こんにちは  お元気ですか(上郡町 そとかわピアノ教室)

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あとでわかる

2010年05月28日 | 生き方
そう。
さすがにこのトシまで生きてくると、後になってわかることのなんとありがたいことよ、と思うことが多々あり、人生はいいものだなあとしみじみすることがあります。

今日は長いですが、その、しみじみとしたひとつのお話をご紹介したいと思います。


「汝らいま知らず、のち知るべし」

という聖書の言葉があります。

どんなに苦しい出来事に遭遇しても、そこには必ず何かの意味があり、
いまは分からなくても、その苦しみが種になって必ずよい実りをもたらしてくれる、というもの。

大切なのは

それを信頼する力を自分の中に育てていくこと

なんだそうです。


人生には時折、大きな悲しみが
襲ってくることがあり、身近な人の死もその一つです。

そういう試練に立たされる時、
誰もが激しく動揺します。

しかし、時間が経過する中で、
ある時、その試練に深い意味が
あったのだと気づくことがあるのです。


ある、熱心なクリスチャンのご夫婦の奥様が癌と診断されました。

「自分は妻なしには生きていけない」

と、ご主人は沈痛な思いを抱えつつ、病室で奥様と語り合い、密なる時間を過ごす中で、

自分たちの意志を超える出来事は、
どんなに喚いても、愚痴を言っても
どうすることもできない。

ただ現実を受け入れ、心の中で


「神様は必ずよくしてくださる」


という信頼を失わないことが
何よりも大事だと気づいたのでした。

奥様が亡くなるとき、病室には家族や兄弟が集まっていたのですが、
 酸素吸入をして苦しそうな呼吸の中から、
 突然目をはっきりと開いて、
 急にしっかりした姿勢になり、
 
 
 「長い幸せな人生で、出会ったすべての人々に
 感謝申し上げたいと思います」


 と、はっきり話しました。
 びっくりしたご主人はすぐにその言葉を書き取りました。

 その後に続いて、


 「神様にとっては、大きなことも小さなことも、
  どちらも正しいことなのです。
  一人ひとりの心にあることなのです。
 
  ありがとうございます。
  何も最後まで言わないでおりますが、お願いします」
 
 
 と言われました。


 ご主人にとって早すぎる奥様の死は


 「神様、なぜ今なのですか?」


 と聞かずにおれません。でも、後になって、あの時が


 「すべてのときにかなって美しいとき」


 だったのだと思える日が来ることを信じることにしました。

 生前、奥様は

 「常に喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝せよ」

 という聖書の言葉を食卓の脇にかけ、
 病を得ても感謝し、絶えず人のために尽くしてこられました。
 
 ご主人は、苦難をも喜びに変え、人のために祈り、
 すべてのことを感謝にかえていける奥様のことを
 成熟した人間の条件にかなっていた、とふりかえります。

そして、奥様が病床で作られた歌が紹介されました。

「ありがとう

 何べん言っても言い足りぬ

 病は感謝の泉なりけり」




・・・・・・真実ほど心を打つものはない、といいます。
たいした病気も怪我もしたことがなく、前向きな明るさを持つ反面、いまひとつ人を思いやる気持ちに欠ける「ときも」ある私は、

感謝の心を忘れないようにしよう
思いやりの言葉をかけるようにしよう
死ぬときに後悔しないような人生を送ろう

などとカッコいいことを言ったり書いたりしていますが、
この奥様の真実の感謝の前では
これらの言葉ががすべて色あせるような心もとなさを感じたのでした。



いいお話でした。




 



<夕べの献立>
お好み焼き

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