カナ文字文庫(漢字廃止論)

日本文学の名作などをカナ書きに改めて掲載。

ニホンジン の シゼンカン 2

2014-11-07 | テラダ トラヒコ
 ニホンジン の ニチジョウ セイカツ

 まず イショクジュウ の ナカ でも いちばん ダイジ な ショクモツ の こと から かんがえて みよう。
 タイコ の センジュウ ミンゾク や トライ ミンゾク は おおく ギョカイ や チョウジュウ の ニク を ジョウショク と して いた かも しれない。 いつ の ジダイ に か ナンヨウ または シナ から イロイロ な ノウホウ が つたわり、 イッポウ では また ニクショク を いむ ブッキョウ の デンパ と ともに サイショク が ハッタツ し、 いつ と なく ベイコク が シュショクモツ と なった の では ない か と いう の は ダレ にも ソウゾウ される こと で ある。 しかし そうした ノウギョウ が ワガクニ の フウド に そのまま てきして いた か、 すくなくも しだいに ジュンオウ しつつ ハッタツ しうる もの で あった と いう こと が さらに コンポンテキ な リユウ で ある こと を わすれて は ならない。
 「サカナ」 の 「ナ」 は ナ でも あり ウオ でも ある。 フクショクモツ は しゅとして ギョカイ と ヤサイ で ある。 これ は この フタツ の もの の シュルイ と スウリョウ の ホウフ な こと から くる シゼン の ケッカ で あろう。 また それら の もの の ヒカクテキ シンセン な もの が テ に はいりやすい こと、 あるいは テ に はいりやすい よう な ところ に シュヨウ な ジンコウ が ブンプ された こと、 その ジジツ の ケッカ が ショクモツ の チョウリホウ に トクシュ な エイキョウ を およぼして いる か と おもわれる。 ヨケイ な チョウミ で ホンライ の アジ を エンペイ する よう な ムヨウ の テスウ を かけない で、 その シンセン な ザイリョウ ホンライ の ビミ を、 それ に ふくまれた キチョウ な ビタミン と ともに、 そこなわれない シゼン の まま で セッシュ する ほう が いちばん カイテキ ユウコウ で ある こと を しって いる の で ある。
 チュウオウ アジア の リョコウチュウ シナ の タイカン から ゴチソウ に なった ある セイヨウジン の キコウ-チュウ の キジ に、 スウジッシュ を さんする コンダテ の どれ も これ も みんな イチヨウ な カビ の ニオイ で トウカツ されて いた、 と いった よう な こと を かいて いる。
 もう ヒトツ ニホンジン の ジョウショク に あらわれた トクセイ と おもわれる の は、 ショクモツ の キセツセイ と いう テン に かんして で あろう。 ハイカイ サイジキ を くって みて も わかる よう に キセツ に おうずる ショクヨウ の ヤサイ ギョカイ の ネンシュウキテキ ジュンカン が それ だけ でも ニホンジン の ニチジョウ セイカツ を タサイ に して いる。 ネンジュウ おなじ よう に チョゾウ した バレイショ や タマネギ を かじり、 ヒモノ シオモノ や、 キセツ に かまわず ブタ や ウシ ばかり くって いる セイヨウジン や シナジン、 あるいは ほとんど ネンジュウ おなじ よう な カジツ を くって いる ネッタイ の ジュウミン と、 「ハシリ」 を よろこび 「シュン」 を たっとぶ ニホンジン とは こうした テン でも かなり ちがった ニチジョウ セイカツ の ナイヨウ を もって いる。 この チガイ は けっして それ だけ では すまない シュルイ の チガイ で ある。
 イフク に ついて も イロイロ な こと が かんがえられる。 サイショク が ハッタツ した と ほぼ ドウヨウ な リユウ から ショクブツセイ の マフ メンプ が シュヨウ な シリョウ に なり、 ケガワ や ケオリ が ユニュウヒン に なった。 メンプ マフ が ニホン の キコウ に てきして いる こと も やはり ジジツ で あろう と おもわれる。 ヨウサン が ユニュウ され それ が ちょうど よく フウド に てきした ため に、 ノチ には ケンプ が ユシュツヒン に なった の で ある。
 イフク の ヨウシキ は すくなからず シナ の エイキョウ を うけながら も やはり コユウ の キコウ フウド と それ に じゅんずる セイカツ ヨウシキ に シハイ されて コユウ の ハッタツ と ブンカ を とげて きた。 キンダイ では ヨウフク が フキュウ された が、 コユウ な ワフク が アト を たつ ヒ は ちょっと かんがえられない。 たとえば トウシツ カカン の セイオウ に ハッタツ した ヨウフク が、 ハンタイ に トウカン カシツ の ニホン の キコウ に おいて も ワフク に くらべて、 その セイリテキ コウカ が すぐれて いる か どう か は カガクテキ ケンキュウ を へた うえ で なければ にわか に ケッテイ する こと が できない。 しかし、 ニホン へ きて いる セイヨウジン が ナツ は このんで ユカタ を きたり、 ワイシャツ ヒトツ で カルイザワ の マチ を あるいたり する こと だけ を かんがえて も、 ワフク が けっして フゴウリ な もの ばかり で ない と いう こと の ショウコ が ホカ にも いろいろ さがせば みつかりそう に おもわれる。 しかし おかしい こと には ニホン の ガクシャ で まだ ニホンフク の キコウガクテキ ブツリテキ セイリテキ の イギ を じゅうぶん ショウサイ に ケンキュウ しつくした ヒト の ある こと を きかない よう で ある。 これ は ワタシ の カブン の せい ばかり では ない らしい。 そういう こと を ケンキュウ する こと を よろこばない よう な ニホン ゲンジ の フシギ な ガクフウ が そういう ケンキュウ の シュツゲン を ソシ して いる の では ない か と うたがわれる。
 ヨダン では ある が、 センジツ イナカ で ノウフ の きて いる ミノ を みて、 その キコウ の コウミョウ と セイノウ の ユウシュウ な こと に いまさら に カンシン した。 これ も モト は シナ アタリ から デンライ した もの かも しれない が、 ニホン の フウド に テキゴウ した ため に ドチャク した もの で あろう。 クウキ の リュウツウ が よくて しかも アメ や アラシ の シンニュウ を ふせぐ と いう テン では、 バーベリー の レーンコート より も ずっと すぐれて いる の では ない か と いう キ が する。 あれ も テンネン の セッケイ に なる チョウジュウ の ウモウ の キコウ を まなんで えた インジェニュイティー で あろう と ソウゾウ される。 それ が コンニチ では ほとんど ハクブツカン-テキ ソンザイ に なって しまった。
 ニホン の カオク が モクゾウ を しゅとして ハッタツ した ダイイチ の リユウ は もちろん いたる ところ に ハンモ した リョウザイ の えやすい ため で あろう、 そうして ヒンパン な ジシン や タイフウ の シュウライ に たえる ため に ヒラヤヅクリ か、 せいぜい 2 カイ-ダテ が ゲンド と なった もの で あろう。 ゴジュウ ノ トウ の ごとき は トクレイ で ある が、 あれ の ケンチク に しめされた コジン の コウガクテキ サイノウ は ゲンダイ ガクシャ の キョウタン する ところ で ある。
 ユカシタ の ツウフウ を よく して ドダイ の フキュウ を ふせぐ の は オンシツ の キコウ に ぜったい ヒツヨウ で、 これ を ムシ して つくった ブンカ ジュウタク は スウネン で ネダ が くさる のに、 イナカ の キュウカ には ヒャクネン の イエ が ヘイキ で たって いる。 ヒサシ と エンガワ を もうけて ニッシャ と ウセツ を とおざけたり して いる の でも ニホン の キコウ に テキオウ した コウミョウ な セッケイ で ある。 セイヨウジン は トウヨウ ダンチ へ きて やっと バンガロー の ベランダ-ヅクリ を おもいついた よう で ある。
 ショウジ と いう もの が また ぞんがい コウミョウ な ハツメイ で ある。 コウセン に たいして は チチイロ ガラス の ランプシェード の よう に ヒカリ を よわめず に カクサン する コウカ が あり、 カゼ に たいして も その チカラ を よわめて しかも テキギ な クウキ の リュウツウ を チョウセツ する コウカ を もって いる。
 ニホン の イエ は ナンヨウフウ で ナツムキ に できて いる から ニホンジン は ナンヨウ から きた の だ と いう セツ を たてた セイヨウジン が いた。 ゲンシテキ には あるいは ナンヨウ に ケイトウ を ひいて いない とも かぎらない で あろう が、 しかし たとえ そう で あって も ゲンジ の ニホン カオク は ニホン の キコウ に テキゴウ する よう に シンカ し、 また ニホン の カク-チホウ で ソレゾレ の キコウテキ トクチョウ に おうじて タショウ ずつ は ブンカ した ハッタツ をも とげて きて いる。 ヤネ の コウバイ や ヒサシ の フカサ など でも ナンゴク と ホッコク と では いくらか ソレゾレ に コユウ な トクチョウ が みられる よう に おもわれる。
 キンライ は テッキン コンクリート の ジュウタク も しだいに ふえる よう で ある。 これ は ジシン や タイフウ や カジ に たいして は モウシブン の ない テイコウリョク を もって いる の で ある が、 しかし ヒトツ こまる こと は あの あつい カベ が ネツ の デンドウ を おそく する ため に ダイタイ に おいて ナツ の ショハン は オクナイ の シツド が たかく フユ の ハンブン は カンソウ が はげしい と いう ケッカ に なる。 セイオウ ショコク の よう に ナツ が カンキ で フユ が シッキ に ソウトウ する チホウ だ と ちょうど いい わけ で ある が、 ニホン は ちょうど ハンタイ で ナツ は たださえ おおい シッケ が シツナイ に はいりこんで レイキャク し ソウタイ シツド を たかめたがって いる の で ある から、 オクナイ の カベ の ヒエカタ が ひどければ ひどい ほど ホウワ が ひどく なって コンクリート-ヘキ は イッシュ の ジョウリュウキ の ヤクメ を つとめる よう な こと に なりやすい。 フユ は まさに その ハンタイ に オクナイ の シッケ は ソト へ ねこそぎ しぼりとられる カンジョウ で ある。
 ニホン では、 ツチカベ の ソトガワ に ハメイタ を はった くらい が ボウカン ボウショ と シツド チョウセツ と を リョウリツ させる と いう テン から みて も ほぼ テキド な ダキョウテン を ねらった もの では ない か と いう キ が する。
 タイワン の ある チホウ では テッキン コンクリート-ヅクリ の テッキン が すっかり フショク して シマツ に こまって いる と いう ハナシ で ある。 ナイチ でも いつかは この シュ の ケンチクブツ の ホゾン キゲン が きれる で あろう が、 そうした とき の シマツ が トリコシ-グロウ の タネ には なりうる で あろう。 コンクリート-ヅクリ と いえど も ながい ショウライ の アイダ に まだ イクタ の フウドテキ な シレン を へた うえ で、 はじめて この コクド に ネ を おろす こと に なる で あろう。 シケン は これから で ある。
 ジュウキョ に フゾク した テイエン が また ニホン に トクユウ な もの で あって ニホンジン の シゼンカン の トクチョウ を セツメイ する に カッコウ な ジレイ と して しばしば ヒキアイ に でる もの で ある。 セイヨウジン は シゼン を カッテ に テセイ の イガタ に はめて キカガクテキ な ニワ を つくって よろこんで いる の が おおい のに、 ニホンジン は なるべく サンスイ の シゼン を そこなう こと なし に ジュウキョ の ソバ に ユウチ し ジブン は その シゼン の ナカ に いだかれ、 その シゼン と ドウカ した キモチ に なる こと を タノシミ と する の で ある。
 シナ の テイエン も ホンライ は シゼン に かたどった もの では あろう が、 むやみ に キガン カイセキ を つみならべた カイザイク の バケモノ の よう な シナフウ の ニワ は、 オオク の ジュン-ニホン シュミ の ニホンジン の メ には シゼン に たいする ヘンタイ シンリシャ の ボウコウ と しか みえない で あろう。
 ボンサイ イケバナ の ごとき も、 また ニホンジン に とって は テイエン の エンチョウ で あり また ある イミ で アッシュク でも ある。 ハコニワ は コトバドオリ に テイエン の ミニアチュア で ある。 トコノマ に サンスイ カチョウ の カケモノ を かける の も また その バリアチオン と かんがえられなく も ない。 セイヨウ でも カビン に カキ を もり バルコン に ゼラニウム を ならべ ショクドウ に ジョウリョクジュ を おく が、 しかし、 それ は しゅとして イロ の マッス と して で あり、 あるいは テンネン の コウスイビン と して で ある よう に みえる。 「エダブリ」 など と いう コトバ も おそらく セイヨウ の コクゴ には やくせない コトバ で あろう。 どんな ウラダナ でも アサガオ の ハチ ぐらい は みられる。 これ が みられる アイダ は、 ニホンジン は セイヨウジン には なりきれない し、 セイヨウ の シソウ や イズム は ソノママ の カタチ では ニホン の ツチ に ネ を おろしきれない で あろう とは つねづね ワタシ の おもう こと で ある。
 ニホンジン の ユウラク の ナカ でも いわゆる ハナミ ユサン は ある イミ では テイエン の カクチョウ で ある。 シゼン を ニワ に とりいれる カレラ は また ニワ を サンヤ に とりひろげる の で ある。
 ツキミ を する。 ホシマツリ を する。 これ も、 すこし ムリ な イイカタ を すれば テイエン の シゼン を ウチュウ クウサイ に まで カクチョウ せん と する の で ある と いわれない こと も ない で あろう。
 ニホン ジンコウ の サイダイ タスウ の セイサンテキ ショクギョウ が また ショクブツ の サイバイ に かんして いる と いう テン で テイエン-テキ な ヨウソ を もって いる。 フツウ な ノウサク の ホカ に セイチャ セイシ ヨウサン の ごとき もの も、 コウギョウ や キンダイテキ セイゾウ コウギョウ の ごとき もの に ヒカク すれば やはり テイエン-テキ で ある。 カゼ に そよぐ イナダ、 ツユ に よくした イモバタケ を シゼン カンショウ の タイショウブツ の ナカ に かぞえる の が ニホンジン なの で ある。
 ノウギョウシャ は また あらゆる ショクギョウシャ の ナカ でも もっとも おおく シゼン の キセツテキ スイイ に カンシン を もち、 シゼン の イジョウ ゲンショウ を おそれる もの で ある。 この こと が カレラ の フダン の チュウイ を シゼン の カンサツ に ふりむけ、 シゼン の メイレイ に ジュウジュン に フクジュウ する こと に よって その ゲンバツ を まぬがれ その オンケイ を キョウユウ する よう に ドリョク させる。
 ハンタイ の レイ を とって みる ほう が よく わかる。 ワタシ の チジン の ジツギョウカ で ネンジュウ いそがしい ヒト が ある。 この ヒト に ある とき ワタシ は ガンゼン の ワカバ の ウツクシサ に ついて の ハナシ を したら、 その ヒト は、 なるほど イマ は ワカバドキ か と いって はじめて キ が ついた よう に テイジョウ を みわたした。 いそがしい いそがしい で ジコウ が イマ どんな だ か そんな こと を かんがえたり する ヨユウ は ない と いう こと で あった。 こういう ヒト ばかり で あったら ノウギョウ は セイリツ しない。
 ツツ ウラウラ に ウミ の サチ を すなどる ギョミン や ミナト から ミナト を おう カコ センドウ ら も また キセツ ことに ヒビ の テンコウ に たいして ビンカン な カンサツシャ で あり ヨホウシャ でも ある。 カレラ の ナカ の コロウ は キショウ ガクシャ の まだ しらない ソラ の イロ、 カゼ の イキ、 クモ の タタズマイ、 ナミ の ウネリ の キビ なる チョウコウ に たいして センエイ な チョッカンリョク ドウサツリョク を もって いる。 ながい アイダ の イノチガケ の ベンキョウ で えた チョウ-カガクテキ の カガク チシキ に よる の で ある。 それ に よって カレラ は ウミ の オンケイ を うけつつ ウミ の ワザワイ を さける こと を まなんで いる で あろう。 それ で、 セイカツ に おわれる ギョミン ジシン は ジカクテキ には ウミ の シゼン を カイセツ する こと は しない と して も、 カレラ を とおして ウミ の シゼン が コクミン の ダイタスウ の シゼンカン の ナカ に シンジュン しつつ ニホンジン コユウ の カイヨウカン を つくりあげた もの で あろう。 そうして さらに また ヤマサチヒコ、 ウミサチヒコ の シンワ で ショウチョウ されて いる よう な カイリク セイカツ の セッショク コンゴウ が オオヤシマ の ジュウミン の タイ-シゼンカン を タサイ に し ホウフ に した こと は ウタガイ も ない こと で ある。
 イジョウ のべきたった よう な ニホン の シゼン の トクイセイ また それ に よって キヤク された ニホンジン の ニチジョウ セイカツ の トクイセイ は その ヒツゼン の コウカ を カレラ の セイシン セイカツ に およぼさなければ ならない はず で ある。 この ホウメン に かんして は ワタシ は はなはだ フアンナイ で ある が ジョウジュツ の ショセツ の ユキガカリジョウ すこし ばかり ダソク を くわえる こと を ゆるされたい。

 ニホンジン の セイシン セイカツ

 タンチョウ で コウリョウ な サバク の クニ には イッシンキョウ が うまれる と いった ヒト が あった。 ニホン の よう な タサイ に して ヘンゲン きわまりなき シゼン を もつ クニ で ヤオヨロズ の カミガミ が うまれ スウハイ されつづけて きた の は トウゼン の こと で あろう。 ヤマ も カワ も キ も ヒトツヒトツ が カミ で あり ヒト でも ある の で ある。 それ を あがめ それ に したがう こと に よって のみ セイカツ セイメイ が ホショウ される から で ある。 また イッポウ チケイ の エイキョウ で ジュウミン の テイジュウセイ ドチャクセイ が ケッテイ された ケッカ は いたる ところ の シュウラク に チンジュ の ヤシロ を たてさせた。 これ も ニホン の トクショク で ある。
 ブッキョウ が とおい トチ から イショク されて それ が ドチャク し ハツイク し ジゾク した の は やはり その キョウギ の ガンユウ する イロイロ の インシ が ニホン の フウド に テキオウ した ため で なければ なるまい。 おもう に ブッキョウ の コンテイ に ある ムジョウカン が ニホンジン の おのずから な シゼンカン と アイチョウワ する ところ の ある の も その ヒトツ の インシ では ない か と おもう の で ある。 カモ ノ チョウメイ の ホウジョウキ を インヨウ する まで も なく ジシン や フウスイ の サイカ の ヒンパン で しかも まったく ヨソク しがたい コクド に すむ モノ に とって は テンネン の ムジョウ は とおい とおい ソセン から の イデンテキ キオク と なって ゴゾウ ロップ に しみわたって いる から で ある。
 ニホン に おいて カガク の ハッタツ が おくれた リユウ は いろいろ ある で あろう が、 ヒトツ には やはり ニホンジン の イジョウ のべきたった よう な シゼンカン の トクイセイ に レンカン して いる の では ない か と おもわれる。 アメ の ない サバク の クニ では テンモンガク は ハッタツ しやすい が タウ の クニ では それ が さまたげられた と いう こと も かんがえられる。 マエ にも のべた よう に シゼン の メグミ が とぼしい カワリ に シゼン の ボウイ の ゆるやか な クニ では シゼン を セイギョ しよう と する ヨクボウ が おこりやすい と いう こと も かんがえられる。 まったく ヨソク しがたい ジシン タイフウ に むちうたれつづけて いる ニホンジン は それら ゲンショウ の ゲンイン を タンキュウ する より も、 それら の サイガイ を ケイゲン し カイヒ する グタイテキ ホウサク の ケンキュウ に その チエ を かたむけた もの の よう に おもわれる。 おそらく ニホン の シゼン は セイヨウリュウ の ブンセキテキ カガク の うまれる ため には あまり に タサイ で あまり に ムジョウ で あった かも しれない の で ある。
 ゲンザイ の イミ での カガク は ソンザイ しなかった と して も ソセン から ニホンジン の ニチジョウ に おける シゼン との コウショウ は イマ の カガク の メ から みて も ヒジョウ に ゴウリテキ な もの で ある と いう こと は、 たとえば ニホンジン の イショクジュウ に ついて ゼンジョウ で レイジ した よう な もの で ある。 その ゴウリセイ を 「ハッケン」 し 「ショウメイ」 する ヤクメ が ショウライ の カガクシャ に のこされた シゴト の ブンヤ では ない か と いう キ も する の で ある。
 ともかくも ニホン で ブンセキ カガク が ハッタツ しなかった の は やはり カンキョウ の シハイ に よる もの で あって、 ニホンジン の ズノウ の テイキュウ な ため では ない と いう こと は たしか で あろう と おもう。 その ショウコ には ニホン コライ の チエ を ムシ した カガク が オオハジ を かいた レイ は かぞえれば かぞえきれない ほど ある の で ある。
 ニホンジン の セイシン セイカツ の ショ-ゲンショウ の ナカ で、 ナニ より も メイリョウ に、 ニホン の シゼン、 ニホンジン の シゼンカン、 あるいは ニホン の シゼン と ヒト と を ひきくるめた ヒトツ の ゼンキテキ な ユウキタイ の ショ-ゲンショウ を ヨウヤク し、 また それ を シハイ する ショ-ホウソク を キロク した と みられる もの は ニホン の ブンガク や ショ-ゲイジュツ で あろう。
 キキ を ブンガク と いって は あたらない かも しれない が、 たとえば その ナカ に あらわれた シンワ-チュウ に アンジ された チキュウ ブツリテキ ゲンショウ の トクイセイ に ついて は かつて のべた こと が ある から りゃくする。
 オトギバナシ や デンセツ コウヒ の よう な もの でも ニホン の シゼン と その タイジン コウショウ の トクイセイ を アンジ しない もの は ない よう で ある。 ゲンジ モノガタリ や マクラ ノ ソウシ など を ひもといて みて も その ナカ には 「ニホン」 の あらゆる ソウボウ を シテキ する サイ に サンコウ す べき イッシュ の モクロクガキ が ホウゾウ されて いる こと を みとめる こと が できる で あろう。
 こういう テン で ナニ より も もっとも ダイヒョウテキ な もの は タンカ と ハイク で あろう。 この フタツ の タンシケイ の ナカ に もられた もの は、 オオク の バアイ に おいて、 ニホン の シゼン と ニホンジン との ホウガン に よって しょうじた ゼンキテキ ユウキタイ ニホン が もっとも ユウベン に それ ジシン を ものがたる コエ の レコード と して みる こと の できる もの で ある。 これら の シ の ナカ に あらわれた シゼン は カガクシャ の とりあつかう よう な、 ニンゲン から きりはなした シゼン とは まったく オモムキ を コト に した もの で ある。 また たんに、 フツウ に いわゆる ハイケイ と して タショ から かりて きて テンカ した もの でも ない。 ヒト は シゼン に ドウカ し、 シゼン は ニンゲン に ショウカ され、 ヒト と シゼン が カンゼン な ゼンキテキ な ユウキタイ と して いきうごく とき に おのずから はっする ガクオン の よう な もの で ある と いって も はなはだしい コチョウ では あるまい と おもわれる の で ある。 セイヨウジン の シ にも カンシ にも、 そうした ケイコウ の もの が いくらか は ある かも しれない が、 センガク な ワタシ の しる ハンイナイ では、 ガイコク の シ には ジガ と ガイカイ との タイリツ が いつも あまり に メイハク に たって おり、 そこ から フィロソフィー が うまれたり モラール が くみたてられたり する。 マンヨウ の タンカ や ショウモン の ハイク に おける が ごとく ヒト と シゼン との こんぜん と して ユウゴウ した もの を みいだす こと は ワタシ には はなはだ コンナン な よう に おもわれる の で ある。
 タンカ ハイカイ に あらわれる シゼン の フウブツ と それ に フズイ する ニホンジン の カンカク との もっとも テヂカ な モクロク サクイン と して は ハイカイ サイジキ が ある。 ハイク の キダイ と しょうする もの は ハイカイ の チチ なる レンガ を とおして レキシテキ に その ライレキ を ツイキュウ して ゆく と マクラ ノ ソウシ や ゲンジ モノガタリ から マンヨウ の ムカシ に まで も さかのぼる こと が できる もの が タスウ に ある よう で ある。 ワタシ の いわゆる ゼンキテキ セカイ の ショ-ダンメン の グショウセイ を ケッテイ する に ヒツヨウ な ザヒョウ と して の トキ の シテイ と ドウジ に また クウカン の ヒョウジ と して やくだつ もの が この いわゆる キダイ で ある と おもわれる。 もちろん タンカ の ナカ には ムキダイ の もの も けっして すくなく は ない の で ある が、 1 シュ 1 シュ と して みない で、 ヒトリ の サクシャ の セイサク ゼンタイ を つうじて ヒトツ の レンサク と して みる とき には、 やはり ニホンジン トクユウ の キダイカン が いたる ところ に オウイツ して いる こと が みとめられる で あろう と おもわれる。
 マクラコトバ と しょうする フシギ な ニホン コユウ の ソンザイ に ついて は まだ テッテイテキ な セツメイ が ついて いない よう で ある。 この フシギ を セツメイ する カギ の ヒトツ が ジョウジュツ の ショセツ から いくらか アンジ される よう な キ が する。 トウケイ を とって みた わけ では ない が、 こころみに マクラコトバ の ゴイ を テンケン して みる と、 それ ジシン が テンネン の ケイブツ を イミ する よう な コトバ が ヒジョウ に おおく、 ナカ には いわゆる キダイ と なる もの も けっして すくなく ない。 それら が ヒョウメンジョウ は たんなる オンインテキ な レンサ と して もちいられ、 わるく いえば たんなる コトバ の ユウギ で ある か の ごとき カン を ていして いる に かかわらず、 ジッサイ の コウカ に おいて は マクラコトバ の ヤクメ が けっして ジグチ や パン の それ で ない こと は オオク の ニホンジン の うたがわない ところ で ある。 しかし それ が なにゆえに そう で ある か の セツメイ は ヨウイ で ない。 ワタシ の ひそか に かんがえて いる ところ では、 マクラコトバ が よびおこす レンソウ の セカイ が あらかじめ ヒトツ の ブタイ ソウチ を テンカイ して やがて その マエ に エンシュツ さる べき シュカン の カツヤク に テキトウ な カンキョウ を くみたてる と いう ヤクメ を する の では ない か と おもわれる。 カンゲン すれば ある トクシュ な フンイキ を よびだす ため の ジュモン の よう な コウカ を しめす の では ない か と おもわれる。 しかし、 この ジュモン は ニホンジン の ごとき トクイ な シゼンカン の ショユウシャ に たいして のみ ユウコウ な ジュモン で ある。 シゼン を ロンリテキ カガクテキ な タチバ から みる こと のみ を しって それ イガイ の ミカタ を する こと の カノウセイ に こころづかない ミンゾク に とって は、 それ は まったく の ナンセンス で あり アクシュミ で さえ も ありうる の で ある。
 こんな こと を かんがえた だけ でも、 ワカ を ガイコクゴ に ホンヤク した だけ で ガイコクジン に あじわわせよう と いう ココロミ が いかに ノゾミ すくない もの で ある か を リョウカイ する こと が できる で あろう。 また キダイ なし の シンハイク を セイゾウ しよう と する よう な ウンドウ が いかに ジンコウテキ な もの で ある か を さとる こと が できる で あろう と おもわれる。
 ニホンジン の トクイ な シゼンカン の トクイセイ を ある イチ ホウメン に ブンカ させ、 その ホウコウ に イジョウ な ハッタツ を とげさせた もの は イッパン ミンシュウ の アイダ に おける ハイカイ ホック の リュウコウ で あった と おもわれる。 かえって ずっと ふるい ムカシ には ミンシュウテキ で あった か と おもわれる タンカ が チュウヨウ から しだいに キュウテイジン の チテキ ユウギ の グ と なり あるいは ソウリョ の トンセイ テツガク を フウエイ する に カッコウ な シケイ を テイキョウ して いたり した の が、 ノチ に レンガ と いう ケイシキ から イッテン して しだいに そうした カイキュウテキ の ソクバク を だっし いわゆる ハイカイ から ホック に シンカ した ため に いちじるしく その カツヤク する セカイ を カクチョウ して シザイ の セッシュ ハンイ を ホウフ に した。 それ と ドウジ に また コライ の シジン に よって やしなわれ つくりあげられて きた ニホン コユウ の シゼンカン を ひろく イッパン ミンシュウ の アイダ に デンパ する と いう コウカ を しょうじた で あろう と ソウゾウ される。 ハイク を ケンキュウ して ある テイド まで リカイ して いる ある フランスジン に いわせる と ニホンジン は ヒトリ のこらず ミンナ シジン で ある と いう。 これ は たんに ハイク の シケイ が みじかくて ダレ でも まねやすい ため で あり、 たんに それ だけ で ある と おもって は ならない。 そういう シケイ を カノウ ならしめる ジュウダイ な ゲンリ が まさに ニホンジン の シゼンカン の トクイセイ の ナカ に そんし、 その ウエ に リッキャク して いる と いう コンポンテキ な ジジツ を みのがして は ならない。 そういう トクイ な シゼンカン が コクミン ゼンタイ の アイダ に しみわたって いる と いう ヒッス ジョウケン が リッパ に マンゾク されて いる と いう ジジツ を ボウキャク して は ならない の で ある。
 タンカ や ハイク が つかいふるした もの で ある から と いう だけ の タンジュン な リユウ から その シケイ の ハキ を くわだて、 ナイヨウ の コンポンテキ カクシン を ゆめみる の も あえて とがむ べき こと では ない と して も、 その キト に チャクシュ する マエ に ワタシ が ここ で いわゆる ゼンキテキ ニホン の カイボウガク と セイリガク を ジュウブン に ツイキュウ し ニンシキ した うえ で シゴト に とりかからない と、 せっかく な キト が あるいは おそらく トロウ に おわる の では ない か と ユウリョ される の で ある。
 ビジュツ コウゲイ に ハンエイ した ニホンジン の シゼンカン の エイキョウ も また ズイショ に もとめる こと が できる で あろう。
 ニホン の カイガ には ガイカツテキ に みて、 ブッキョウテキ カンシ-テキ な ユニュウ ヨウソ の ホカ に ワカ-テキ な もの と ハイク-テキ な もの との サンカクケイ-テキ な タイリツ が みとめられ、 その サンカク で あたえられる よう な イッシュ の サンカク ザヒョウ を もって あらゆる ガカ の イチ を ケッテイ する こと が できそう に おもわれる。 たとえば カノウ-ハ、 トサ-ハ、 シジョウ-ハ を それぞれ この サンカク の ミッツ の チョウテン に ちかい ところ に ハイチ して みる こと も でき は しない か。
 それ は いずれ に して も これら の ショハ の エ を つうじて いわれる こと は、 ニホンジン が ユニュウ し また ソウゾウ しつつ ハッタツ させた カイガ は、 その タイショウ が ニンゲン で あって も シゼン で あって も、 それ は けっして ガカ の シュカン と タイリツ した キャッカン の それ では なく リョウシャ の ケツゴウ し コウサク した ゼンキテキ な セカイ ジシン の ヒョウゲン で ある と いう こと で ある。 セイヨウ の ガカ が ヒカクテキ キンネン に なって、 むしろ こうした カイガ に カイガ ホンライ の シメイ が ある と いう こと を ハッケン する よう に なった の は、 ジュウライ の キャッカンテキ ブンセキテキ カイガ が カガクテキ フクセイ ギジュツ の シンポ に おびやかされて キュウチ に たった サイ、 ぐうぜん ニホン の ウキヨエ など から カツロ を アンジ された ため だ と いう セツ も ある よう で ある。
 ツギ に オンガク は どう で ある か。 ニホン の ミンシュウ オンガク-チュウ でも、 カシ を シュ と しない、 ジュンスイ な キガク に ちかい もの と して の サンキョク の ごとき も、 その ヒョウゲン せん と する もの が しばしば シゼンカイ の オト で あり、 また ガッキ の ミョウオン を ケイヨウ する ため に シゼン の モノオト が しばしば ヒカク に もちいられる。 ニホンジン は オト を つうじて も シゼン と ドウカ する こと を イト と して いる よう にも おもわれる。

 ケツゴ

 イジョウ の ショセツ を ヨウヤク する と、 ニホン の シゼンカイ が クウカンテキ にも ジカンテキ にも フクザツ タヨウ で あり、 それ が ジュウミン に ムゲン の オンケイ を さずける と ドウジ に また フカコウ な イリョク を もって カレラ を シハイ する、 その ケッカ と して カレラ は この シゼン に フクジュウ する こと に よって その オンケイ を ジュウブン に キョウラク する こと を まなんで きた、 この トクベツ な タイ-シゼン の タイド が ニホンジン の ブッシツテキ ならびに セイシンテキ セイカツ の カク-ホウメン に トクシュ な エイキョウ を およぼした、 と いう の で ある。
 この エイキョウ は チョウショ を もつ と ドウジ に その タンショ をも もって いる。 それ は シゼン カガク の ハッタツ に フリ で あった。 また ゲイジュツ の シメイ の フクイン を セイゲン した と いう トガメ を うけなければ ならない かも しれない。 しかし、 それ は やむ を えない こと で あった。 ちょうど ニホン の フウド と セイブツカイ と が ワレワレ の チカラ で ジユウ に ならない と ドウヨウ に どうにも ならない シゼン の ゲンショウ で あった の で ある。
 チリテキ ジョウケン の ため に ながい アイダ サコク ジョウタイ を たもって きた ニホン が ようやく セカイ の タ の ブブン と セッショク する よう に なった の は ヒトツ には カガク の シンポ に よって コウツウ キカン が しだいに ハッタツ した おかげ で ある とも みられる。 じっさい コウツウ キカン の ハッタツ は チキュウ の オオイサ を ちぢめ、 チリテキ カンケイ に シンジン な ヘンカ を あたえた。 ある とおい ところ が ある ちかい ところ より も コウツウテキ には ちかく なったり して、 いわば クウカン が ねじれゆがんで きた。 キョリ の シャクド と ジカン の シャクド も イロイロ に くいちがって きた。 そうして ヒト は センリガン ジュンプウジ を カクトク し、 かつて ゆめみて いた トリ の ツバサ も テ に いれた。 このよう に、 シゼン も かわり ニンゲン も ムカシ の ニンゲン と ちがった もの に なった と する と、 モンダイ の ニホンジン の シゼンカン にも それ に ソウトウ して なんらか の ヘンカ を きたさなければ ならない よう に おもわれる。 そうして、 この あたらしい ニホンジン が あたらしい シゼン に ジュンオウ する まで には これから サキ ソウトウ に ながい ネンゲツ の シュウレン を ヒツヨウ と する で あろう と おもわれる。 オオク の シッパイ と カゴ の にがい ケイケン を かさねなければ なるまい と おもわれる。 げんに そうした ケイケン を コンニチ ワレワレ は いたる ところ に あじわい つつ ある の で ある。
 そう は いう ものの、 ニホンジン は やはり ニホンジン で あり ニホン の シゼン は ほとんど ムカシ の まま の ニホン の シゼン で ある。 カガク の チカラ を もって して も、 ニホンジン の ジンシュテキ トクシツ を カイゾウ し、 ニホン ゼンタイ の フウド を ジユウ に シハイ する こと は フカノウ で ある。 それ にも かかわらず この きわめて みやすい ドウリ が しばしば わすれられる。 セイヨウジン の イショクジュウ を もし、 セイヨウジン の シソウ を ケイショウ した だけ で、 ニホンジン の カイボウガクテキ トクイセイ が イッペン し、 ニホン の キコウ フウド まで も いれかわり でも する よう に おもう の は ソコツ で ある。
 ヨダン では ある が、 ヒフ の イロ だけ で、 ジンシュ を クベツ する の も ずいぶん ムイミ に ちかい ブンルイ で ある。 ヒト と シゼン と を がっして ヒトツ の ユウキタイ と する ミカタ から すれば シナジン と ニホンジン とは けっして あまり ちかい ジンシュ では ない よう な キ も する。 また トウヨウジン と ヒトクチ に いって しまう の も ずいぶん クウキョ な コトバ で ある。 トウヨウ と しょうする ひろい チイキ の ナカ で ニホン の フウド と その コクミン とは やはり シュウイ と まったく かけはなれた 「シマ」 を つくって いる の で ある。
 ワタシ は、 ニホン の あらゆる トクイセイ を ニンシキ して それ を いかしつつ シュウイ の カンキョウ に テキオウ させる こと が ニホンジン の シメイ で あり ソンザイ リユウ で あり また セカイ ジンルイ の ケンゼン な シンポ への キヨ で あろう と おもう もの で ある。 セカイ から サクラ の ハナ が きえて しまえば セカイ は やはり それだけ さびしく なる の で ある。

(ツイキ) イジョウ シッピツチュウ ザッシ 「ブンガク」 の 8 ガツ トクシュウゴウ 「シゼン の ブンガク」 が カンコウ された。 その ナカ には、 ニホン の ブンガク と ニホン の シゼン との カンケイ が カク-ホウメン の ショカ に よって ショウサイ に ロンジュツ されて いる。 ドクシャ は それら の ユウエキ な ショセツ を サンショウ されたい。 また その カントウ に ケイサイ された ワツジ テツロウ シ の 「フウド の ゲンショウ」 と だいする ショセツ と、 それ を ジョヘン と する ドウシ の キンカン チョショ 「フウド」 に おける もっとも ドクソウテキ な ゼンキテキ シゼンカン を サンショウ されたい。 ジブン の ジョウジュツ の ショセツ の ナカ には ワツジ シ の じゅうらい すでに ハッピョウ された シゼン と ニンゲン との カンケイ に ついて の オオク の ショロン に エイキョウ された と おもわれる テン が すくなく ない。 また ユウジン コミヤ トヨタカ、 アベ ヨシシゲ リョウシ の チョショ から アンジ を うけた テン も おおい よう に おもわれる の で ある。
 なお セッチョ 「ジョウハツザラ」 に おさめられた ハイカイ や レンク に かんする ショセツ や、 「ケイコウバン」 の ナカ の テンサイ に かんする ショヘン をも サンショウ さるれば タイコウ で ある。

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