ならば これ も ドウヨウ な チシテキ イギ を もつ かも しれない。 それ は とにかく ニホン が タイリク に きわめて セッキン して いながら、 しかも ジャッカン の カイキョウ で タイリク と きりはなされて いる と いう トクシュ の チリテキ ジョウケン の ため に ニホン の ファウナ が どういう エイキョウ を うけて いる か と いう こと は ジョウキ の ザッタ な ジジツ から も リョウカイ される で あろう。
 ムカシ は シカ や サル が ずいぶん おおくて シュリョウ の エモノ を ホウフ に キョウキュウ した らしい こと は、 たとえば コジキ の ユウリャク テンノウ の ミヨ から も つたわって いる。 しかし ジンコウ の ゾウショク と ともに エモノ が わりあい に とぼしく なり、 その こと が ノウギョウ の ハッタツ に ハンエイ した と いう こと も カノウ で ある。 それ が ブッキョウ の トライ と いう こと も あいまって ワガクニ に おける これら の ゲーム の ゼツメツ を かろうじて ソシ する こと が できた の かも しれない。
 スイサン セイブツ の シュルイ と スウリョウ の ホウフ な こと は おそらく セカイ の タ の いかなる ブブン にも たいして ヒケ を とらない で あろう と おもわれる。 これ は ヒトツ には ニホン の カイガンセン が ながくて、 しかも ひろい イド の ハンイ に わたって いる ため も ある が、 さらに また イロイロ な ホウコウ から イロイロ な オンド エンブン ガス セイブン を ウンパン して エンガン を カンリュウ しながら アイサクザツ する ダンリュウ カンリュウ の タマモノ で ある。 これら の カイリュウ は この ごとく ウミ の サチ を もたらす と ドウジ に また ワガクニ の キコウ に ダイニジテキ エイキョウ を およぼして リク の サチ をも シハイ する インシ と なって いる よう で ある。
 センジュウ ミンゾク は カイヅカ を のこして いる。 カレラ の ギョジョウ は ただ ハマベ キシベ に かぎられて いた で あろう が、 フネ と ギョグ との ハッタツ は ギョジョウ を しだいに オキ の ほう に おしひろげ ドウジ に ギョカクブツ の シュルイ を ホウフ に した。 イマ では ハツドウキセン に レイゾウコ と ムデン ソウチ を のせて リクガン から 1000 カイリ ちかい オキ まで も ウミ の サチ の リョウイキ を カクチョウ して いった。
 ギョカイ のみ ならず イロイロ な カイソウ が コクミン ニチジョウ の ショクゼン を にぎわす、 これら は セイヨウジン の ムソウ も しない よう な イロイロ の ビタミン を ガンユウ して いる らしい。 また ウニ や シオカラ-ルイ の ガンユウ する カイセイ の ヤクブツ に ついて も カガク は まだ ナニゴト をも しらない で あろう。 カンユ ソノタ の ゾウキ セイヤク の コウノウ が イシャ に よって みとめられる より ナンビャクネン も マエ から ニホンジン は カツオ の キモ を くい クロダイ の キモ を のんで いた の で ある。
 これ を ようするに ニホン の シゼンカイ は キコウガクテキ、 チケイガクテキ、 セイブツガクテキ ソノタ あらゆる ホウメン から みて も ジカンテキ ならびに クウカンテキ に きわめて タヨウ タサイ な ブンカ の あらゆる ダンカイ を グビ し、 そうした タサイ の ヨウソ の スペクトラ が、 およそ かんがええらる べき タシュ タヨウ な ケツゴウ を なして わが ホウド を いろどって おり、 しかも その シキサイ は じじ こっこく に ヘンカ して シゼン の ブタイ を たえまなく カツドウ させて いる の で ある。
 このよう な シゼン の タヨウセイ と カツドウセイ とは、 そうした カンキョウ の ナカ に ホイク されて きた コクミン に いかなる エイキョウ を およぼす で あろう か、 と いう こと は あまり タゲン を ついやさず とも メイハク な こと で あろう。 フクザツ な カンキョウ の ヘンカ に テキオウ せん と する フダン の イシキテキ ないし ムイシキテキ ドリョク は その カンキョウ に たいする カンサツ の セイビ と ビンショウ を ショウチ し ヨウセイ する わけ で ある。 ドウジ に また シゼン の キョウイ の オクユキ と シンピ の フカサ に たいする カンカク を ジョチョウ する ケッカ にも なる はず で ある。 シゼン の シンピ と その イリョク を しる こと が ふかければ ふかい ほど ニンゲン は シゼン に たいして ジュウジュン に なり、 シゼン に さからう カワリ に シゼン を シ と して まなび、 シゼン ジシン の タイコ イライ の ケイケン を ワガモノ と して シゼン の カンキョウ に テキオウ する よう に つとめる で あろう。 マエ にも のべた とおり ダイシゼン は ジボ で ある と ドウジ に ゲンプ で ある。 ゲンプ の ゲンクン に ふくする こと は ジボ の ジアイ に あまえる の と ドウトウ に ワレワレ の セイカツ の アンネイ を ホショウ する ため に ヒツヨウ な こと で ある。
 ニンゲン の チカラ で シゼン を コクフク せん と する ドリョク が セイヨウ に おける カガク の ハッタツ を うながした。 なにゆえに トウヨウ の ブンカコク ニホン に どうして それ と おなじ よう な カガク が おなじ ホチョウ で シンポ しなかった か と いう モンダイ は なかなか フクザツ な モンダイ で ある が、 その サベツ の ゲンイン を なす タヨウ な インシ の ナカ の すくなくも ヒトツ と して は、 ジョウキ の ごとき ニホン の シゼン の トクイセイ が カンヨ して いる の では ない か と ソウゾウ される。 すなわち ニホン では まず ダイイチ に シゼン の ジボ の ジアイ が ふかくて その ジアイ に たいする ヨッキュウ が みたされやすい ため に ジュウミン は やすんじて その フトコロ に いだかれる こと が できる、 と いう イッポウ では また、 ゲンプ の ゲンバツ の キビシサ オソロシサ が ミ に しみて、 その キンセイ に そむき さからう こと の フリ を よく こころえて いる。 その ケッカ と して、 シゼン の ジュウブン な オンケイ を カンジュ する と ドウジ に シゼン に たいする ハンギャク を ダンネン し、 シゼン に ジュンオウ する ため の ケイケンテキ チシキ を シュウシュウ し チクセキ する こと を つとめて きた。 この ミンゾクテキ な チエ も たしか に イッシュ の ワイスハイト で あり ガクモン で ある。 しかし、 ブンセキテキ な カガク とは ルイケイ を コト に した ガクモン で ある。
 たとえば、 ムカシ の ニホンジン が シュウラク を つくり カコウ を ほどこす には まず チ を そうする こと を しって いた。 セイオウ カガク を ユニュウ した ゲンダイ ニホンジン は セイヨウ と ニホン と で シゼン の カンキョウ に いちじるしい ソウイ の ある こと を ムシ し、 したがって デンライ の ソウチ の ガク を ベッシ して たてる べからざる ところ に ジンコウ を ケンセツ した。 そうして コクフク しえた つもり の シゼン の ゲンプ の ふるった ムチ の ヒトウチ で、 その ケンセツブツ が じつに イクジ も なく カイメツ する、 それ を ガンゼン に みながら ジコ の サクゴ を さとらない で いる、 と いった よう な バアイ が チカゴロ ヒンパン に おこる よう に おもわれる。 ショウワ 9 ネン 10 ネン の フウスイガイ-シ だけ でも これ を ジッショウ して アマリ が ある。
 セイオウ ショコク を あるいた とき に ジブン の かんじた こと の ヒトツ は、 これら の クニ で シゼン の ジボ の ジアイ が アンガイ に ケツボウ して いる こと で あった。 コウセキキ の イブツ と みられる デイタンチ や スナジ や、 さも なければ はげた イワヤマ の おおい の に おどろいた こと で あった が、 また イッポウ で シゼン の ゲンプ の イゲン の モノタリナサ も かんぜられた。 ジシン も タイフウ も しらない クニ が たくさん あった。 シゼン を おそれる こと なし に シゼン を コクフク しよう と する カガク の ハッタツ には まことに カッコウ の ジバン で あろう と おもわれた の で ある。
 こうして ハッタツ した セイオウ カガク の セイカ を、 なんの ホネオリ も なく そっくり ケイショウ した ニホンジン が、 もしも ニホン の シゼン の トクイセイ を ふかく ニンシキ し ジカク した うえ で この リキ を テキトウ に リヨウ する こと を まなび、 そうして たださえ ホウフ な テンケイ を いっそう ユウリ に キョウユウ する と ドウジ に ワガクニ に トクイ な テンペン チイ の サイカ を ケイゲン し カイヒ する よう に ドリョク すれば、 おそらく セカイジュウ で ワガクニ ほど ツゴウ よく できて いる クニ は まれ で あろう と おもわれる の で ある。 しかるに ゲンダイ の ニホン では ただ テンケイ の キョウラク に のみ ムチュウ に なって テンサイ の カイヒ の ほう を ぜんぜん わすれて いる よう に みえる の は まことに おしむ べき こと と おもわれる。
 イジョウ きわめて ガイカツテキ に ニホン の シゼン の トクイセイ に ついて コウサツ した つもり で ある。 それで ツギ に かく の ごとき シゼン に いだかれた ニホンジン が その カンキョウ に おうじて いかなる セイカツ ヨウシキ を とって きた か と いう こと を かんがえて みたい と おもう。

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