こんにちは  お元気ですか(上郡町 そとかわピアノ教室)

上郡町の、小さなピアノ教室です。
ピアノを通して元気になれる教室を目指しています!

教養を身につける

2014年08月07日 | 生き方
夏の行事もひと段落、先日大人のかんたんピアノに行ってきました。

70代の、女性のグループレッスン。

弾けても、弾けなくてもピアノを楽しんでくださる、ゆるいピアノ教室です。

始まる前のひととき、おしゃべりで近所の方とのコミュニケーションです。

ある方が、同窓会に行った時のことを話してくださいました。

当時の先生もご健在で、おんとし92歳!それが、生徒の皆さんより若々しいというのです。

そんな先生から聞いた話でなるほどなあと思ったことは、

「皆さん、歳をとればますます教養を身につけなきゃいけないよ」

と、先生がおっしゃるので、

「先生、私たちはいまさら教養なんてもう身につけることはできません」
と反論すると、

「きょうようといっても、今日の用だよ。」

「今日の用を見つける、ということだよ。何も用事がないからと座ってじっとしてちゃいかん。
  家の用事がないときは、私は公園に出かけて草引きをするんだ。
   年寄りは今日の用事を見つけることが大事なんだよ」

それを聞いたみなさんも、

「ほんまや、ほんまや」

「家にじっとおったらあかんな」

「私もなるべくでかけるようにしとんや」

と、口々に言い、うなづいておられました。

そして、私も。

この、92歳の先生のお言葉にももちろん、ここにお集まりの皆さんの元気のもとを確認させてもらって、嬉しい気持ちになりました。

わたしは、まあまだまだ今日の用事も明日の用事も、ずっと先の用事もあってちょっとひと息いれたい時もありますが、おかげさまで、元気に活動させていただいています。

目指せ、90歳代の現役!

大人の教室では、私のほうが勉強させてもらうことが多く、元気をいただきます。



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命の使い方

2013年12月14日 | 生き方
子どもたちが中学校の時吹奏楽部でお世話になった先生が逝去されました。まだ56歳という若さ。

とても厳しい先生でしたが、赴任した学校の吹奏楽部に必ず結果を出す先生でした。

子どもたちが音楽に親しむきっかけを作ってくださった貴重な出会いを頂いた先生でした。

まだ、早い。

まだまだたくさんの若い芽を育てていただきたかった。

どんなに優れた技術があっても、いつかは消えていく人の命のはかなさを思い知らされる出来事でした。

残った私たちは限り有る命を、このような先達の生き様からどのように使うかを問われているのですね。





合掌





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親の恩

2013年12月03日 | 生き方

調子の悪い父を見舞うため、一日だけ実家に行って甥っ子と姪っ子と少し遊んで、母と話しして、陽のあたる縁側で椅子に座っている父と話をして、何気ない一日を過ごして、帰る時間になりました。

暗くなって早々と布団に潜り込んでいる父のところに行き、
「今度はひ孫の顔を見なあかんよ」
と言って
「また来るからね。元気でね。乗り越えようで」
そう言って、父の手を握りました。

野良仕事が大好きで、なんでもたいていのものは自分で作って、挙げ句の果てにピアノが届いた日に、
「ピアノぐらいわしが作っちゃる!」
と言ってピアノを持ってきた人を追い返そうとした豪快な父。

すっかり痩せてしまって、私の手を握り返したその手もすっかり柔らかくなっていました。
「そうじゃのう。ありがとう、ありがとう」
と言って送ってくれました。

この話を読むと、また涙が出てしまいます。





廃校寸前に陥っていた熊本県の天草東高校をはじめ、

6校の校長を歴任し、次々と教育現場の改革を図ってきた

熊本の名校長・大畑誠也氏のお話をご紹介します。

「熊本の名校長・最後の授業」

大畑誠也(九州ルーテル学院大学客員教授)

_______


私が考える教育の究極の目的は

「親に感謝、親を大切にする」です。


高校生の多くはいままで自分一人の力で

生きてきたように思っている。


親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。


これは天草東高時代から継続して行ったことですが、

このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、

私は卒業式の日を選びました。


式の後、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、

私が最後の授業をするんです。


そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、

後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、

生徒をその横に正座させる。


そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。


「いままで、お父さん、お母さんに

 いろんなことをしてもらったり、

 心配をかけたりしただろう。

 それを思い出してみろ。

 交通事故に遭って入院した者もいれば、

 親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんと

 お母さんの弁当に文句を言った者もおる……」


そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。


「おまえたちを高校へ行かせるために、

 ご両親は一所懸命働いて、

 その金ばたくさん使いなさったぞ。

 そういうことを考えたことがあったか。

 学校の先生にお世話になりましたと言う前に、

 まず親に感謝しろ」


そして


「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、

 いま、お父さんお母さんが隣におられるから、

 その手ば握ってみろ」

 
と言うわけです。


すると一人、二人と繋いでいって、

最後には全員が手を繋ぐ。


私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。


「その手がねぇ!

 十八年間おまえたちを育ててきた手だ。

 分かるか。……親の手をね、

 これまで握ったことがあったか?

 おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。

 いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、

 おまえたちを育てるために

 大変な苦労してこられたからたい。

 それを忘れるな」



その上でさらに


「十八年間振り返って、

 親に本当にすまんかった、

 心から感謝すると思う者は、

 いま一度強く手を握れ」


と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。


私は

「よし、目を開けろ。分かったや?

 私が教えたかったのはここたい。

 親に感謝、親を大切にする授業、終わり」

と言って部屋を出ていく。


振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。

_______

『致知』2011年1月号

特集「盛衰の原理」より




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実家にて

2013年08月17日 | 生き方
今年も実家に行ってきました。

両親ともすっかり歳をとり、普段遠く離れている私にとって会うたびに愛おしい存在になっていきます。
子どもの頃は、私のでしゃばりで大雑把な性格を何かにつけ叱っていた母親も、今では私の顔を見るたび
「ありがとうね。何もしてあげられなくてごめんね」
と、謝ってばかりいます。
私の反抗的な態度に手をあげた父親も
「ありがたいのう、ありがとう、ありがとう」
と、すっかり小さくなってしまいました。

子どもの頃、そして若い頃、このような両親の姿を想像もしませんでした。
そうやって私もまたこの人たちのあとを追っていくのだろうと思います。

人に感謝し、自分の出来ることをほかの人に尽くそうとする姿は、自分の子育ての時からいつも見せてきてくれたように思います。


私もそうありたい、と思っているのですよ。
子どもの頃は、両親に随分悲しい思いもさせられたはずなのですが、いい人たちに親になってもらったと今になって思います。

実家のトイレにかけてあったカレンダーの隅に書いてあった言葉。
「自分のわがままは当たり前と思い、人のわがままは許せないと思う。」

お寺からもらったというカレンダーの言葉はその時だけでも自分を振り返らせます。
そんなさりげない生き方も久しぶりに帰る実家で気づきをもらっています。



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ありがたいことです・・・・

2012年05月16日 | 生き方
知人と話をしていて、今のような新緑の中、気持ちよくドライブしている時に警察に呼び止められる不愉快さの話になりました。思わずスピードを出しすぎて調子に乗っていたのだなあ、とか、それにしても腹が立ちますねえ、という話をしていた時に、


「でも」


と、しみじみ言われたのが、年配の方。

この歳までなんともなく生きてこられたのは、ご先祖さんか何かに守られてたおかげだなあと思うことがあるんですよ、と。

たしかに、ヒヤッとすることはあっても大事に至らなかったり、その一歩手前で避けることができたりしたことは数知れず・・・。


もしかしたら、警察に呼び止められるのも、お前、ええ加減にしいや、これ以上調子に乗ったらあかんで、というご先祖さんの忠告かもしれんなあと思うんですよ。

それを聞いたもう一人の方が、「ありがたいことです、ご先祖様、感謝致します」と、手を合わせてしみじみと頭を下げられて・・・。

ああ、そうかもしれないなあ。

私も一緒にご先祖様、ありがとうございますとつぶやいたのでした。

交通事故や信じられない事件が多発するこの世の中、無事に元気に働けるだけでもありがたいことですよね。



・・・で、久しぶりにピアノのレッスンに出かけてきました。
往復の車の運転がやや体に負担を感じるようになってきて、残念。
ほんと、ヒヤッとすることも何回か。それでも、何か守ってくださるものがあったのでしょう。
今日も無事に行って、帰ってくることができました。ありがとうございます・・・。
みっちり見ていただき、今日の練習時間に換算すると、2時間。先生、ありがとうございます。
合計 6時間40分


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ふたたび、「あおいくま」

2012年04月27日 | 生き方
あおいくま


あおいくま


あおいくま



何回も唱える。

あせるな

おこるな

いばるな

くさるな

まけるな





くさるな

まけるな

くさるな


くさるな




そう。

うまくいかなかったとき。

自分に自信がなくなった時。

ひとに責任転嫁しそうな時。

一生懸命唱える。


そうやって、自分と戦ってる。








3月5日「しあわせについて」
http://blog.goo.ne.jp/kakinokiman-0827/e/0001810d03abc50e17caecb7b0cba8e9




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失敗

2012年02月22日 | 生き方
失敗を恐れずチャレンジしなさい。

失敗があなたを鍛えてくれます。


・・・なんて、いうけれど。

失敗なんて、したくないよねえ。

とか、言いながら、今までの自分のしでかした失敗を思うと、めちゃくちゃ落ち込んでしまうときがあります。

ああ、バカバカ。私って、バカ。



そんな時に目に飛び込んだ、一文。


「本当の失敗とは、なにもしないこと」




そうかもしれないなあ、と少し自分を肯定できたりします。
大事なのは、失敗から学ぶことなのです。

それでも、失敗はなくならないかもしれないけれど、そうやって人間って、成長できるのかも。
それに、失敗を失敗とも思わずに進むっていうのも怖い話ですよね。
その点、案外救いようがあるかも・・・・。

それと、人が失敗しても共感して慰めてあげることができるのもいいことだよね。

うん。だんだん気持ちが前向きになってきた。

昔の人は、いいことを言うねえ。


聞く

2012年01月25日 | 生き方
ブログを読んでくださってる皆さん。

皆さんは、ひとから、その人が現在困っていたり悩んでいたりすることを話しかけられたりした時、どうされてますか?


先日

私、今こういう状態にあって、ちょっとしんどいんだよねー。

と、話しかけたあと、

どおおーーーーーーー

っと、自分の体験談をしゃべった後、だからこうしたらいいんだ、とか、あなたがそういうことを言うってことは心の中に実はこういうところがあるからだよ、とか分析されたりして、かえって話さなきゃよかったなーと、思ってしまいました。

何かの本で読んだことがありますが、その人の抱えている問題は、人に話をすることで、その人自身がほとんど解決していくんだそうです。

私はその人のアドバイスを聞きながら
「そんなこと、とっくに思ってることなんだ」
と、思いながら聞いている自分がちょっとだけいらいらしていることに気が付きました。

ついつい、教えてあげなくちゃ、なんて思ってしまうんですね。
話している本人が欲しているのはアドヴァイスではなく、

「うんうん、そうなんだ」

という共感と、できれば「理解」。

これって、ピアノのレッスンだってそうなのかも。
案外、弾き方を教えてほしいとかじゃなく、今、できない自分をみとめてほしい、理解してほしい、ということから出発しなくてはいけないのかも。


自分に勢いのある時、元気な時って見落としていると思う。
なるほどなあ。
しんどいのも、勉強やねえ。







不安

2012年01月05日 | 生き方
年明け早々、このような言葉を出すこと、ごめんなさい。

しかし・・・・。
どうも、運気が悪い。

占いを信じるわけではないのだけれど、以前、四柱推命というので自分の運勢を見てもらったことがあって、あまりにも今までの自分のこと、性格などを言い当てられるものだからこれはちょっと参考にしてもいいかも…という気持ちになっています。

で、今年、何をやってもあまりいいことはないそうで。しかも、体調面にも不安があるとのこと。

体調面ではすでにこれまでも突発的なことから日常的なものまで、「ヤバイかも・・・」という心当たりはあるので、いつまでも若いときのペースでやっていてはいけない、という戒めだと思っていたのだけれど。

ますます今年は体の声を聴かなくてはいけないみたい。

それと、今までは何気なく過ごしていた、私の早とちりや早合点。若いころのような、「あっ、しまった」レベルではすまないみたいです。
こっちは、実は苦手なんだなあ。気をつけなければと思いつつ、猪突猛進型の私には石橋をたたいて渡るようなことはまどろっこしくて。

人生の半ばになって、「これが自分」と思っていた自分とあらためて向き合わなければならない時期になったのだなあ、と思っています。




継続は、力なり。今からだって・・・・!

2011年12月07日 | 生き方
私、こういうお話、好きなんです。

もと円周率暗唱ギネス保持者の方が、この記録に挑戦を始められたのが40歳代。いったんギネス登録されたものの、すぐに破られ、それではなかなか破られないようにと挑戦したのが54歳の時。八万ケタの円周率暗唱記録は8年間破られることはなかったとか。

70代になられた今でも次の記録をうちたてるのに意欲的なんだそうで。

ここで、ご本人が強調されているのは、自分は特別な才能を持っているわけではない、と。

ひょんなことで興味を持ったこの、円周率暗唱で、人脈が広がり、人の役に立つことができ、継続することで人の脳の若さは保てるのだ、ということがわかり、人生が大きく広がった、と言っておられます。


もちろん、何万ケタもの暗唱には、それなりの努力と工夫が必要ですが、それをやっておられることに、深く感銘を覚えますし、自分も何かに興味を持ち、取りつかれるようなことがあれば同じような可能性はあるのだと思うと、人間って、すごいなあとつくづく思います。

ただ、そのような出会いがいつ、どこにあるかという難しさはありますが、これから年を取るにつれて衰えるばかりとどうしても思ってしまいがちな時に、なんだか、希望の光がさしたみたいで、うれしいじゃないですか!

高齢化社会で、暮らしの不安もいつもどこかに漂っていて暗くなりそうだけど、これから年寄世代に突入する私たちには、私たちなりの過ごし方があるのだろうな、と思えるエピソードです。