こんにちは  お元気ですか(上郡町 そとかわピアノ教室)

上郡町の、小さなピアノ教室です。
ピアノを通して元気になれる教室を目指しています!

ねこふんじゃった

2011年11月28日 | レッスン室便り
このたびの発表会は、町の文化協会に所属するピアノの先生たちの合同の発表会で、いろんな教室のいろんな生徒さんが集まっての発表会です。

第一部ではそれぞれの生徒が練習した作品の発表とあわせて、第二部では何かテーマのあることをしては、ということで、動物に関連する作品を集めての発表となりました。

うちの教室からは、かの有名な「ねこふんじゃった」の連弾で参加です。

ピアノを習ったことはなくても、これなら弾ける、という方も多いとは思いますが、彼女たちが弾くのは単純な、いわゆる世に広く知られているあの、「猫ふんじゃった」ではなく、きちんと楽譜になって、四拍子やら三拍子やらが入り混じって、シャープが楽譜に6個しっかり書きこんである、いかめしいもの。

最初、小学生の彼女たちにどうやって教えよう、と身構えましたが、発表会を前に、見事に弾きこなすようになりました。
シャープだらけの楽譜に、最初はいつも暗い顔をしてレッスンに来ていましたが、弾けるようになった今は、遊び弾きをする余裕も見せるほど。子どもの可能性をまたもや見せてもらった期間でした。

この「ねこふんじゃった」という題名は、日本にしか通用しない題名で、スペインでは「チョコレート」、フランスでは「カツレツ」その他、「ノミのワルツ」「犬のワルツ」「黒のメロディ」など、世界各国で題名が違っています。作曲者が誰なのか、発祥はどこの国なのか、まだわかっていないそうです。

それでも、この単純なメロディーは今や世界共通のメロディーとして皆がよく知っており、そして誰でも演奏できる作品として親しまれています。

当事者として大変な思いをした連弾の二人組、本番は大いに楽しんで演奏しておいでと、送り出しました。

おっかさん

2011年11月27日 | レッスン室便り
パストラーレ

音楽用語で、「牧歌風に」とか、「田園風に」という意味があり、どことなくのどかなゆったりとした曲のことを言います。

今度、発表会でこの「パストラーレ」という曲を弾く生徒ちゃんにその雰囲気を感じてほしくて、
「お山とか登って、広ーーいところに行ったことある?」
と、聞いた時のことです。

すると、お母さんが
「キャンプでいろんなところに行ったじゃない。蒜山とか」
と、声をかけてくださいました。

すると生徒ちゃんもああ、そうだ、という顔をして、
「おっかさん、とか・・・」
と、教えてくれました。

・・・・ん?
おっかさん?

私とお母さんと、しばらく沈黙が続き、そしてお母さんが笑いながら
「ああ、ろっこうさん、ね。そこも行ったわね」
と、教えてくださいました。

それ以来、パストラーレを弾く時には、蒜山や“おっかさん”の話題で盛り上がっています。




オータムフェスティバルin龍野

2011年11月26日 | その他


いや、もともとは別件でたつのまで用事があって出かけたのですが、たまたまこの会場に近かったこともあって、人がずいぶん行き来してるのが見えたものですから。せっかく近くまで来て、素通りもないだろうと、時間も少し余裕があったので寄り道することにしたのです。

なにせ、旧龍野市の市街地なんてふだんは行くことありませんから、いったん通りに入ってみて、「へええ、こんなところなんだ~」と、何もかもが珍しい。・…というより、懐かしい。小学校の頃、こんな路地をまがりくねって登下校してたっけ。



フェスティバルの間だけ、路地のあちこちの家や蔵にお店が入り、手作りのもの、農産物、喫茶店などが並んでいます。そんなお店をのぞくお客さんたちできっと普段は閑散としている通りが、賑わっています。





どこか、上郡の市町と同じで、でも、城下町とあって広くて多彩。

ハンドメイドのお店をハシゴしていると、若いころ、お気に入りの雑貨を求めてあちこちウインドウショッピングしていたのを思い出します。



若い人たちが思い思いの作品をまえに笑顔で話してくれるのも心地よく、思わず長居をし、財布のひももゆるんだ一日でした。


おしょうゆやさんの別宅をお借りしてのお店だそうです。田の字の畳部屋、縁側が懐かしい。



昔の階段は、そう、こんな感じでした。怖~


かわいいお湯のみ、お買い上げ。記念に作品と一緒に、と申し出ると、「恥ずかしいので、うつむいていいですか」ですって。


トトロに出てきそうな、レトロな洋館。かわいい。

ベルリンから至宝のコンサート

2011年11月25日 | コンサートなど
あの、ベルリンフィルのメンバーですよ!リュディガー・リバーマンさんとおっしゃる方がここ上郡に来られてコンサートをしてくださいました。

何と素敵なバイオリンの音色…。楽器はあの名器とうたわれているストラディバリウス…!

久しぶりのクラシックのコンサートに心が満たされた一夜でした。

長い長い年月をかけてやっと最近音楽を聞く楽しみのもっと深い意味を感じるようになってきたかな、と思えるようになってきました。すると、また次のコンサートが聞きたくなって…。
この楽しみのためにも頑張らなくちゃ、と思うのであります。

それと、やっぱり次の世代に伝えなくちゃ、と思います。昔のひとたちがこんなに素敵なものを残してくださったんですもの。それをずーっと受け継いできてくださったんですもの。

私は私のやり方で残せる何かをしていきたい、と思います。






…どうもパソコンの調子が悪いです。多忙と重なり、ブログの更新がままなりません。悔しいなぁ。ブログを読んでくださるみなさん、今後ともよろしくお願いいたしますです。m(__)m

師匠

2011年11月20日 | 勉強
自分の専門であるピアノをレッスンしてくださる先生は私にとって一番の師匠。

そして、生活の中でさまざまなシーンで私に気付きを下さる人たちはみな、師匠だなあと、歳を重ねるごとにありがたく思います。

・・・・ん?

若いころはあまり思わなかったんだろうか?

いや、そんなはずはない。若い頃も自分の周りはほとんど年上だったからそれはそれで師匠だらけだったような気がする。

でも、今のほうがものすごくありがたみを感じているのは確か。自分という人間がいかに不完全で(完璧な人はいないにしても、だ)いつまでたってもダメだなあと、思っちゃうので周りのしっかりした人は、たとえ年下の人だって、私にとっては心の師匠である。

そういう人たちがまわりにいてくださってありがたいなあと思う。

でも、きっと、思うだけじゃダメなんだな、これが。自分もまた人に何か感じてもらえるような人間に、少なくとも一隅を照らす努力をしなくちゃいけないんだな、と、思う。

そんな風になれるには、まだまだ時間がかかる。こりゃ、どうにかしてでも長生きしなくちゃね。

無尽会

2011年11月19日 | その他
「秘密のケンミンSHOW」という番組、面白いですね~

自分の育ってきた土地では当たり前でも、違う地域ではまったく違う、その驚きをうまく番組に構成して、見る人たちを楽しませてくれます。

先日のオンエアでは、「無尽会」なる風習を持つ地域の健康寿命が日本一だと紹介していました。それがどこの県だったか、忘れてしまったのですが、要するに、月一回程度、グループで集まって食事をするというもの。

毎月お金を出し合い、集まったときの飲食に使うが、グループの誰かに何かがあったときにはそこからお金を出す、というものだったように覚えています。その所属するグループは一人でいくつか入っていて、月に何回か、必ず誰かと合い、話をするんだそうです。

面白いのが、無尽会は地域の風習であり、「今日は無尽会がありますので」といえば、仕事も早く終わらせることができ、家庭の主婦も出かけられるということ。

人と会っておしゃべりするのが好きな私にとって、なんてうらやましいシステムだろうと、ものすごく興味を持って見せてもらいました。

毎月必ず出かけなくてはならないとなると、そのためにがんばって働かなくちゃいけないし、病気にもなれないでしょう。また、無尽会に所属することで誰かの役にたつことがあるなら、心の張り合いにもなるというものです。

長寿は沖縄、と思い込んでいましたが健康長寿(自立して生活できる寿命)はまた別だったというのも新しい発見!いわゆる、この番組で言う「ヒミツ」だったわけです。

この無尽会、今、人との絆が問い直されている中で新しい動きになればいいなと思っています。私も、細々と続いているグループの皆さんにこの話を紹介してみようっと。

諸行無常

2011年11月16日 | 生き方
平家物語か・・・?

と思わせるタイトル。

自分でも、物々しいなあと思いつつ・・・。

私、瀬戸内寂聴さんの大ファンでして。この春の東日本大震災のあと、何かと寂聴さんの記事とか、テレビのドキュメンタリーとか追っかけているのですが、そこで彼女がよく口にする言葉は、

「同じことはいつまでも続かないのよ」

と、いうこと。

今はとてもつらくて苦しいだろうけど、いつかは変わってくる、だから希望を失わないで生きていって・・・。

大変な思いをしておられる人たちとは比べ物にならないけれど、日々の中にも、ほんの些細なことかもしれないけど、自分がいやになったり、投げやりになりそうになることがある。

この言葉が時々画面から、紙面から入ってきて、ああ、そうだな、と思う。

反対に、いいときもずっとずっとは続かないものなんだ。いい気にならず、くさらず、がんばらなくちゃね、と思う。

そして、歳をとるって、面白いなあ、とも思う。
だって、若いころにはわからなかった人生の味わいって、確かにあるんだな、と思えるから。仏教詩人の坂村真民先生も言っておられる。

長生きしたものが、幸せになれる。

短気な若いころ、長生きなんてするもんじゃないと思ってた。でも、人生って、諸行無常だから明日に希望がつなげられるんだ。

しんどいときもありますよ。
でも、あきらめない限り、しんどいだけじゃない。

そう思ってまた気持ちも新しく、がんばろうって、思います。



・・・・・ちょっと落ち込んだ日に。たまたま寂聴さんの記事を読んで気をよくしてこのブログを書くことができました。感謝。

その子がやろうと思うから

2011年11月14日 | その他
久しぶりに会った知人と近況報告を交わしていたら、何と彼女の娘さんも先日の合唱コンクールで伴奏をつとめたそう。

彼女が言うには、小学生でやめてしまって、二年のブランクをあけての挑戦だった、と。

親、指導者ともヒヤヒヤの生徒がここにも…

でも…
本人がやろうと思って始めたことは、やれるものなんだなあと、彼女の、娘が無事にやり遂げたという安堵の表情を見て、そう思いました。

いかにやる気を出させるか、が指導者側の永遠の課題ですが、やる気のタネって、案外私たちが四苦八苦してる割には思わぬところに転がっているものなのかもしれない、と思うとちょっと力が抜けちゃう気がしてしまいます。

久しぶりに第九にはまって

2011年11月11日 | 勉強
日本において、年末の行事に欠かせないもののひとつが第九交響曲の演奏会。

結婚前に一度だけ市民合唱で参加したことがありますがそれっきりです。そのころはあまりこの曲の意味とか深さに目を向けずに、ただうまく歌うことだけに集中していました。

最近、この曲のもつ意味に触れる機会があり、あらためてベートーベンって、偉大なだけでなく、なんて人間味のある人だったのだろうと思ったのでした。

ベートーベンの父親は宮廷音楽家とはいえ、あまりぱっとしない、のんだくれのどうしようもない人で、家計は火の車。音楽家という職業がが当時の役人階級の中で一番身分が低く、幼いころからいわれのない差別を受けて育ってきたベートーベンにとって世の中で何が大切なことかが、ずっと考え続けてきたことでした。

時代はフランス革命から端を発し、専制政治から市民社会への転換期で、血で血を洗うような事件や混乱の中にあり、そのような中で、平等と博愛の精神を謳ったドイツの詩人、シラーの「歓喜に寄す」と言う詩に出会います。

ベートーベンはその詩を何度も声に出して読み、そうして第九がこの世に生み出されました。

以来、200年たった今でも多くの人を魅了し、演奏され続ける第九。
この楽譜と、ベートーベンのたどった人生の道筋と、時代背景と、それらをもっと深く知ることで、名曲の名曲たるゆえんを理解し、ますます人々の心を捉えて離さない、もっと言えば生きる意味までも示してくれる、そんな力を持つ音楽のひとつです。

そのメロディーの一節を聞くだけでもいい曲だなあ、と思ったら、やはりもっと深入りしなくっちゃ。音楽はいくらでもその扉を開いて私たちを招き入れてくれます。