俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

3月26日(土)

2011-03-26 07:49:30 | Weblog
宵風の白みて強し犀星忌  正子
犀星といえば、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」との詩が浮かびます。私生児として生まれ、生後間もなく養子に出されるという複雑な生い立ちは犀星文学の原点でしょう。「白みて強し」にその感覚がうかがえます。傷は裏返せば持ち味であり、強さにもなります。(多田有花)

○今日の俳句
頂の三角点に蝶降りぬ/多田有花
世の中あるいは自然界には、説明のしがたいものの良さが多くある。この句もそのひとつ。山頂の三角点に蝶が留まった。敢えて意味づけると、山頂、三角点、三角形の翅。危ういがしかし確かなピンポイント。山頂の春の日の輝きである。(高橋正子)

○横浜日吉のマンションに家族と住んでいるが、3月の後半、桜の咲く前ともなれば、街の通りは、そこここに季節の花が咲きはじめ、俳句を拾っての散歩が楽しみである。
 住まいの前の通りを西へ百メートル足らずのところに、日吉本町駅という名の地下鉄の駅があって、そこから次の駅で東横線に乗り換えれば、都心の主なところへの直通電車に乗ることができるので便利である。西の方向には、富士山があって、近くの公園からは富士見ができる。
 東へは、徒歩20分足らずで慶応大の日吉キャンパスがあり、その先に羽田空港がある。発着の飛行機が作る飛行機雲を見ることがある。

 味噌汁の芹の香家族いま三人

 1月20日 大寒
 近くの金蔵寺の梅が開いているか見に出かける。郵便局に用のある信之先生が先に出て、そのあと後れて金蔵寺へ向かう。金蔵寺には誰もいない。境内はよく日当たって、ことに水仙の花があちこちに咲いてすがすがしい。梅は小さな木に白梅と紅梅がよく咲いている。剪定されて、風情としては物足りない。いつのまにか、信之先生が現れる。私のあとを付いていたらしいが。境内を出て墓地の入り口の廃家に梅の大きな木があり、それを見にゆくが、蕾みは固い。

 金蔵寺五句
白梅の花びらほどに身の軽し
すっきりと根元より立ち水仙花
蕾固き野梅これから咲くたのしみ
水仙と梅のほかなき寺の庭
寺の戸のぴしと閉められ水仙花

 夜夜月を見ているが、氷る月とはよく言ったもので、氷のような光と色の月が大寒の20日は、満月となる。

 月氷るヨーロッパもかくあるか
 月氷る森よりはるか上に出て
 氷る月見るわが貌の青からむ

 1月30日
 午後から信之先生と探梅に近所を歩く。「うめはまだか~」の都都逸ではないが、梅の花が咲いているのを見つけるのはたのしみ。「探梅」は、冬の季語であるが、そこまで来た春をよく言っている。まず、鯛ヶ崎公園に足を向ける。農家の畑の端の梅、となりの御屋敷の白梅。公園(山なのであるが)の中は垣根として植えられた山茶花。梅はない。公園を出て、竹藪へ出る。竹藪の端には、蕗が葉を出すのでそちらへ曲がる。坂道となっているが、予期せず、民家の白梅が満開。携帯で写真を撮るが、高すぎて、遠目の写真となる。竹藪の端の日当たり抜群のところに、ひとつ蕗のとう。蕗の葉は、ようやく蕗とわかる程度に、霜に焼けた小さい葉がまばらに。蕗のとうも写真に。このあたりの民家は、昔ながらの農家と、新しい世帯の家が混在。農家の庭先によってパンジーを撮る。

 探梅の風の御空に雲淡し
 白梅の満開といい空おおう
 真っすぐな日の差すところ蕗のとう
 たったひとつの蕗のとうがはや花に
 蕗の花まつげあるごとひらきけり
 三色の色をくっきり冬すみれ
 日当たれる平屋の家の花紅梅

 さらに下って、バス通りに出る。コンテナの貸し倉庫がある。この辺りも日吉だが、初めて来た。トラックが行き交う道路に出ると向かいに「ツタヤ」。それに寄る。古本をざっと見る。半額程度と、百円程度が多い。昔ながらの古書店では、古本の値段が、いちいち違っているので、その値段だけ見るのも本の価値が反映されて面白かった。今、日経にコラムを書いている内舘牧子もある。水桜子編の日本大歳時記があったが、これは半額程度の2700円。向田邦子と塩野七生は、読んでもよさそうだ。そんなものを見て、何も買わず、借りずに店を出て帰った。帰宅は3時前。
 年末我が家に登場したホームベーカリーでパンを焼く練習をしている。自動で焼けるとはいえ、これも奥が深そうだ。昨日は夕食後から、普通の食パンを焼いた。バターは本物、砂糖は三温糖。出来上がりはホテルブレッドのようだ。粉はパン専用粉で、調合は自分で。おとといと、さきおとといと二日続けて、フランスパン。これはミックス粉を使う。フランスパンは、よくできている。ただし、仕込みから出来上がりまで6時間半。夕食前後に始めると、出き上がりは夜中0時半。出来てすぐに取り出さないといけないので、眠さをこらえ起きている羽目になった。

 2月5日 土曜日
 6日の立春句会の句を作りに、信之先生と近隣を吟行。一時の寒さが緩んでからは、探梅と称して、住んでいる3丁目から、2丁目、5丁目と歩き回った。土曜日は晴天で、駒林神社、天台宗の西光院、おなじく天台宗の西量寺を訪ねる。2丁目の西光院は、小さなお堂がある、実に小さなお寺。庭には金柑の実があまるほど成って、地に落ちている。一粒いただく。白木蓮の蕾が良く太って、立派な樹である。お賽銭をあげて去る。
 駒林神社の梅を見に寄る。この前来たときは白梅がみずみずしかったが、今日は、はや散りかけている。まだ咲かない梅もあるが、蕾が固い。気をつければ、神社の御手洗の後ろ、本堂の横と、紅梅や白梅がある。かわいらしいのは、同じ境内のお稲荷さんの狐。今日は、お稲荷さんの狐にお賽銭をたくさんあげる。たくさんと言っても知れてるが。鳥居のそばには大きな樅の木。ご神木で幣を巡らしている。

  駒林神社
 歩けばある梅咲くところが登り口
 御手洗に若松紅梅結わえあり
 賽銭を放りて拝む梅の寺

 駒林神社の坂を下ればすぐ、駒林小学校だが、小学校をぐるっと回って、しばらく歩くと高台に墓が見える。墓地の下に、紅梅が終わりかけ。そこが西量寺らしいので、表へ回る。門前に寺の碑があって、階段がある。上ると、さんさんと降り注ぐ春の庭。花が少ないところを歩いたので、庭の水仙、葉牡丹がうれしいほどだった。一メートルほどの池に30センチ足らずの小さな観音様が祀ってある。水掛観音とあって、言われが書いてある。地元日吉の何とかという子供が川で泥石を見つけ、母親が水を掛け洗い清めると観音様が現れ、なお開眼供養をして祀られたというらしい。何度も杓で水をかける。水を掛けると観音様はずぶ濡れで春日に輝く。が、すぐ乾いてもとに。また水を掛けて輝かす。

  日吉西量寺・水掛観音
 水掛けて春水かがやく仏なる
 高台の寺の水仙濃く匂う

小さいお寺だが、お寺の人らしい生活があって、面白かった。
 
 3月6日 日曜日
 一時より暖かくなったので花の写真を撮りに信之先生と鯛ヶ崎公園へ。本町駅裏の藪椿からとり始めるが、遠すぎてズームでもよく撮れない。お屋敷のところまで来ると馬酔木の花。坂道を上るとクリスマスローズが住宅の玄関脇に咲いている。公園の中には、白梅、紅梅が満開を過ぎている。桜が咲き始めていた。ふと足元を見ると、散ったばかりの梅の花が一輪土に落ちている。まだみずみずしいので、それを撮る。公園の階段を上ってしまうと農家の畑があり、菜の花が咲いている。民家の庭に寒桜が満開。ソケイも。5丁目の住宅地の花を見ながら歩く。今日撮る花はもうないだろうと思いながら帰ると、満作がある。ローズマリーが垂れ下がっている。地下鉄日吉本町駅上のいきいき会館によって、屋上の植物を見せてもらうと、今日は暇なのか、受付嬢がずっと付いて来てくれた。アリッサムがかわいいので撮り、自宅へ戻る。

  鯛ヶ崎公園
 正月の子どもが五人じゃんけんぽん
 暮れゆけばピラカンサの実もしずか
 水仙を活けしところに香が動く
 つぴつぴと鳴く鳥声の炬燵まで

 ベランダの花たち
 去年買った雪割草が先日の陽気で花を咲かせた。雲間草も買って、大いに楽しんだが、茂りすぎた雲間草は、夏の暑さのせいか枯れてしまった。雪割草は、葉っぱ3枚を残して、買って来たままのビニールの鉢で夏を過ごし、秋になり、冬になり、春を迎えた。葉は、傷んでいるのか紅葉しているのか、よくわからないがそれでも水やりは欠かさないでいた。先日2月23日修善寺河津旅行から帰って、よい陽気になって、2,3、日後だったろうか水やりにベランダに出て驚いた。雪割草の花が3輪咲いて、蕾もまだある。写真をと、思っているが、鉢があまりにみすぼらしい。似合う鉢が買えないで、1年過ぎているのだ。そして先日花屋で見つけて似合いそうな鉢を買ってきたが、小さすぎた。そして写真はいまだに。

 雪割草のひらく時きて日があふる 正子

▼地下鉄日吉本町駅案内
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%90%89%E6%9C%AC%E7%94%BA%E9%A7%85
▼鯛ヶ崎公園案内写真
http://takatan.mods.jp/hiyoshi/No2.htm
▼金蔵寺案内
http://soubouwalk.exblog.jp/841165/

◇生活する花たち「れんぎょう・馬酔木・はくれん」(横浜日吉本町4丁目)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする