こんにちは  お元気ですか(上郡町 そとかわピアノ教室)

上郡町の、小さなピアノ教室です。
ピアノを通して元気になれる教室を目指しています!

運命

2010年05月31日 | 生き方
人には三つの運命があります。

天から授かっている天運。

周りの人から助けられる他運。

自分で努力して切り開いていく人運。

この三つがあいまって人間は生きていくのです。
               (瀬戸内寂聴)


いままでにたくさんの出会いがあり、選択があり、分かれ道を自分で選んできました。

また、自分で選んだというその元には、たくさんの人の生き様や言葉にならない助言があり、今の私につながっているわけで。

選びとったその先がちょっとつらいと思うようなことも、きっと大きな空の上から見渡せばいろんな考え方があるのかもしれません。


・・・こうやって、だんだんとカドが取れて丸い人間になっていけたらいいんですけど。






<夕べの献立>
おそば
鶏肉煮込み

見えないもの

2010年05月30日 | その他
主人が丹精こめている蘭の鉢を洗うのを手伝いました。
 

まだまだこのほかにも段ボール箱にたくさん残っています。

小さな鉢にこびりついた土や植物の根っこ、みずごけなどスポンジやたわしでひとつづつ洗っていきます。

自分でしてみて初めてこんな地味な作業をしてたんだ、と花のきれいな時期に喜んで、後は知らん顔をしていて、悪かったな、と思いました。

休日も部屋に閉じこもって黙々となにやら作業をしていたのを、思い出しました。

見えないところに、きれいな花の秘密が隠されているのですね。

今回ちょっぴりその秘密の部分に加わって、来年の開花時期の楽しみがひとつ増えたような気がします。




今年もやってきました、ツバメたち。


<夕べの献立>
お刺身
大根サラダ
味噌汁

まちの八百屋さん

2010年05月29日 | その他

阪神間の住宅街に出かけることがあり、歩いていると、小さな八百屋さんがありました。

ちょうどひとりの女性が大根を買っていて、八百屋のおじさんは

「葉っぱはどうする?切ってあげようか?持って帰る?いらないの?葉っぱもおいしいんだよ。料理すればいいのに・・・」


「はい、毎度。200円の360円の520円の・・・・」



なんとも、切れ目のない元気な掛け声と、いろどりのいい野菜たち、手書きの値ふだに、つい引き込まれてお店に足を踏み入れました。

すでに何人かのお客がいて、お勘定の順番を待っています。
「いや~、こんなにたくさんのお嬢様に囲まれて、おれ、今日は幸せだなあ。今日はいったいどうなってんの?」

やっと私の順番が回ってきて、
「ごめんねえ、待たしちゃって。葉っぱは切るかい?」
私が手にした大根を見てたずねてくれました。

葉っぱはつけたまま、さっきの切り落とした葉っぱもちょうだい、とたのむと
「おや、よく見てるねえ」
と、笑いながら入れてくれました。

今日のお勧めの野菜、料理方法など話すうちに、小学生が通りかかり、
「おっちゃん、ただいまぁ!」
と、口々に声をかけます。

「おう!お帰り!よく勉強したか?学校は面白いか?先生の言うことちゃんと聞いたか?」
と、大きな手を振って子どもたちを送ります。

こういう買い物、しばらくしてないなあ。
人がたくさん行き交って、いろんな人の生活が交じり合う場所。

たまらなく懐かしく、ついつい、たくさん買い物をしてしまいました。




<夕べの献立>
お取り寄せの餃子
サラダ
わかめのスープ

あとでわかる

2010年05月28日 | 生き方
そう。
さすがにこのトシまで生きてくると、後になってわかることのなんとありがたいことよ、と思うことが多々あり、人生はいいものだなあとしみじみすることがあります。

今日は長いですが、その、しみじみとしたひとつのお話をご紹介したいと思います。


「汝らいま知らず、のち知るべし」

という聖書の言葉があります。

どんなに苦しい出来事に遭遇しても、そこには必ず何かの意味があり、
いまは分からなくても、その苦しみが種になって必ずよい実りをもたらしてくれる、というもの。

大切なのは

それを信頼する力を自分の中に育てていくこと

なんだそうです。


人生には時折、大きな悲しみが
襲ってくることがあり、身近な人の死もその一つです。

そういう試練に立たされる時、
誰もが激しく動揺します。

しかし、時間が経過する中で、
ある時、その試練に深い意味が
あったのだと気づくことがあるのです。


ある、熱心なクリスチャンのご夫婦の奥様が癌と診断されました。

「自分は妻なしには生きていけない」

と、ご主人は沈痛な思いを抱えつつ、病室で奥様と語り合い、密なる時間を過ごす中で、

自分たちの意志を超える出来事は、
どんなに喚いても、愚痴を言っても
どうすることもできない。

ただ現実を受け入れ、心の中で


「神様は必ずよくしてくださる」


という信頼を失わないことが
何よりも大事だと気づいたのでした。

奥様が亡くなるとき、病室には家族や兄弟が集まっていたのですが、
 酸素吸入をして苦しそうな呼吸の中から、
 突然目をはっきりと開いて、
 急にしっかりした姿勢になり、
 
 
 「長い幸せな人生で、出会ったすべての人々に
 感謝申し上げたいと思います」


 と、はっきり話しました。
 びっくりしたご主人はすぐにその言葉を書き取りました。

 その後に続いて、


 「神様にとっては、大きなことも小さなことも、
  どちらも正しいことなのです。
  一人ひとりの心にあることなのです。
 
  ありがとうございます。
  何も最後まで言わないでおりますが、お願いします」
 
 
 と言われました。


 ご主人にとって早すぎる奥様の死は


 「神様、なぜ今なのですか?」


 と聞かずにおれません。でも、後になって、あの時が


 「すべてのときにかなって美しいとき」


 だったのだと思える日が来ることを信じることにしました。

 生前、奥様は

 「常に喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝せよ」

 という聖書の言葉を食卓の脇にかけ、
 病を得ても感謝し、絶えず人のために尽くしてこられました。
 
 ご主人は、苦難をも喜びに変え、人のために祈り、
 すべてのことを感謝にかえていける奥様のことを
 成熟した人間の条件にかなっていた、とふりかえります。

そして、奥様が病床で作られた歌が紹介されました。

「ありがとう

 何べん言っても言い足りぬ

 病は感謝の泉なりけり」




・・・・・・真実ほど心を打つものはない、といいます。
たいした病気も怪我もしたことがなく、前向きな明るさを持つ反面、いまひとつ人を思いやる気持ちに欠ける「ときも」ある私は、

感謝の心を忘れないようにしよう
思いやりの言葉をかけるようにしよう
死ぬときに後悔しないような人生を送ろう

などとカッコいいことを言ったり書いたりしていますが、
この奥様の真実の感謝の前では
これらの言葉ががすべて色あせるような心もとなさを感じたのでした。



いいお話でした。




 



<夕べの献立>
お好み焼き

子育てに必要なものは

2010年05月27日 | 教育のこと
なんだか、寒い・・・・。もう5月も下旬だと言うのに天気予報で「寒気団が・・・」などと説明しています。みなさま、風邪などひかれませんように・・・・。


先日、全国学力調査で福井県が高い成績を収めた理由はどこにあるのか、理由を探る記事を読みました。

3世代同居率が非常に高く、親の変わりに祖父、祖母世代が大きく子どもの成長にかかわっていることがあげられていました。

おじいちゃんおばあちゃんと一緒にいることで規則正しい生活が保たれ、落ち着いた環境のなかで勉強ができるからだそうです。

小さな子どもが安定した環境の中で何も心配せずに生活することで、初めて学校や社会の荒波を乗り越えることができるというのは、よく聞く話です。

夕べは、NHKで同居ではないが、親の家の近くに住む「近居」という形態も多く見られる、と紹介しているのを見ました。

若い親がいまだにその親世代を頼っているものですが、この厳しい時代にそれでも子どもを生んで育てたいと思う夫婦のために、

「やっぱり、助け合わなくちゃね」

と、言ったおじいちゃんの優しい笑顔にほっとする思いでした。



・・・ああ、そうか、
私は、このおじいさん世代のお仲間だ。

子育てが終わってほっとしているところですが、それはじょじょに何かのつながりが途切れ始めることも意味します。

何かにかかわることができるというのは、幸せなことなんだ、と思います。









<夕べの献立>
とりもも肉のしょうゆ焼き
ポテトサラダ
カリフラワーのチーズ焼き
味噌汁

バレエ星とゲゲゲの女房と

2010年05月26日 | その他
小学館が発行していた、「小学○年生」。現在では子どもの好みの多様化で発行部数が伸びず、廃刊になってしまいましたが、私が小学校の時には友達のほとんどが読んでいました。

私も1年生からずっととってもらっていました。
一番覚えているのが、プロのバレリーナを目指してどんな苦しいことにも耐えて夢をかなえていく「バレエ星」という、女の子向けの連載漫画。

今思い出してもそのストーリーは、ちょっと主人公ができすぎていて「そんなん、うそやわ~」と、素直に読めないのですが、

当時は苦しいことに耐えて、不当なことにも不満を漏らさず、どんないじめにも負けない、優しい心を持った人でいること、これこそが美徳だとばかりの話の展開に、純粋な私もすっかりのめりこんでいましたっけ。

そして、あれから何十年も経ち(おそろしや・・・・)、世の中は変わり、自分の主義主張を堂々と唱えることが当たり前の時代になって

確かに、自分の思いを伝えることは大事だとは思うのですが、


???これでいいんかいな

と、思うことも少なくありません。


朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」で、健気な女房を演じている姿を見て、理屈抜きにいいもんだなあ、と思っています。時代背景もあるし、何よりドラマですから大団円に終わることが約束されてのストーリー展開ながら、

主人の言うことにさからわず、
少ない生活資金の中でやりくりして、
家をきちんと片付けて、
なるべく笑顔を絶やさずにしようとしている

のを見ていると、
今の日本人が忘れかけているものを、ドラマを通して問いかけているように思います。

身の丈にあった、心豊かな暮らし・・・・。

子育てがひと段落して、ふと周りを見回すと子どもたちに買い与えた残骸、自分たちが生活するために本当に必要だったかどうかわからないもの、それに

自己実現のために子育ての間も突っ走ってばかりいた自分の今まで、など

そういう時代だったといえばそうなのかもしれませんし、自分が選んだ道に間違いはない、などと言ってくれる人もいますが、やはり、これでよかったのかな、と、どうしても思ってしまうときがあります。






<夕べの献立>
さわらの味噌漬け
味噌汁
浅漬け
フキ
もろきゅう
トマト

20年かぁ・・・

2010年05月25日 | その他
昨日のブログに、いまさら、お弁当作りなんて、何てことないさ、と、書きこみました。

そう、長女が幼稚園になってから始めたお弁当作り、いや、その前から主人のお弁当も作っていましたから、かれこれ20年以上。

この間、毎日毎日、私は自分の手でやってきたんだ・・・と、思うとちょっと胸を張りたくなります。

同時に、あんなにみんなが給食を望んでも、結局この町は給食の設備も整備もしなかったんだと、しらけた気分にもなります。

これからも給食は必要だと、町も何かの折にはチャンスを見つけて何とか実現にこぎつけようとするでしょうが、

その昔(と言って大げさではないぐらいその昔。)、国が給食制度をおし進めている、比較的実現可能な時期に乗り遅れたツケはあまりにも大きく、可能性はいまだに見えないばかりか

今は食の多様化と安全の面から、必ずしも給食を必要としない意見もあり、
子どもの数も減っていては

進めたい話も障害になる条件が増えるばかりで

いまさら何?

と、背を向けたくなります。

子どもが成長するにしたがってお弁当の数は減り、楽になったなぁ、と思っていたところへ、もうひと踏ん張り、の時期がやってきました。

そう。
20年以上、毎日のように作ってきたんだもの。

この事実は、私の人生でのささやかな勲章です。
これからだって大丈夫。お弁当ぐらいなんでもない。

でも、このような思いをあとに続く人たちに言って、だからあなたもがんばって、なんていうのは、それは違う気がします。

私にとっては20年、そしてこのまちに住んできたたくさんの母親の何十年と言う給食に対する願いへの行政の無策に対するため息とともに、せめてがんばってきた自分を認めることでおさめる勲章でもあるのです。



<夕べの献立>
とり手羽の甘辛揚げ
サラダ
味噌汁

弁当デビュー

2010年05月24日 | その他
給食のない町に住んでいて、いまさら弁当デビューもないのですが・・・・。

高校に上がった息子は、学食や、校内に入ってくる業者のお弁当が珍しく、寮生活している友達と一緒に食事ができるからと、ずっとお金を持たせてやっていました。

しかし・・・。
ほかにも携帯電話や交際費や文房具代、インターネットで手軽に購入できる音楽や動画など、コイツが高校に進学してからのお金の出方といったら、尋常ではありません。

緊急の財政見直しに迫られております。

で、高校に行き始めて最初の弁当デー、となったわけです。

なあに、もう20年以上も作ってきたお弁当さっ。4時半起きは確かに試練だけど、やらいでか。






<夕べの献立>
アジの酢漬け
わかめと豚肉の中華炒め
カブの浅漬け
フキの佃煮
味噌汁

ありがたい

2010年05月23日 | 家族
今日は高校の役員会でした。

2ヵ月後にひかえたコンサートの打ち合わせです。

高校の所在地は岡山市ですが、生徒は県内はもちろん、近畿圏、遠くは愛知県、山口県からと、方々から集まっています。

保護者も何かの話し合いのたびに各地から出てきます。子どものために、自分も同じ立場でありながら、皆さんを見て、つくづく親は、ありがたいなあ、と思います。

私も自分の好きな進路を決めたとき、それを応援してくれた親がいます。
今度は自分の番だ、と思うと、あのときよくまあお金を出してくれたなあと頭が下がります。

子を持って知るなんとやら。親がしてくれたように、自分にもできるだろうか。不安はいっぱいですが、とにかく、がんばろう。




<夕べの献立>
また、カレー!

ぜいたく

2010年05月22日 | その他
まだ子どもが小学生のころ、実家に帰っていると、知り合いの方から桃をいただいたと、母が出してくれました。

形がいびつで、ちょっと小さくて、おまけに虫食いで。

「え~、私、いらない」
思わずそういった私に、母は、
「自分で作ることしないで、作る人の苦労を知らんものが横着を言う」
と、怒ったような、悲しいような顔をして言いました。


もっと前の、ふたりめか、三人目の子どもが生まれたころ、お盆に実家に帰ったとき。母に子どもを預けて買い物に行くと、おいしそうなスイカが店頭に並んでいました。

何の躊躇もなく、大きなスイカを買って帰り、リフォームしたての明るい台所でざくざくと切り分けてみんなで食べていました。その光景を見た母は、
「お母さんが子どものころは牛や馬と一緒の、臭くて暗い台所で、食べたいものも食べられんかった。・・・・・ああ、ぜいたくになってしもうた!」
と、首を振り、悲しそうに顔をしかめました。

働きづめで、60にも届かずに、お風呂の焚き付けに竹筒で風を送っている最中に倒れ、そのまま帰らなかった母の母、私が1歳になり、ヨチヨチと歩く姿を見て喜んで帰ったその日の夜に逝ってしまった祖母の無念な死を思いだしたのだろうと思います。

今は今で暗い世相ですが、それでも昔に比べれば母の言うところによると、信じられないくらいぜいたくな世の中になったようです。

この贅沢のルーツに、祖母のような小さな、弱い存在がたくさんあったことを、普段はすっかり忘れてしまっている、私。

最近、草抜きをしていると、そんなことをふっと思い出したりします。



<夕べの献立>
カレー
サラダ