最近のお気に入りのトーストの食べ方は、
パンを焼く前にバターを多めに乗せ、
その上に「ふじっこ」(塩昆布の細かい奴)を乗せて
焼きます。
表面のこんぶはカリカリになって香ばしく、
バターにふれてるこんぶはしっとり。
すっごくおいしいです。
以前から海草と乳製品の相性は抜群だなぁと思ってたのですが、
これはいけます。
生のりのクリームパスタとか、チーズに青海苔とかも最高!
ふじっこは便利です。
ご飯にそのまま乗っけてよし、
ピーマンやナスとごま油で炒めてよし(他に調味料要らない)、
和風パスタの味付けによし。
買い置き必須です。
今日、おもしろい文章を読みました。
世間では無農薬野菜・果物というと
体に良い、おいしいというイメージを持ってます。
これは人間が使う農薬の害、危険性のイメージに対比して
そう言われるわけですが、
すでにそういうイメージで判断しているときに、
実際はどうかということを考えるでしょうか。
そういった感じの内容です。
この「実際」について考えるのもおもしろいのですが、
他におもしろいと思ったのは、
これは1つの例で、ものすごくたくさんのこと
(もしかしたらほとんどの事)を
こういう風にして判断し、それが本当の事だと
信じてるんだなぁという事実を、
この文章に指摘されて気が付いたことです。
まぁ、いちいちやってられないって事もありますが
(ある意味生きるのに必要なこと)
怖いのは自分の思考だと信じてても、
実は自分で自分の思考を制御してないって事ですよ!
こわ~。
「実際」についてですが、
農薬も科学肥料も使わないとなれば、
植物は自然で生きることができる能力をつけようと
するはずですとのこと。
そういわれてみれば、
自然の中で採れる食べ物(植物)には
あからさまに毒があるものもあれば、
発がん性の高いものやあくの強いもの、
分かっていないことだっていっぱいあるはず。
「自然の植物」=「農薬使って改良して作った植物より人間の体にやさしい」って
どーして単純に言うことができるでしょうか?
ってことです。
植物は人間のために育ってるわけじゃない。
そのことをつい忘れがちになります。
食べられないように防衛してる。
ゴーヤが苦いのも若い実が動物に食べられないように
という見方があるそうです。
熟して赤くなると甘くなるので
その時期になったら逆に食べてもらって種を
よそに運んでもらう。
植物の子孫繁栄の戦略か・・。
そう考えると、
「自然は人間のためにあるものじゃない」
でも、お互い利用しあってる。
そう考えることもできる・・というか、
絶対そうだなぁ。
私は植物を育てるのが大好きなのですが、
これも植物の戦略かもしれません。
私が好きそうな格好をして、
良い香りをして、
育てさせてる?
「花を折るのはかわいそうだ」という意見をたまに見たり
聞いたりしますが、これだって本当にそうでしょうか?
バラや椿は手折っても、土に挿せば根がつきます。
草はさすがにそうはいかないけど、
人が気に入れば一部は種として持ち帰り、
育てたりする。
私が知ってることは少ないのでこの辺は答えに
至らないとしても、
「かわいそう」というのは一見植物にやさしそうに
見えますが、本当にそうでしょうか?
今日読んだ文章にもあるのですが、
そういう植物や自然へのイメージ、
それは植物が自分で動いて逃げることもできない、
自分(人間)に比べて不自由なかわいそうな生き物だ
とどこかで思ってるから「かわいそう」と思うのではないでしょうか・・・
植物を知り尽くしてなおそう思うのと、
自分で知ろうともしないでそう思い込んでの思考だったら、
後者はすごく不自由な思考だろうと思う。
私は知り尽くしてはいないけど、いつも
植物はすごいなぁと思う出来事がいっぱいです。
だからやっぱり、植物は決してかわいそうな生き物じゃない。
人に比べて劣ってることもない。
そう強く思ったらなんだかうれしくなってしまいました。