鴨着く島

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新春の京都三社と伊勢三宮(3)

2019-01-22 13:56:51 | 旅行

二日目は伊勢。

伊勢で詣でるのはもちろん伊勢神宮の内宮と外宮だが、今度のツアーは二見ヶ浦の興玉神社を参拝してから本宮に向かうという「正式参拝」だった。

興玉(おきたま)神社に祭られているのは、猿田彦大神・ウカノミタマ大神・ワタツミノ大神。猿田彦は高天原から天下ったニニギノミコトを先導して南九州(古日向)の「笠沙の宮」に案内した国津神で、「道開き」「道案内」などの功神として崇敬を集めている。

昔は伊勢神宮参拝の時には、必ずこの二見ヶ浦でみそぎをしてから出向いたものという。今日のツアーではここに詣でるだけで、その点は省略されている。興玉神社参道入り口。年に3回の「大注連縄張り神事」で有名な夫婦岩は写真の右手の海中にある。

興玉神社の参拝を済ませた後、次に向かったのは外宮。

二見浦からは6キロほど内陸に入った外宮は、丹後の与謝宮に祭られていたトヨウケノ大神を伊勢に勧請するようにとのアマテラス大神の命により当地に遷宮されたとの伝承を持つ。

伊勢神宮(内宮)の現社地は垂仁天皇の皇女ヤマトヒメがアマテラス大神を祭るのによい場所を求めて諸国を転々とした後にようやく発見された(?)霊地であり、それが史実とすれば4世紀半ば頃のことで、外宮の建立はそれから100年余り後の雄略天皇の時代とされている。

いずれにしても伊勢のこの地は、陽光にまた海の幸・山の幸に恵まれ、さらに黒潮を動脈とする海上交通の要衝(敷波寄する国)でもあり、大和国家の最高神(日の神)を祭るにふさわしい土地柄だろう。

内宮はさすがに正月を過ぎたこの時期でも、一般や団体の参拝客が引きも切らずに訪れていた。

私が神宮(通常、現地では伊勢神宮と言わずにただ神宮というそうだ)を参拝するのは今度で4回目で、直近がもう25年も前になる。それでも宇治橋からの参道のたたずまいは昔とちっとも変っていないのが、ありがたい。

5年前の「式年遷宮」によって向かって左のエリアに新しい社殿が建てられていたが、ここでも参拝をするためには人の後ろに並んで待つ必要があった。

内宮本殿を参拝した後は荒祭宮(祭神:アマテラス大神の荒御魂)を経て宇治橋に戻ったが、途中で目にした「御稲御倉神社」(みしねみくら神社)は稲魂を祭る神社というより倉庫だが、いわゆる棟持ち柱のある高倉で、これは2000年前(弥生中期)という鹿児島県鹿屋市の王子遺跡で出土した高倉(住居)址と同じ構造だ。

南九州とのつながりはここでも見て取れる。(残念なことに写真を撮るのを失念していた)

宇治橋まで戻ったところで、三重県松坂市在住の親類と落ち合い、昼食時の自由散策2時間が設けられていたので、久闊を詫びつつ昼食を共にした。

 


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