回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

東海道を歩く ②川崎~神奈川~保土ヶ谷~戸塚

2010-02-08 21:50:24 | 東海道五十三次

2月7日(日) 晴天、北風が強い。

8時10分。先週歩き終えた川崎の砂子(いさご)町の町角から出発。角のメガネ屋さんを憶えておいてよかった。

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しかしまあ、なんと吹きすさぶ風の冷たいこと!朝の川崎の旧東海道はビルの谷間にあるので陽も射さず、ビル風にゴミや枯れ葉がグルグル舞い踊って、こんなに寒いなら毛糸のパンツでも履いてくるべきであったと思うことしきり。ふつうなら30分くらい歩けば温まってくるのだが、この日の寒さはなかなかに手強い。

寒い寒いと言いながら京浜急行の「八丁畷」(はっちょうなわて)に着く。「畷」とは字が示す通り、見渡す限り田んぼが続く風景との意味がある。駅の踏み切り前に芭蕉の句がおぼろげながらに読める碑があり、踏み切りを渡って鶴見へ。

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鶴見川橋を渡ると左手に鶴見橋関門旧跡の碑がある。やがて鶴見に到着。箱根駅伝の選手はここまで2時間ちょいで走ってしまうのだからたいしたものだ、と呟きながら鶴見線のガードを越えて魚河岸通りに入る。

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日曜なのでシャッターは下りているが、ここには東京湾から鶴見川を経て引き上げられるのか、魚市場のように何十軒も魚屋さんが軒を連ねている。街道筋の両脇が普通の家並みになるので少しばかり暖かくなってきた。魚河岸通りの脇道に入って鶴見川畔で小休止。

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マラソン人が何人か川を見ながら休憩している。川の水は思ったよりはるかにきれいで夏は泳ぐこともできるそうだ。(写真は川畔から横浜方面をのぞむ)

9時半。

再び街道に出てしばらく行くと生麦事件の現場標識に出会う。こんなふつうの住宅の前であの歴史的大事件が繰り広げられたのか~、とちょっと不思議な感じもしたが、ここから広大な敷地のキリンビール工場を見ながら歩いて行くと正式の(?)生麦事件の碑が立っている。ここで京浜国道に出て延々と神奈川宿目指して歩く。歩道にはすでにこのようなマンホールが出現。↓

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入江川を越えたあたりで十円まんじゅう屋さんを発見!10個入り(120円)を買いふたりで「あっ」という間にたいらげる。

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歩いているとどうしても甘いものが食べたくなる。その際、食べたくなるのはなぜかあんこ系。決してケーキではない。鯛焼きでもおまんじゅうでも手づかみでパクパク食べられるのがよい。

10時を過ぎ、国道にそろそろ車の数が多くなってきた。歩道橋の下に神奈川宿陣屋跡を示す表示板あり。今でこそ横浜は一大港町として栄えているが、当時は小さな漁村にすぎずむしろ「神奈川宿」に横浜開港当時の遺跡が多い。

国道を挟んで陣屋、宿場があったらしいがその面影はほとんどない。表示板の右手の脇道を見ると滝の川という川が流れていて、左岸の急な坂道をいけば神奈川台へと入るらしい。

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岸辺には梅の花がちらほらと咲き始め、川面には鴨がゆったりと遊んでいた。

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国道に沿って神奈川宿の西のはずれまで歩いて行くと第一京浜国道(15号線)が第二京浜国道と合流して東海道線国道一号線となる。

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11時半。

少し道を間違えて横浜駅を跨線橋で越える。西口に出ると大通りを横切ったところが旧東海道になる。南軽井沢町、浅間神社を過ぎると右側はすっかり住宅地となった神奈川台地が続く。昔は小高い山が街道に覆いかぶさるように連なっていたのだろう。

街道はいつのまにか八王子に至る古道と別れる大山道追分を過ぎ、相鉄線天王町の松原商店街に入り込む。日曜の市が開かれているせいで商店街はわんさわんさの人の波がみえてくる。。

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12時ちょっと過ぎ。

商店街が終わろうかとするあたり、帷子川(かたびらがわ)の手前でお昼に鴨南蛮を食べる(940円)。あたたかいのがなにより嬉しい。

天王町の駅を抜けると旧帷子川の橋の模型があり、それを渡ってずっと歩くともう保土ヶ谷。保土ヶ谷宿には本陣、脇本陣跡が比較的名残をとどめていていて宿場町の香りがかすかに感じられ当時をしのぶよすがとなる。

しばらく歩くと国道1号線とぶつかり狩場インターのそばにでくわす。ものすごく遠回りになる歩道橋をふたつほど渡って旧東海道に戻り、いよいよ本日のメインイベント!権太坂の上りとなる。箱根駅伝では順位が入れ替わることが多い権太坂だが、駅伝では国道を走っているのでこの旧街道とは傾斜が相当ちがう、と思われた。

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094←坂上から見下ろす権太坂。

日本橋からずっと平坦な旧東海道を歩いてきた旅人はここで初めて上り坂というものに出くわす。急坂の途中には上っている途中で往き倒れになった人を放り込む「投げ込み塚」なるものがあると聞いていたので、わたしたちもわくわくドキドキで上り始めるが、さほど苦労はしなかった。ちょっと気が抜けて道端を見ると、現在ではかなり傾斜をゆるく形成したという標識がある。095

14時。

いとも簡単に上り終えると権太坂小学校。ここから坂の上の道を歩くと素晴らしい景観が待っていた。道の右手の駐車場から見渡せば真白き富士y山が丹沢の峰々を従えて悠々とそびえたっているではないか!!

左手には当時は海が広がって(現在はビルと住宅地)見えただろうから、昔の権太坂を上り終えてこの景色を眺めた時旅人は涙が出るほどに感動したのではないだろうか?(もっとも海も富士山も江戸からでも十分に見えたからそれほどの感慨はないか?)

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さらに歩いていくと相模と武蔵の国境を示す境木地蔵尊に到着する。ここから道が5叉路に分かれる。道標に従って焼餅坂から品濃坂を下ると今も当時のまま残っている一里塚がある。裏手に回ると土と草の匂いがして心地よい。

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下り途中の左側斜面には広い果樹園が続き、切通しのような道路を歩道橋で渡り下った場所から戸塚に至るのだが、さてさてここから道に迷う。品濃坂をだらだら下り続けていくうちに、ろくさんの頭の中の地図があやふやになり歩道橋の近くまで戻り左の道をたどり、土地のおばさんやおじさんに道を聞きながらなんとか国道一号に出た。なんだかキツネにつつまれた感じ~~~。

それにしても歩道橋を渡ってから旧東海道の表示板が忽然と姿をくらましたのには少々焦った。どんどん新しい道ができてゆくので表示が間に合わないのだろうか?

このあたりは多分10人中8人くらいまでが迷う場所だと断言しちゃう!

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一号線を歩いて表示版のみの一里塚跡を過ぎ右に山崎パン工場、ポーラ化粧品の工場前を通る頃は午後の日射しがまぶしく照りつけるのと疲れで無口になり、ただただ前にでてゆく足に体をまかせるのみ。

16時。

ようやく吉田川に架かる吉田大橋を渡って本日の目的地「戸塚宿」に到着。

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駅近くの喫茶店でコーヒーとトーストを食べ本日の旅程を振り返り、戸塚駅から東海道線電車に乗って新橋~自宅。

日本橋から約40㎞、本日は約22㎞で8時間かかった。京都まであと452㎞。

次回は、なんだかんだと用事があるので少し間があいて、2月末か3月初めに戸塚から大磯くらいまでを予定。


3 コメント

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戸塚宿までの踏破、おめでとうございます。 (断腸亭髭爺)
2010-02-10 03:46:16
これからは、だんだん、起点への列車の移動が大変になってきますね。

次のルート、茅ヶ崎あたりからの松並木の道は、何となく、昔の風情が残っていていいですよ。

次々回ぐらいが箱根越えですかね。
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楽しそうですね。 (しゃあ あずなぶる)
2010-02-10 06:21:01
何と言ってもろくさんと一緒なのがイイです。
ボクも夫婦で何か始めたい時期が有ったのですが、ボクの予定が立て難くて断念しました。

次回の二月末から三月初めなら、少し暖かくなっていいかも。
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・断腸さん (やまびこ)
2010-02-10 21:06:36
>だんだん、起点への列車の移動が大変になってきますね。

そうなんです!早起きして始発に乗ることが多くなりそう。こういう時は東京の東端に住んでいることが悔やまれます(^^;)

昔の人の多くは日本橋から戸塚までが一日の歩行距離だったみたいです。ましてや、前日の疲れもそこそこに翌日早くにまた旅立っていったわけで、その健脚ぶりにはまったく敬服するばかり。

3月中には箱根越えできると思っています[E:fuji]

・しゃあさん

旅は道連れ。一人旅もとっても好きだけど気のおけない人と歩いていると、感動を分かち合う楽しさがあります。
ろくさんは地図に忠実に、わたしはひたすら勘に頼って歩くので、意見が衝突するときもあるけどね~(^^)
しゃあさんたちも是非、予定が合うときにゆっくり少しづつ実現していってね。

歩いていて感じるのは足の痛さではなくお日様や風の向き。3月頃はちょうどいいね(花粉症がこわいけど~)[E:wobbly][E:sweat01]




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