こんにちは  お元気ですか(上郡町 そとかわピアノ教室)

上郡町の、小さなピアノ教室です。
ピアノを通して元気になれる教室を目指しています!

会えば別れは必ずあるけれど

2011年08月31日 | レッスン室便り
中学3年生の生徒がいよいよピアノレッスンをやめる日がやってきました。

本当はゴールデンウィークごろ、と言い、やめるにあたっては家族を招待して何曲か聴いてもらい、最後に今まで習わせてくれてありがとう、とちゃんと伝えようよ、と計画していたのですが、

弾く曲が仕上がらない!

じゃあ6月ごろ、と言い、いや、ここはじっくり練習して夏休みの終わりにしよう、ということになり、春ごろから言い始めてやっと、卒業コンサートにこぎつけました。

お客さんはお父さん、お母さん、おばあちゃん、そしておばあさんのお友達と、こじんまりながらもちょうどいい人数でコンサートは始まりました。

とちゅう、お母さんも飛び入り参加でティンホイッスルというアイルランドの笛で一曲披露してくださり、和やかに進んでいきました。

最後は、両親に感謝の手紙を読む時間です。

あらためて文章にすると、なかなか口に出していえないこともうまく整理されてスマートに伝えられ、やっぱり手紙って素敵だな、と思いました。

また、お母さんにあらかじめお願いしておいた、娘への手紙も読んでもらい、それを聞いていたおばちゃんのお友達がじーーんとなってしまって涙ぐむ場面も。

ああ、よかったな、けじめをつけることができて。

ピアノレッスンはこれで終わりだけれど、これまで練習してきたことがこれからの人生に生かしてもらえるようなそういうレッスンができたかな。

いつかどこかで誰かと何かを楽しむときに、見えない力となって貯金されたレッスンでのあれこれを使ってほしいと思います。

豊かな、人生のために。

さあ、おちびちゃんたち、先は長い。
じっくり、しっかり、レッスンしようね!

成長すること

2011年08月30日 | 生き方
チャイコフスキーコンクールにエントリーしてみごと一位を獲得したピアニストがインタビューを受けて、
「私の夢は成長し続けることです。今回の受賞は大変エキサイティングでしたが、これも次のステップへのひとつの段階に過ぎません。」
と、話していました。

ステキですねぇ・・・。

成長し続けること。

やはり、人間として生きる限りはこうありたいと思います。

若い方がこうおっしゃるのは自然で前向きですばらしいのだけれど、この歳になってきますと、自分より年上の方がそのような生き方をされるのを見ると、大変勇気と元気をいただきます。

何をしたか、ということももちろんそのひとそれぞれの下支えになっているのでしょうが、何をがんばっているか、ということのほうがはるかに魅力的ですね。

コンクールでの輝かしい実績を積んだ人の、着実に人生を歩もうとする言葉に感動したひと時でした。


親ばかで、すみません!

2011年08月29日 | 家族
今朝、新聞を見ていた長女が

「おっ!?」

と、声を上げました。

出てる、出てる。

赤穂のハーモニーホールでの明誠学院吹奏楽部のコンサート。うちの息子も豆粒より小さく(てか、5センチ×3センチ画の中に60名近くが詰まってんだもの、豆粒というより、米粒か?)ですが、写っています!!

・・・・・ああ、これが親というものか。
こんな小さな写真でも嬉しいものです。

吹奏楽コンクール中国大会を広島で行った翌日というハードスケジュールの中、コンサートは満員御礼の会場を埋め尽くすお客さんの拍手に包まれ、かなり疲労感を感じるものの(感じるのはもちろん親のほうですよ、子どもは回復力すごいもん)、達成感、幸福感は子どもたち以上に感じています。

こんな気持ちにさせてもらえるのも、子どもがいてこそ。ありがたいです。



すみません、おやばかでぇ~



今年の夏休みのいい思い出になりました!!

音楽は誰とでも

2011年08月28日 | コンサートなど
毎年恒例の老人施設訪問。
子どもたちが今のレパートリーでデイサービスのお年寄りのみなさんの前でミニ発表会をします。

今年は吹奏楽部の息子がちょうどクラブが休みになる日にあたり、すかさず
「一曲吹いてよ」
と、頼むと返事とともに伴奏譜も渡されました。今、必死こいて練習しています。

でも、細く長くこのような活動をしていたおかげで、息子と競演できる時間も持てるなんて、本当に嬉しいなあ、と思います。

先日のサークル湖(みずうみ)のコンサートで、もう退職されて頭に白いものが混じった男性が、
「仕事がある間はなかなか動けなかったけど、今はあちこちのバンドに顔を出して、若い人たちに混じって音楽をさせてもらっているよ。」
「いや~、音楽はいいねえ。運動だとこうはいかないけど、若い人とでも一緒に楽しめるのは、幸せだねえ」

しみじみとおっしゃった様子がいかにも幸せそうで、ほほえましく見てましたが、今の私も実はそういうことなのかな。

そのお気持ち、本当、よっくわかります!


認定試験

2011年08月27日 | レッスン室便り
私が受講しているピアノ指導者講座、「ミュージック・キー」には独自の認定試験があり、このたび3人の生徒が受験するためがんばっています。

3人とも文化祭での合唱コンクールの伴奏や洋楽器楽部門の発表に出演も控えながらの試験。

ちょっと負担かな、と思いながら少しお尻を叩きながらのハイペースなレッスンでのばせるところをのばせたら、とも考えています。

とはいえ、ちまたにあるハイレベルなグレードなどの試験とは違って取り組みやすいシステムになっているというヒミツがあるのも今回のチャレンジの要因。

達成目標は小刻みに。
そして、着実に。
歩みは小さくとも確実に前進しましょう!

レッスン再開

2011年08月26日 | レッスン室便り
お盆休みも開けて、体調も戻り、今週から生徒たちがレッスン室にやってくるようになりました。

たった2週間会わなかっただけなのに、どことなく背が伸びて顔つきも少しだけ大人びて様に見えるのは私だけでしょうか?

きっと、学校の先生は間に登校日があるとはいえ、何週間に一度顔を見るだけだから、この感覚はもっと味わっておられるに違いありません。

私はピアノを通してご縁があってうちに来てくれるお子さんの、そういった長い間の成長を見させていただけるんだなあと思うと、なんとも幸せな気分になります。

ひとさまの人生の、ほんの隅っこでも長年添えることって、そうそうあることじゃないですもんね。そう考えると、ピアノ教師って息の長い仕事ですよね。

息が長く続くよう、これからも勉強はがんばらなくっちゃね。

気付けば一週間

2011年08月24日 | その他
コンサート前。

遠方の方と連弾を組み、あわせての練習が正味三日間しかありませんでした。

ブログどころではなかった・・・・。

当日、8月21日。
朝早くからリハーサル、本番そして打ち上げと、

ブログどころではなかった・・・・。

そしてそのあと二日間。
ため込んだ疲れがどっと出て寝込みました。今もせきが止まりません。

ブログどころではなかった・・・・。

そうして気付けば一週間。
空白って、あっという間に出来上がるのねえ。

無理をしないって決めたけど、これが私の無理のないペースだとしたらやっぱり悔しい、って思ってしまいます。

こんにちは

2011年08月17日 | その他




ここ、ボクの指定席なんだよ。
ときどき、大きな手がぬっと伸びて、ボクのいるところを開けたり閉めたりされて、ときどき「キャッ」と声を上げられたり、大きな二つの黒くて丸いものがボクをじっとにらんだりして、こわい思いもたくさんしたよ。

でも、夜、ここにいると、じっとしているだけでご飯がたらふく食べられるのさ。怖くても1週間も我慢すれば慣れちゃった。カメラ向けられても、ほらこの通り、カメラ目線もばっちりさ。

ボクって案外、可愛いでしょ?
よろしくね。



ピアノ教室やってます!

2011年08月16日 | レッスン室便り
こんなに町内の学校などを回ってコンサートしたり、合唱の発表したりしているのに、この前、

「外川さん、このごろピアノはもうやめちゃったの?」

と、ご近所さんに聞かれてかなりショックを受けてしまいました。

「いやぁ、最近ピアノの音しないし、もうやめちゃったんだなあと思って・・・・」

そんなあ・・・。
確かに、生徒さんの数は減ってきてるし、以前のようにバリバリと大曲を練習することもなくなったからちょっと前を通っただけではピアノの音は聞こえてこないのかもしれない。


それでなくても家を新しくしてから(といってももう10年以上になる・・・)窓をしっかり閉めれば音も漏れないし。

でも!!!

ああ、ショックですぅ!私、がんばってるつもりなんだけどなあ。本人ががんばってるほど回りはそうは見てくれない、てやつですかね。

世の中、厳しいですなあ。・・・・・

私たちが生きている今日という日は・・・・・

2011年08月15日 | 生き方
毎年、8月になると原爆や戦争のことが各メディアで取り上げられ、その年の世界情勢などによって扱いが微妙に変わるときがありますが、私の中では年ごとに戦争についての意味や疑問を考えるようになってきています。

私の祖父は父方も母方も戦争で亡くなっています。母方の祖母も私が1歳のときに亡くなっていますから、私には一人のおばあちゃんしかいませんでした。

二人の祖父がどんな人だったか、あまり知らないのですが、もし生きていたらどんな言葉をかけてくれていただろう・・・・。

終戦記念日を前にして、戦艦大和の語り部、八杉康夫さんという方のお話を読みました。

戦争末期の、戦地での凄絶な体験を聞いたり読んだりしていると、なんだか背筋がしゃんとしてきて、がんばらなきゃ、と思います。

戦死した二人の祖父だって、きっと私や、妹や弟の顔を見たかったに違いないし、彼らが生きてくれていたら、私たちの人生もまた違ったいろどりがあっただろうに。若くして亡くなった祖父たちはどんなにか無念だったろう。残された祖母や両親の苦労は折にふれ聞かされていましたが、完全に理解することはできないのだろうと思います。

それでも・・・・。
私たちの生きている今日という日は若くして死んでいった兵士たちの行きたかった未来であり、今このときを生かされている、ということを繰り返し気づかせてもらうのが、終戦記念日のこのころなのです。