回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

中仙道を歩く⑨軽井沢~沓掛~追分~小田井~岩村田

2015-07-20 08:29:44 | 中仙道(中山道)

7月18日(日)晴れのち曇りのち小雨のち晴れ

避暑地の街道筋なら真夏の暑い時季でもそれほど消耗しないで歩けるはず、と軽井沢から先を敢行。

ちなみにこの日の東京は気温34度あったらしい。

行きは自由席。帰りの新幹線指定席を上野で買っておく。

いやはやさすがに軽井沢、駅を降りたら日差しは強いけれど涼しい風が顔をなでてくれます。

まだ早い時間なので、散歩する中年夫婦がちらほらしかいない。

駅から10分ほど歩いて前回、峠越えして降りてきた旧軽井沢のロータリーを左折して雲場池やカラマツの木立の中を歩いてゆく。

このしなの鉄道の沿線では約4㎞ごとに宿場が置かれていたので歩く目安としてはわかりやすい。

中仙道は山道が多いせいか、旧東海道とちがって各宿場間の距離は短い。

道端の庚申塚の周りは桔梗の群れが風にそよそよ。

あっと云う間に沓掛宿(現在の中軽井沢駅近辺)に到着。

浅間山のてっぺんの雲が切れかかっている。

鬼押し出し道路の入り口を右にみて歩いてゆくと普通のお宅に「本陣」の表札。

このあたり土屋さん多し。

いつも歩いていて面白いことのひとつは、村や町ごとに同じ苗字が集結していること。

 

 

やがてバイパスと分かれて中軽井沢手前の踏切を渡ると旧道は落ち着いたたたずまい。

散歩していた土地のおじさんが、「中山道を歩いているのかね?京都まで歩くなんてすごいこった~、気を付けて~」などと

声をかけてくれる。

まもなく古宿。地名とは関係ないかもしれないけれど、なぜかこのあたり廃屋が多くなる。

 

女街道と呼ばれた下仁田への抜け道の入り口の前を通り

すぐに間宿(あいのしゅく:宿場と宿場の間が長い場合置かれた小さな宿場)であった借宿の遠近神社(おちこち神社)。

ここまで一時間以上、ひと息に歩いてきたので境内に入ってひと休み。

ありがたやありがたや。

ここは産土神を祀っている。

「信濃なる浅間の山に立つ煙 遠近人のみやはとがめん」

さわさわと木の葉のざわめきが気持ちいい。

かすかな芳香を放つ小さな花が散りかかる。地名にふさわしく「シナノキ」である。

 

缶コーヒーで英気を養って追分に向かって再び歩き出す。

追分宿の手前、浅間山がくっきり見えてきた。

さて、追分宿。(ここからカメラ電池切れに付き、ケイタイでの撮影です:画像イマイチなので御容赦(^^;)

しなの鉄道の駅では「信濃追分」が最寄。

 

この追分という言葉ほど、旅の出会い、別れをぴったりと表した言葉があるだろうか?

ましてや「信濃追分」(しなのおいわけ)という言葉の響きは、絶大なる郷愁を伴って胸を熱くする。

東京以外の、いわゆる故郷をもたないわたしがなぜこれほど、この言葉によって故郷に寄せる思いを

抱いてしまうのかまことにもって摩訶不思議。

 

追分宿の道筋はかなり新しく道幅も建物も改良されていて、昔をしのばせるのは西木戸出口のそばの枡形茶屋の

遺構であった。

ここはタイムマシンがあれば、是非に当時の宿場に行って街の様子を見てみたい

中仙道と北国街道の分岐点。まさに道を分ける分か去れ。

追分、分か去れ・・・日本語って美しいね。

ここからテクテクテクテク畑の林の間の道を歩き、御代田(みよた)へ。

車もあまり通らない旧道なのできもちはいいのだが、すでに11時半。だんだん真昼の太陽が照りつけお腹もすいてきた。

街道歩きで大事なことは食べ物の確保である。

国道にはまだしも車相手のレストランがあるが、旧道にはまったくといっていいほど食べ物屋はない!

先を見越して追分宿にあったお蕎麦屋に入ろうとしたが、開店は11時半だったのでやむなく通り過ぎてしまった。

手持ちは飴しかない。アンパンを買ってくるのだったと悔やまれるが、しかたなく水と飴でしのぐ。

かなり歩いてしなの鉄道のトンネル通路を抜け御代田の宿に入ったと思ったときに

じゃーん!(^0^)!お蕎麦屋発見!!

歓喜の声を挙げながら表に廻ってみると

(ーー);;!!がーーーーーん!

このショックからしばらく立ち直れず涙さえ出そうになるが、ぐっとこらえて駅近くを歩き回る。

しかし、食べる所はひ・と・つもない!!

こうなったら一切れのパンでもいい、食糧確保して駅のベンチででも食べようと、↑写真右の緑のノボリの立つ

雑貨屋さんみたいな店に入る!

お=!アンパンもクリームパンもある!!

中には帳場に店のおばさんがゆったりメモ帳なんかを切って作っています。

ダメ元で「すみません、このへんにお昼を食べられるようなお店ありますか?」

おばさん、しばらく考えて「うーんとお蕎麦屋が有るにはあるけど、中仙道じゃなくて国道のほうだわよ」

と言いながらくわしく行き方を教えてくれるのでした。

もう街道から離れてもかまわない、とにかくお腹が空いた。

もしそのお店が定休日だったときのためにあんぱんとクリームパンとおせんべいを買っていざ!

国道を歩いていくとすぐにありました。蕎麦屋「石尊」!!

 

お蕎麦が美味しかったのはもちろん、ビールが超うま!

このために街道歩きをしているのではないかと思うくらいでありました。

元気になって遠回りをして中仙道まで出る。

次の宿場の小田井(おたい)は水がきれいに街中を流れ、白壁のある旧家が立ち並び小さいながら雅な雰囲気のするところ。

日本っていいなあ、と突然思ったり・・。

 昔の問屋場跡の御屋敷。小さな蔵の目に小さな花畑。

さ、小田井を出るといよいよ終盤。

街道は車のびゅんびゅん走る国道と合流。(もっとも旧道はもう少し外れて通っていたと思われる)

雨がさわさわと降ってきた。

このくらいの雨なら強烈な陽射しよりはるかにまし。濡れてまいろう夏の雨、ってな具合です。

佐久市に入る。

「信濃追分」と並んでわたしを郷愁に誘うのはこの「佐久」という地名。藤村の「千曲川旅情」が

頭にやきついているのでしょうかね?

 

そして本日の最終の宿場。岩村田(いわむらだ)。

ここは昔の風情が失われてみるべきものはあまりない、とガイドブックに書かれていた宿場だが、

なんと岩村田橋を渡って商店街が見えたところで人の山!

こういうお祭りに遭遇したのでした。

小雨の中、むんむんするような熱気が街中を包んでいる。

どこからこんなに沢山の大人や子供が湧いてきたのかと思うほどの人の波。

わたしは人込みや混雑するところは好まないが、なぜか祭りの賑わいには心躍ってしまう。

祭りは人が多ければ多いほど良い。

ふだんは静かな街が、祭りの響きによって鼓動を呼び覚まされ一体となって熱中する、

そのエネルギー(気)が好きである。

東海道歩きの時も島田宿で偶然に帯祭りに出会った驚き!こういうものに偶然出くわすのも街道歩きの楽しさのひとつ

ここから佐久平まで歩いて新幹線に乗るか迷うが、指定の時間まで時間はたっぷりあるので

佐久平の手前、JR小海線の岩村田の駅まで歩き、そこから小諸まで出て小諸からしなの鉄道で軽井沢へ戻る。

電車のミニ旅もまたよし。浅間山、中央アルプス、南アルプスに囲まれた緑の高原の中を走ると車窓からの風心地よい。

揺られながらすこしうたたねをした。

軽井沢に着いたのが16時頃。

前回碓氷峠を一緒に歩いたDさんが昔アルバイトをしていたという駅前の「まるほん」にてビールで乾杯!

極楽極楽♪

17時38分発の新幹線で上野着。帰宅は20時頃であった。

本日の歩行距離約20㎞(遠回りした分を含む)

京都まであと約359㎞。まだ半分いっていない。今年中に木曽を終わらせたいが・・。

 

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借宿の遠近神社で拾ったシナノキの葉と小さな花。まだほんのり香ります。

 

 

 

 

 

 


2 コメント

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Unknown (kincyan)
2015-07-23 17:47:17
すごいな、最終的には京都まで行くつもりですか。軽井沢の旧道は昨年走りましたが、くねくねしていて走りやすい道でした。確かに旧道には食べ物屋が少ないし、ましてやコンビニもないですね。
街道あるきは、旦那さんと一緒に行けて良い趣味です。
kincyanちゃんへ (やまびこ)
2015-07-23 21:49:59
もちろん!東海道歩きの時と同様、ゴールの京都を目指します!
でも土日に練習が絡むので遅々たるあゆみ++;
軽井沢は貸し自転車屋さんもあるし、道も平坦で木陰が多いのでいいサイクリングでしょうね♪
わたしも車で行ったり電車で行ったことは何度かあるのですが、街道歩きは観光や避暑で行くのでは違って「時間」と云うものを感じますね。昔からの時間、今を生きる時間・・。

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