こんにちは  お元気ですか(上郡町 そとかわピアノ教室)

上郡町の、小さなピアノ教室です。
ピアノを通して元気になれる教室を目指しています!

長年ありがとう

2009年02月28日 | その他
大学生の娘がまだ赤ちゃんだったころから使っていたプラスチックのヘラ。

今朝、チャーハンを作っていたら突然ポキっと折れてしまいました。

特に気に入ってたわけでもない、普通の台所用品です。
さしあたってチャーハン作りを続行するのに、代わりのものをあわてて探すけれど、こんなときに限って出てこない。
いつも引き出しを開ければ「私がいますよ」然としてそこにあって当然のように使ってた何のへんてつもない、ヘラ。

思えば、かれこれ20年、ですか。子ども達が大きくなるのを台所の片隅で見守ってくれてたひとつ。

思わず、その力尽きた姿をカメラにおさめ、長年の苦労(!?)をねぎらってやりたくなりました。

あなたのおかげで作ってきた料理は数知れず・・・・。

チャーハン、ホットケーキ、お好み焼き、野菜炒め、カレー、シチュー、スクランブルエッグ・・・・(あたしもそんだけ、料理をしてきたんだなあ・・・)

ありがとう、そう言いながらプラスチック再生ゴミの袋におさめました。

マンマ・ミーア!

2009年02月27日 | その他
思い立って、映画を見てきました。

とびっきり、ハッピーなヤツ。

舞台でのミュージカルをそのまま映画化したそうですが、
海辺や建物、景色の広がりがあって、ゴージャス、
そして登場人物たちの底抜けに明るいせりふ、歌、ダンス・・・・。

アバのヒット曲にのせて次々と役者さんたちが達者な歌で物語を進めていきます。

アバといえば、ちょうど私は学生時代で青春を謳歌していた頃です。どれも耳になじんだメロディーばかり。

結婚式を次の日にひかえた女の子の話だけれど、
それは同時に彼女の母親の長い間の秘密に触れる話でもあり、
時にはほろりとさせながらも
あっけらかんと明るく、
“大人の女性がこんなんでいいのォ”
と、思いながらも心のどこかでうらやましく、
どうせトシをとるならこんな感じのおばさんになりたい、なんて思いながら、
思い切り楽しむことができた映画でした。

ああ、楽しかった。

過ぎれば、ゆめまぼろし

2009年02月26日 | 生き方
先日の「ゆるす」の話とあわせて考えさせられるお話のつづきです・・・・。


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かの有名な無窓国師が弟子を連れて天龍川へさしかかった時、

渡し舟に乗りこむと間もなく、酒に酔った一人の武士が

乱暴に乗り込んで船中でバタバタさわぎはじめました。

乗客がみんな迷惑したので国師は

「どうか、もう少しお静かにねがいます」

とやさしくたのまれると

「何をこの坊主、ワシに説教するつもりか!」

といきなり鉄扇(てっせん)で国師の眉間を打ちすえました。


師匠の前額からタラタラとほとばしる鮮血を見た待僧の面々、

この人達は今こそ出家の姿はしているが、元は北面の武士、

腕に覚えのある人々ばかり。

「おのれ、天に代って成敗する」と息まきました。


それらの弟子達を見て国師は

「お前達は口先ばかりの忍辱であってはならぬ。

 これ位のことで怒るようでは仏道修行はつとまらぬぞ」

と諄々と誡められ

「打つ人も 打たれる人も

      もろともに、ただ一時の夢の戯れ」

と詠じられました。

武士は非礼を深くわび、悔悟の涙を流して国師の弟子に

なったといわれています・・。


「あの人にひどいこと言われた」

「この人に、こんな目にあわされた、許せない!」

日常生活の中で、しばしば怒りを覚えることがあります。


しかし、過ぎてしまえば、夢幻・・


勝った負けた、損じゃ得じゃ、なんじゃかんじゃいいながら

皆、墓場へ墓場へと進んでいます・・


この厳粛な現実をみすえると、「絶対に許せない」と

思っていたことが、違った目で見れるのかも知れません。

「ならぬ堪忍 するが堪忍」


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墓場へ、墓場へと・・・・。

ブルブルブル・・・・。

でも、凡人の私、
物腰やわらかくたのんだのに、血を見る仕打ち受けたら
やっぱりそんな理不尽なこと許せない!

“水のようにさらさら生きたい”
なんて、書いときながら、
なんてこった・・・・。



ただ、「墓場」のひとことが重く自分にのしかかります。


絶対に、

許せないんだけど、

墓場に行くときまでひきずってしまうようなものにしたくない自分も


いるんだよなあ。




エル・システマ

2009年02月25日 | レッスン室便り
ずっと前に、ニュースで話題のオーケストラとして紹介され、自分の中に記憶として残っていました。

そのオーケストラの公演が教育テレビで放映されるのを見つけ、遅い時間でしたが、見ました。

ベネズエラの、貧困に苦しむ子どもたちを音楽で救おうとはじめられた教育システムで、やる気のある子たちには楽器を貸与、授業料も免除という形で才能のある子を育て、海外に通用するオーケストラを作り上げています。

私の中ではいまだにオーケストラは欧米文化圏のもので、演奏するのは白色人種、その中に選ばれた日本人またはアジア人がいる、という程度の認識だったのが(お恥ずかしい・・・)、

このオーケストラは団員全員がベネズエラの若者で、堀の深い顔立ちの、浅黒い肌で縮れ毛や、つやつやとした黒髪の人たちばかりで、まずそのことにびっくり。

音色はもちろん、欧米のものとはどこか違うのですが、かといって決して曲の雰囲気を損なうようなものではなく、ちゃんとした正当性を感じさせる演奏になっているのが新鮮で、


ああ、世界じゅうのどんなところでも音楽は生きているんだと

生き生きと演奏する南米の若者たちを見て嬉しくなりました。

貧困から来る生活苦で学校に行けなかったり、犯罪に手を染めてしまう子どもたちを救おうと、国を挙げて音楽教育に取り組んでいるベネズエラ。

そこで指導に当たっている人は、
「音楽は世界を救う」
と、言っていました。

一人で楽しむのももちろんいいのですが、
みんなと力を合わせて作り上げていく合奏には、
人と助け合って生きていくという
根本的なことを学ぶ大きな助けになるものがあるのでしょう。

思い切った教育改革とは、たとえばこういうものなのかもしれませんね。




天使の歌声

2009年02月24日 | レッスン室便り
新聞でたまたま見つけたのですが、赤穂市の児童合唱団の定期演奏会がある、とのこと。

市内の小学校がコンクールで賞をとったりしているのを聞いていましたから、一度聞いてみたいと思い、足を運んでみました。


オリジナルあり、英語の歌あり、少し動きもつけて、工夫されたプログラムでした。

声もしっかりしていて、さすがだと思いました。

印象に残ったのは、本体の児童合唱団の歌声もすばらしかったのだけど、賛助出演した中学1年生の男の子二人による二重唱でした。

合唱部のない学校で、クラブは水泳部だという二人はふだんでも仲良しで、お昼休みに練習を重ね、それでコンクールで優秀賞をいただいたのだそうです。

かわいらしいそして、美しいボーイソプラノでクラシックの歌を見事に歌いました。子どもの持つ可能性をあらためて考えさせてくれる場面でした。

2時間半ものステージを終え、会場を出てくる観客に歌声で送り出す団員たちはみな嬉しそうで充実した顔でした。

こういう体験をたくさんの子どもたちにしてほしいものだと思います。

久しぶりの姫路城

2009年02月23日 | その他
大学時代の友達が
「久しぶりに会わへん?」って。

神戸から姫路まで会いに来てくれました。
一緒にランチして、

どこか行こうか?ということになり、

やはり姫路城でしょう・・・

と、いうことで、

地元なのになかなか行かない世界遺産の姫路城に、久しぶりに登ってきました。

つもる話に花を咲かせながら階段を登ったり降りたり。
あっという間に時間が過ぎてしんどさを感じる間もありませんでした。

かれこれ20年ぶりでしょうか。
大いに語らい、大いに笑いました。

有り難いことです。

また会うことを約束して別れました。

ゆるす

2009年02月22日 | 生き方

あるサイトで見つけた文章です。

とかくこの世は思いと違うことが起こりがち。

「許せない」と思うことにも
「なぜ」と苦しまなければならないことにも
出会うことがあります。
そんなときには、こういう考え方はどうでしょうか、と教えてくれる内容でした。


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あなたの周りに、「よく怒る人」「なかなか許してくれない人」

はいませんでしょうか。


実はフランスの心理学者であるサストールは、800人の成人男女を

対象にして、性格傾向について調べました。

その上で、「あなたは、誰かが自分にしたイヤな行為を、

どれくらい許せますか?」と聞いたのです。

その結果。

性格的に健康的である人ほど、「許せる」と判断することが

多くなりました。

逆に性格面に問題がある人ほど、「許せない」と判断することが

多くなったのです。

いえ、当たり前といえば、当たり前の結果かもしれません。

しかし個人的に、非常に重要な真実だと思うのですが、

いかがでしょうか。

よく企業にたいして、批判を繰り返す人がいます。

またネットの掲示板などでも、ひたすら悪口や批判を書く人が

いたりします。

こういうのを見るたびに感じていた違和感の正体は、これだった

のかもしれません。

実際、企業側の対応や、発端になった事件にも、確かに問題は

あるでしょう。

しかしまぁ、多くの人は、そこまでエンドレスに怒りません。

さらにわざわざ企業に電話をしたり、わざわざコメントを

書くまでのことはしないでしょう。

それでも、激しく強く「許せない!」と思い、その気持ちを

時間がたっても持ち続ける。

そうなると、それはもう「性格」だというわけです。

これ、覚えておくと、意外に役に立つのではないでしょうか。

◆許す人と、つきあおう。

恋人でも、友達でも、上司でも、同僚でも。

あとになっても、ずっと

「あのときの君の失敗を覚えてるかね?」

「あなたのあの行動、すごくキズついた」

というように繰り返す人。

このように言われると、人はつい罪悪感を刺激されて、

自分が悪かったように感じてしまいます。

もちろん、本当にあなたが悪いこともあるでしょう。

しかしそれでも、必要以上に責められている…

と感じるのなら、いったん、こう考えてみることです。


「ここまで許してくれないのは、相手の性格のせいだ」。

こう思うと、少しだけ気持ちがラクになりませんでしょうか。

いえ、もちろん口に出してはいけません。火に油です。

心の中でそう思うだけでいいのです。

そしてただ、距離を取る。

それだけです。

特にその相手が恋人だったら、関係を続けるのは危険かも

しれません。

ですのであなたが誰かとつきあうときは、相手が

「どれだけ許してくれるか?」

を調べてみること。


遅刻をしてしまったり、飲み物をこぼしてしまったり、

何かを忘れてしまったり。

こんなときに、相手が強く責めてきたり、あとあとまで

ネチネチとつついてきたなら、要注意です。

そのあとの関係でも、ずっと苦労するでしょう。

いえ、だからといってわざと怒らせる必要はありません。

ただ何かの失敗をしたときの記憶を思い出すだけです。

あなたの目の前にいる人は、どうでしたか?


◆最悪こそが、答えです。


「いや、許せるかどうかは、相手にもよるんじゃない?」

と思う人、甘いです。

人によって態度を変える人の場合、「最悪の態度」を見るべきです。

たとえば、恋人であるあなたには甘いのに、店のウェイターの

失敗に怒鳴りつける彼氏がいたとします。

この人も、あなたへの気持ちが冷めたら、同じようにあなたに

怒鳴りつけるかもしれません。

どうでもいい人への態度こそが、まさにその人の性格なのです。

覚えておいてくださいね。

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人間ですから「許せない」と腹立つこともあります。

でも、怒りを覚えたとき

岩に刻んだように、いつまでも忘れないのか、

砂に書いたように、しばらくは怒りがつづくが、やがて忘れるのか、

水に書いたように すぐに忘れて許すか

・・・・・・・・・・・・


やはり、水のようにさらさらと生きたいものです。

漢検その後談

2009年02月21日 | その他
友だちと話していたら、そのまた友だちが漢検の1級を取った、すごいね~・・・という話になりまして。


彼女には私が漢検を受けたことは話していません。

「1級をとった私の友だちは
‘1級持ってたって何の役にも立たない’
って言ってるけど、やっぱりすごいよねえ。」

「でね、その子がね、私にも漢検受けてみたらって言うからつい、受けるって言っちゃったから、この6月に受けなあかんことになってしまって。4級受けようおもてるんや。」

・・・・・。

なんと、身近なところに漢検仲間が。
それにしても、4級(小学校卒業程度)はちと、甘くないかなあ?
3級(中学校卒業程度)でも十分いける思うけどなあ。

ミクシィの日記でも漢検の感想を書いたら私のミクシィ友達が、
「今回は忙しくて受けられなかったけど、6月にチャレンジします」
と、コメントを書き込みしてくれてました。
なんと、彼女は準1級にチャレンジ!
まわりを探せば、漢検仲間は、案外たくさん見つかるのかも。

さすが250万人の漢検。

明日も来て!

2009年02月20日 | その他
久しぶりに、保育所のボランティアに行ってきました。

近所に小さなこどもを見かけることがほとんどない私。
いるところにはいるもんです。(いや、保育所なんだから・・・)

いきなり子どもたちの中に入っていくことが出来ない私を、ガラス越しに興味しんしんでのぞきこんでくる子どもたち。まるで子どもたちに誘い出されるような形で、少しばかり手荒い歓迎を受けながら、いつの間にか子どもたちの輪の中に入っていったのでした。

保育園のカリキュラムが進んでいくのを後ろでじっと見ていたら、女の子が私の手を取って

「一緒にやろう」

と、招き入れてくれました。

調子に乗って私をたたいていた子が、
「明日も来てくれる?」
と、たずねてきたので
「やさしくしてくれるんなら、また来てあげる。」
と言うと、
「やさしくしてあげるよ!」
と、一言いうなり走り去っていきました。

私という人間を確かめたくて何人もの子どもたちが私にちょっかいを出したり
じゃれ付いてきたり
悪ふざけをいったりして、
それに一人ずつ答えてた私は1時間でオーバーヒート。

横で見ていた園長先生はくすくすと笑って
「ちょっと、飛ばしすぎちゃったね」
と、言われました。

こんなストレートで気持ちのよい疲れは何年ぶりでしょう。

残りの時間は少し離れたところで子どもたちを見せてもらいました。
力いっぱい遊ぶだけじゃなくて
お話を聞く様子、
お友達と一緒に作業をする様子、
お遊戯をする様子、

小さいながらも先生の言われることに耳を傾け
きちんと動こうとしている様子がなんともかわいらしく、ほほえましく

こういう子どもたちがいるんだから
大人も頑張らなくちゃね、という
気持ちになりました。

子どもは

――――  未来、

なんですね。