こんにちは  お元気ですか(上郡町 そとかわピアノ教室)

上郡町の、小さなピアノ教室です。
ピアノを通して元気になれる教室を目指しています!

季節の手仕事

2014年05月26日 | その他
午前中、暑い中せっせと主人が採った、山椒の実。

大きなボウルに山盛りいっぱいあります。

去年もしたなあ。この作業。


今年もまたその季節がやってきましたか。

お昼から三時間かけてやっと半分。



指先はすでに真っ黒です。

ありえないことに、その指先で口を触ってしまい、触れた部分のクチビルがジンジンとしびれてきました。

ああ、ワタシのクチビルはこのまま腫れ上がっていくのでしょうか・・・・。

そう悲しく思いながらしばらく上下の唇を舌先で舐めていたら、10~15分ほどで治まっていきました。

おそるべし、小粒の威力!

夕方、主人も手伝ってくれて、八時頃ようやく作業が終わりました。

佃煮にして、お世話になっている方にもおすそわけです。



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レッスンあれこれ

2014年05月25日 | レッスン室便り
「そろそろちょっと難しい楽譜にチャレンジしてみようか。」

「え~・・・むずかしいの、やだ~」

というおちびちゃんにいかにも難しい楽譜を見せて、さっそく拒否反応。

だいじょうぶ、だいじょうぶ。

読んで、弾くんじゃなくて同じもの見つけだよ。

これと、同じもの、どこにあるかな~?

・・・・・

男の子は特に、こう言うパズル系のゲーム、好きよね~

同じものどこだ?

に、さっそく本気モードに。

楽譜の前に座ってる姿があまりにも様になっているので、一枚パチリ。



別の日のこと。

幼稚園児のMちゃんが、ドアを開けて入ってくるなり、
「はい、プレゼント!」

と、言って折り紙で作ったメダル?ブローチ?を手渡してくれました。

あらまあ、今日のシックな色合いのワンピースによく映ること。

さっそく服に貼り付けてMちゃんに記念写真を撮ってもらいました。

うふふ。

得意満面のわたし。





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さてさて。

2014年05月12日 | レッスン室便り
さてさて。

お父ちゃんの「千の風」を感じながら、生きているものは日々の仕事をこなしていかなければなりませぬ。

今年は長い連休のお休みをいただきました。私は今日からレッスン再開です。

なのに・・・・。

ちょっと、気が重い・・・・。

私は、やっぱり人の気持ちがわからないんだ・・・・

という事案が発生いたしました。

こっちは一生懸命なんだけど、けっきょく生徒の気持ちはおいてけぼりだったという失敗。

今まで何度も繰り返している私の悪い癖は、この、重ねた年月でかなり改善されたものとタカをくくっていました。

そして、また落ちてしまった落とし穴。

反省、反省・・・・。

そして、また改善の努力。


果てしないなあ・・・・・。





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鎮魂

2014年05月07日 | 家族
・・・・・・


みなさま、ナニワぶしにお付き合い頂きまして、ありがとうございます。(ここを初めてお読みになる方は4月24日からのブログを読んでいただけるとご理解いただけるかと思います。お時間あれば、どうぞ・・・・)

父を最後に見舞ってから見送るまで、あっという間に過ぎていったような、たくさんの思いの詰まった数日間だったような。

ただ、やはり書き留めておきたい、その思いだけがありました。

まあ、美しいことを書き連ねましたが、いろんなことがありました。

人生でたった一度でしたが、父にぶん殴られたこともありますし、ここで決めとかないと・・・と、思うようなところで決めなかった父を見て情けなく思ったことも。

お金の使い方も母に心配をかけるようなこともあったし、酔っ払って正体なくしたこともあったし。

でも、歳をとるたびに丸くなって穏やかになって、何よりよく働いて、人のために動いて、笑顔を絶やさず、周りの人から好かれて、いいおとうちゃんでした。

そんなお父ちゃんの、いいとこも、悪いところも(!)

「あんたはお父さんにそっくり!」

と、母が笑って言うのが嬉しかったりするのでした。

そうだな・・・・。

もう、私のモデルはいなくなってしまいました。

そして、そんな父に似てはいるけれど、私は私の生き方をしなくてはいけないな、とも思っています。

何度も言うよ。



おとうちゃん、ありがとう。

告別

2014年05月06日 | 家族
すぐさま妹に電話をかける。妹もすぐに電話に出る。第一声。
「やっと電話をかけてきた。今まで何してたの、このばかちん!」

ごめん!きょうに限って携帯もって出るの、忘れてた!すごいヤキモキしてたんだけど、帰ってみたら、やっぱり、という感じで・・・・

あたふたと言い訳して、妹もひとこと言ったらあとはすぐに本題に入り、どちらにしてももう間に合わない話だからこちらで先にすすめておく、明日来てから話そう、と電話を切り、そのあとあちこちに連絡を入れてとりあえずその週の仕事をすべてキャンセルしました。

次の日、水曜日。

父はもうひつぎの中でした。

いつかは来る日だけど、このお正月まで、そんなことはまだまだ先のことだと思ってたのに。

おとうちゃん。

声をかけてみるけど、もう返事はない。

とうとう来ちゃったね。お別れが。寂しいよ。まだまだ生きてて欲しかったよ。

何度も何度も父の顔をさすりました。

通夜。

一番広い会場での告別式に、母は「こんなに広いところ使って、席が空いたりしたら申し訳ないけど」と、何度も言っていましたが、いざ始まってみると会場に入りきれない人のために臨時に会場の外に椅子が用意されるなど、たくさんの人にお参りしていただきました。

親族の席に座りながら「さすがお父ちゃん、付き合い広かったものねえ」と、感心していました。

お寺の総代もしていた父は、先代からのおつきあいで、若い住職さんが声を詰まらせながら父の思い出を話してくださったのも、心が温まる思いでした。

夜は会館に泊まり、一夜を過ごしました。

寝る前に何度も何度も父の顔をさすり、起きては何度も覗き込み、その度になんとはなしに顔がだんだんと整っていくようで、不思議な感覚でした。

しまいには、その顔をじっと見つめ、「なんていい男なんだろう」と、ほれぼれと見つめていました。

歳をとったとはいえ、均整のとれた顔立ち、鼻筋の通った、面長の、頬から顎にかけてのシャープな線は彫刻のようです。閉じられた両まぶたはスッキリと、目の輪郭はまるで上品なこけし人形のようです。思わずカメラを手に取り、彼のデスマスクを写真に収めたい衝動に駆られました。

お父ちゃんて、こんなにハンサムだったっけ?

いつも上機嫌でお酒を飲んでは冗談飛ばしている父しか記憶にないので、このようにおすましして鎮座?している顔を見たことがなかったものですからなおさら、この小さな発見に驚いてしまいました。

木曜日。告別式。

夕べにもましてたくさんの参列の方が集まって下さり、人が集まり、賑やかに過ごすことが大好きな生前の父の姿そのままのお葬式を無事に済ませることができました。

そして、夜が来て空を見上げると、真ん丸な月がこうこうと光を放っていました。

とつぜん、西行(平安時代末期から鎌倉時代の歌人)の有名な短歌が思い出されました。


願わくば 花の下(もと)にて春死なん そのきさらぎの望月のころ


高校生の時、この短歌を教えてもらった時、私もこんな状況で最後を迎えたいものだと強く思い、今もその気持ちでいますが、なんと、父に先を越されるとは。(いやいや、順当だ・・・・)

桜はもうだいぶ散って葉桜の時期ではありましたが、じゅうぶん美しい風情を残していました。

私にとってどこまでも嬉しい、楽しい存在だった父。

あの日、携帯を忘れてしまったのも、今思えば勉強に集中したらええぞ、という父の計らいだったのかも・・・などと勝手な想像をしています。


平成26年4月16日(火)10時44分

野村郁夫

享年83歳


合掌




しくじり

2014年05月05日 | 家族
父と最後の一晩を過ごした次の日、仕事があるので上郡に帰りました。

翌週明けの月曜日。

妹にメールを送る。
「お父さんの具合、どんな?」

返信「肺炎は治まったけど、脈が時々早くなるので脈を抑える薬をもらってる」

肺炎になる前のしゃべれる状態には戻らないらしい。

火曜日。

その日は以前から予定していた講座受講の日。
最近、高齢者向けのピアノを教える講座が増えてきて、上郡にも習いたいと思っておられる高齢者の方はきっといるはずだと思い、この五月から生活文化講座で簡単ピアノ教室として生涯学習支援センターで講座を持たせていただくことになりました。

まず手始めに、昨年から県民交流広場の「菊森さんの家http://www6.ocn.ne.jp/~housekm/index.htm」で、ほそぼそと始めています。
みなさん、「上手くならないけれど楽しんでやっています」と、言いながら通ってくださっています。

高齢者の方に教えるポイントは?

そう思っていた矢先の講座の情報でした。場所は京都市近くの城陽市というところで、ちょっと遠いのですが、出かけてきました。

すでに何人もの高齢者を教えておられるという講師の方は、いろんな教材や教える時の心構え、言葉のかけ方などたくさんのヒントをくださり、とても有意義な講座でした。

昼食はみなさんでお弁当をとり、会話も弾みました。そのあと、実際に8人の高齢者のピアノレッスンも見学させていただき、小さな子どもとは違う大変熱心な姿に、教える立場とか、そういうものを超えて、頭の下がる思いでみなさんの演奏を聴かせていただいたのでした。

集まった京都市周辺のほかのピアノの先生方と交流もでき、とてもいい一日でした。

ただ・・・。

その日、私は携帯を持って出るのを忘れてしまったのです。朝、起きて電池の残量が少ないことに気がつき、出かけるまでに少しでも充電を・・・と思い、充電器に差し込み、結局そのまま出かけてしまいました。

充実した講座を終えて帰りの電車に乗り込み、車窓を眺めるうち、二日前の父の姿が突然よみがえってきます。

お父さん、どうなっただろうか・・・・。

もし、緊急の知らせが入っていたら・・・・。

帰りはもうそのことで頭がいっぱいになり、もしかしたら・・・・と、思うと不覚にも涙が出てきます。

帰って、すぐに携帯を開きました。

メール着信の他に不在通知の電話着信のマークも入っています。履歴を見ると、妹、弟から何件も。

メール受信箱を開く。
妹「父さんが、今亡くなりました」
時間を見ると、午前10時44分。
ぎりぎり講座に間に合い、席に着いた頃でした。

私は悲鳴とも叫びともつかない声を上げてその場に座り込みました。