俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

3月5日(土)

2011-03-05 12:31:06 | Weblog
★枯れしもの沈め春水透き通る   正子
冬の間に沈んだ落葉や枯れ枝も今ではすっかり朽ち果て、水の底に落ち着いています。濁りのない透き通った水に春のきらめきを感じます。(小西 宏)

○今日の俳句
青き残雪マトリョーシカの露天市/小西 宏
マトリョーシカは、ロシアの入れ子人形。「青き残雪」は、露天市の残雪の色でもあろうが、同時にロシア女性の瞳や湖を思い起こさせてくれる。毛皮にくるまってマトリョーシカの露天市を見て歩くのが、ロシアらしい。(高橋正子)

○ベランダの花たち
去年買った雪割草が先日の陽気で花を咲かせた。雲間草も買って、大いに楽しんだが、茂りすぎた雲間草は、夏の暑さのせいか枯れてしまった。雪割草は、葉っぱ3枚を残して、買って来たままのビニールの鉢で夏を過ごし、秋になり、冬になり、春を迎えた。葉は、傷んでいるのか紅葉しているのか、よくわからないがそれでも水やりは欠かさないでいた。先日2月23日修善寺河津旅行から帰って、よい陽気になって、2,3、日後だったろうか水やりにベランダに出て驚いた。雪割草の花が3輪咲いて、蕾もまだある。写真をと、思っているが、鉢があまりにみすぼらしい。似合う鉢が買えないで、1年過ぎているのだ。そして先日花屋で見つけて似合いそうな鉢を買ってきたが、小さすぎた。そして写真はいまだに。

 雪割草のひらく時きて日があふる 正子

○新聞を読む
 3月4日の日経の「社説」、それとコラム「春秋」は、携帯電話を使った大学入試のカンニングを取り上げ、教育を論じている。3月4日の日経の「社説」では、 

 国の力とは何か。優れた製品を生み出す産業。心の豊かさをもたらす文化。社会を率いる政治――。すべての根幹にあるのは一人ひとりの人間の能力である。本人と社会のため、その可能性を広げるのが教育だ。

と教育論を展開する。
 カンニングは、中国の非常に難関の科挙の試験に端を発っしているようであるが、試験というものがあれば、試験をパスするために、不正な手段がとられる。今回は、入試問題を試験中にネットの掲示板に投稿したということを第三者が見つけてカンニングが発覚した。表にでなければ、何事もなかったで終わる。カンニングに成功した人がこの世の中に何人かはいるであろう。見つけて不合格にするしかないが、それが難しいということだ。なぜ、これほどに騒ぐのか。受験生にとっては精神を集中したいときに、迷惑な話であろう。カンニングした生徒を許すわけではないが、騒いでいるのはむしろ体制側という印象である。そして、「世界で競える個性豊かな「人」づくりを 」を社説は掲げる。3月4日の日経「社説」での、更なる教育論は、

 変革を阻む惰性にこそ問題の本質がある。横並び人材の大量生産を脱し、「個の力」をうまく引き出す方向に路線を変えなければならない。
 育むべき「個の力」を、3つ挙げたい。まず、情報を集めて問題の所在を見つける発見力である。知識をたんに詰め込むだけでなく、素早く正しい情報を抽出する技術の習得が重要になっている。
 発見した問題を独創的に解決し、新しい価値をつくり出す創造力も大切だ。自分の頭で考え、独自の提案を生む能力が問われる。
 さらに、自分の意思を他者に伝えるコミュニケーション能力が要る。発見や提案は、共有することで初めて社会的な価値となる。そのための道具として、IT(情報技術)の技能や使える英語力も必須だ。

と続ける。
 一人の人間が携帯で大学入試の試験中に密室である試験会場から公開の場であるネットの掲示板に投稿した。その投稿を掲示板で読んだ一人の個人が、大学に通報してカンニングが発覚した。一人が行った不正を、一人の個人が発見して一大事となった。一人の個人が不正を防いだのである。「ヤフーの知恵袋」は、だれでも見ることができる。大学教授も、高校教師も、マスコミも、警察も、政治家も、家庭の主婦も、老人も、高校生も、だれでも。これを、社会の不正を暴くことを自負するマスコミも、試験を行う当の大学も、人に教えてもらって気付いた。そして大騒ぎだ。このギャップはなにであるか。エジプトのデモの参加者もネット投稿から始まり、集って、政府を転覆した。リビアも大変な事態である。先日の尖閣諸島の漁船と海上自衛隊の船の衝突の映像流出もネット投稿である。郵便不正の事件も検事のフロッピーディスクの改ざんで人を罪に陥れようとした。しばらく前の、ライブドアの事件、村上ファンドの事件。最近の事件はネットやITに関するものがほとんどである。ネットは、その原理からは、個人の発信しかありえない。その個人の力の、良きにしろ、悪しきにしろ、いかに大きいことか。これを見逃しているのが体制ということであろう。

 今回の携帯電話を使った大学入試のカンニングでは、一人の個人が法を犯し、一人の個人がその犯罪行為を見つけ、何事もない結果、不正行為を行った受験生は入学出来ない、ということとなった。社会体制の力の無さを見せつけた。政治、経済、マスコミ等を含め、それらのリーダーに力がない。
 2001年のユネスコ総会では、「文化の多様性」を尊重する宣言が採択され、この「多様性」こそが人類の共有財産であることがうたわれたが、この「多様性」は、独創的な人間の存在があってこそであり、そこをカーライルは、「世界の富とは、世界の持つ独創的な人間を指しているのであって、その存在、活動によって初めて世界は世界であり混沌でなくなって来る。」という。
 俳句雑誌花冠の主宰をし、俳句のサイトを運営しているが、俳句というものが伝統文化であって、そして伝統や文化は、個人の力によるところが大きい。

◇生活する花たち「梅・雪割草・蕗のとう」(横浜日吉本町)


▼娘が自宅から自転車通学した「慶応大学矢上キャンパス」から「弥生~奈良時代に建てられた竪穴住居跡60軒」が見つかる:
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1103040001/

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コメント (2)
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