ティム・オブライエン「ニュークリア・エイジ」という本を読んだ。
シェルターを掘り続ける男の姿とベトナム戦争をめぐる若者たちの姿が交互に描かれ
訳者の村上春樹さんの解説によれば「現代の総合小説」というものに
仕上がっているという。
「作者は自分の中にある精神性のあらゆる要素と断片―
それこそ形あるものないものすべてを使いきって、この作品を書き上げているのだ。
そしてもうこれ以上は何もないという地点でこの作品を書き終えている」と
いうことらしい。
そしてあらゆる要素を含むということは読者の経験に依存した異なった捉え方が
生じるということになる。
全編を通じて狂気と妄想が支配しているように感じられる。
しかしその中には様々な形の愛も入り混じっている。
そして日常と狂気の境目はなく
どこからが正気でどこからが狂気かという線を引くことは不可能だ。
それは登場人物に固有のものではなくて
私たちの中に内在しているものなのだろうと思った。
前に読んだ「世界のすべての7月」は2002年の作品だが
この作品は1985年に書かれている。
「世界のすべての7月」の方が読みやすくて登場人物に感情移入しやすい。
そしてやはり訳者が言及していることだが
この作品の登場人物に感情移入することは難しい。
決して嫌いになるような人々が描かれているわけではないのに
誰に対しても感情移入を保留したくなる。
そうした読者を引き付けるための手段を放棄した小説を書いてしまうところに
何かしらの敬意を感じる。
シェルターを掘り続ける男の姿とベトナム戦争をめぐる若者たちの姿が交互に描かれ
訳者の村上春樹さんの解説によれば「現代の総合小説」というものに
仕上がっているという。
「作者は自分の中にある精神性のあらゆる要素と断片―
それこそ形あるものないものすべてを使いきって、この作品を書き上げているのだ。
そしてもうこれ以上は何もないという地点でこの作品を書き終えている」と
いうことらしい。
そしてあらゆる要素を含むということは読者の経験に依存した異なった捉え方が
生じるということになる。
全編を通じて狂気と妄想が支配しているように感じられる。
しかしその中には様々な形の愛も入り混じっている。
そして日常と狂気の境目はなく
どこからが正気でどこからが狂気かという線を引くことは不可能だ。
それは登場人物に固有のものではなくて
私たちの中に内在しているものなのだろうと思った。
前に読んだ「世界のすべての7月」は2002年の作品だが
この作品は1985年に書かれている。
「世界のすべての7月」の方が読みやすくて登場人物に感情移入しやすい。
そしてやはり訳者が言及していることだが
この作品の登場人物に感情移入することは難しい。
決して嫌いになるような人々が描かれているわけではないのに
誰に対しても感情移入を保留したくなる。
そうした読者を引き付けるための手段を放棄した小説を書いてしまうところに
何かしらの敬意を感じる。