回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

東海道を歩く22石部~草津~大津(瀬田の唐橋泊)

2012-01-02 23:49:40 | 東海道五十三次

2011年12月30日(金) 快晴~曇り~みぞれ~曇り。

東京駅7:00発「のぞみ」 → 名古屋 

名古屋8:47発「こだま」 → 米原9:15着

米原9:19発東海道線(琵琶湖線) → 草津9:51着

草津10:26発草津線 → 石部10:37着

前回の続き、石部までは鉄道では京都から草津を経て石部着が一番早いのだが先まで行って戻るのは悔しいので、時間のかかる米原回りのコースを取る。それでも草津~石部間は重なってしまうのだが仕方がない。

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↑ とても懐かしい石部駅

名古屋あたりまでは真っ青な空、富士山も車窓からくっきりの快晴であったのが米原付近は雪景色。石部に着いたらパラパラと冷たい雨。

石部は京都を発った旅人が最初に泊まる宿場であったらしい。

しっとりした街並みを迂回し、「ゴーシュ―」という大きな工場に沿って歩くとまもなくランドマークのように近江富士(三上山)がこんもりと見えてくる。

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草津線の踏切があるがこれを渡らずに左に折れ、伊勢落ちという集落に入ってゆく。

栗東市の一郭である。

ここから手原までの街道の街並みが曲がりながら連なり、山に囲まれ穏やかでとてもよい。

途中、間(あい)の宿である六地蔵を越えると左側に豪荘な蔵構えの「和中散本舗」の屋敷がみえてくる。

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徳川家康が腹痛を起こして飲んだとされる薬で「和中散」と名付けたのも家康。

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しばらく建物内の庭園についての説明板を読んでいると、家の中でこそこそ話し声。

まもなく一人の男性が出てきて「こんにちは」と挨拶しがてら「実はつい先日ここの当主が

亡くなりまして、葬儀に来られなかったので今日伺いましたんや」と柔らかな関西弁で話してくれる。家族はお正月どころではないな、と拝察。

ここを出てしばらくするとザザザとみぞれがやってきた。

わたしったら、今回に限って折りたたみ傘を用意して来なかった!

仕方なく古い呉服屋の軒先を借りて雨宿り。

この「軒先」というもの、強い日差しや雨をよける旅人には本当にありがたい。

レインコートを着て出発しようかと用意したら急にみぞれがやんだ。

ちょうどここの女主人が車で帰宅した時と重なる。

「なにか着るものお貸ししまひょか?ナイロンですけど」と柔らかい関西弁で言ってくださる。

和中散のおじさんもこのおばさんも、まるで優しい音楽のような流れのイントネーション

こういった言葉のニュアンスから、もはや京都近しの感がある。

「いえ、大丈夫です、もう止みましたので歩き始めます」と丁寧に断り出発。

もう12時を過ぎているので昼食する場所を探す。が旧道には何もなく国道にいったん出るもさすがに暮れの30日ではお店も閉まっているところが多く、ようやく食べ物屋を見つけた時はほっと安堵。

12:30

お寿司屋さんで「越前おろし蕎麦」を注文。

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ゆずと大根おろしが平打ちの蕎麦と相性よくさっぱりして美味しかった。

体も温まって一路、草津宿に向かう。

目川の立ち場(道筋にある休憩所のような場所)跡付近は田楽の発祥地として有名。

3軒の田楽屋の石碑が並んで立っている。

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どんどん歩いて行くと、まもなく国道1号にぶつかり、渡って左に行くのをちょっと迷いながらも右の道を行き、古いアーケードを通り過ぎると三雲でみたのと同じような天井川になっている古草津川のトンネルをくぐる。

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↑ アーケードの終わりにあるトンネル。上は天井川。

3:00

トンネルを出ると草津宿である。

出口付近には右・東海道と左・中仙道と書いた追分をしめす常夜灯が立っている。

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う~む、おかしい、京都から来た場合。中仙道はトンネルをくぐるが東海道はくぐらないはず。

実は先ほど道を間違えて右折したとき、わたしたちは何百メートルか中仙道に入りこんでしまったらしい

ま、とにかくここが分岐点である。

草津宿場の見どころは何と言っても、当時のまま保存されている本陣で国の史跡にもなっている。

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さて中をゆっくり拝観、と立派な本陣門の前に立つとこのような札が~~~~~~!!

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暮れの30日に観光地へは行くものではないと思い知る。でもこういうことはよくあることなので憶えておいた方がよい!(実はこれで3回目~~)

本陣の周りをぐるっと歩き、宿場の街並みをしょぼしょぼ歩き、また少しみぞれが降り始めた頃、立木神社にぶつかる。

お正月の準備をするために少しづつ人が集まっている。

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甘いものが欲しくなったので途中の和菓子屋さんで「六方」を買って食べる。

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ここから野路の一里塚、古代、平安時代からある古東海道の宿場であった野路の泉を通り過ぎ、月輪の街を過ぎると下り坂となりいくつもの湿地や池がみえてくる。

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地形が、そろそろ琵琶湖が近い事を示している。

たいへんわかりやすくグッドデザインの道標。

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「たにし飴」屋をいう看板の店の前を右にカーブすると見えてきました!瀬田の唐橋!!

詳しくは唐橋が架かっているのは瀬田川(鳥居川)なので正確には琵琶湖畔ではないのだけど、わたしは琵琶湖畔に来たのは初めてであったし、琵琶湖マラソンで渡る橋だし、何といってもここまで歩いてきたという感慨が胸にこみあげ、唐橋が見えた時はちょいと感動的でありました。

瀬田の唐橋から湖方面を望む。

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ただ、惜しむらくは唐橋自体は工事中ため、緑のシートで覆われていてちょっと風情がなかった。↓

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さて、草津の次宿は大津だが今日はスタートが遅く、夜の歩行になってしまうので、この瀬田で宿泊。

4:30

予約していた橋のすぐたもとの旅館「唐橋」に着く。

ガランとした古い旅館でおかみさんたちのサービスはとてもいいのだが、館内暖房が

ないので廊下も風呂場も食堂も寒い事寒い事~~~~

こういう歩きの旅のときは少し高くても設備のよい旅館がいいと思う。

本日の歩行距離:約18㎞、京都まであと約19㎞。


4 コメント

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明けましておめっとうござんす。 (しゃあ あずなぶる)
2012-01-03 08:14:49
命の洗濯ですね。
ってか、お寿司屋さんで、蕎麦なの?
お寿司屋のメニューにあるんだ?
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しゃあさん (やまびこ)
2012-01-04 08:59:46
おめでとうございます。

手原のお寿司屋さんは、なんでもありの定食屋さんみたいなお店でした。みぞれに濡れた後だったからあたたかいお蕎麦が美味しかった~[E:noodle]。ちなみにろくさんは串揚げ定食を食べてましたよ。

店のおじさんとしてはお寿司を握りたいのだろうけどね^^。
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懐かしい、懐かしい。 (ヒポポ)
2012-01-11 23:47:48
毎回同じコメントでごめんなさい。

草津本陣は私が行った時も月曜日で休館でした。
土・日・月と二泊三日で歩くと、公的な施設は月曜休館で
見学できなかったところが、いくつもあります。

このあたりに来ると、早く着きたい!でも終りになるのは寂しいと
複雑でした。
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ひぽちゃん (やまびこ)
2012-01-12 12:16:58
>土・日・月と二泊三日で歩くと、公的な施設は月曜休館で

最近のように月曜が振替で連休になっているなら公的施設も空いててほしいですよね。
ろくさんと一緒に膝から崩れ落ちましたよ^^。
まあ、この日は暮れの大掃除というところでしょうか。

>毎回同じコメントでごめんなさい

どうぞ何回でも!気持ちわかりますもん☆


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