140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

大鏡(新潮日本古典集成)

2013-11-09 00:05:05 | 古典
道長は権力の象徴であり、
帝位は序列を作り出し権力を遍く下々に伝播させる。
大陸では武力と権力は等しく王を殺した者が次の王となった。
日本で帝に取って代わろうと考えたのは平将門くらいと思われる。
島国では他国の脅威に晒される機会がほとんどないため
強い王を持たなくとも独立は維持される。
そういうことかもしれない。

三条天皇が道長の圧力に屈して譲位し、道長の娘の彰子が生んだ後一条天皇が即位する。
この時、院の強い要望により、敦明親王が東宮に立ったが、
三条院が崩御すると敦明親王は東宮を辞退した。

大鏡には「斯かる事の出で来ぬる御喜び、なお尽きせず。
まづ、『いみじかりける大宮の御宿世かな』とおぼしめす」と書かれている。
「まことに好都合に東宮の方から辞退を申し出てこられる事態になった御喜びはつきない。
『すばらしい皇太后宮(彰子)さまの前世からの御幸運よ』と道長は語ったという」
もちろん藤原氏の圧力によって東宮が退位したなどとは書けないのだが
持って生まれた娘の幸運などと語るところが卑しい。

敦明親王は王位継承権を放棄することで生き延びた。
東宮を退位した後に院号を受けたし道長の娘である寛子の婿にしてもらった。
そうすると確かに彰子は幸運で寛子は不運ということになるのだろう。
道長の子供であれば皆、幸運というわけではない。

大鏡は道長の子供としては不遇であった能信の周辺の者たちにより成立したらしい。
どの時代の藤原氏であっても兄弟同士の仲は悪いものだが
能信にとっては頼道・教道の栄華はおもしろくない。父の存命中は自分の処遇も良かった。
その頃を懐かしんで道長賛美の本書が成立したということらしい。

「天の帝の作りたまへる東大寺も、仏ばかりこそは大きにおはすめれど、
猶この無量寿院には並びたまはず。」と
道長が造成した法成寺の阿弥陀堂である無量寿院が賛美されているが、
法成寺が焼失し跡形もなくなってしまったことは徒然草にも記載されている。
有形のものを失った私たちは何を賛美すれば良いだろうか?
圧力を掛けて東宮を廃した政治的手腕を
賛美すれば良いだろうか?

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