居組からの帰り道、余部(あまるべ)鉄橋に寄り道をしました。
余部鉄橋は鉄道ファンにはよく知られた鉄橋です。現在はコンクリートの橋梁になってしまったので、鉄橋とは言えませんが、迫力は十分ありました。
浜坂から高速が延びていて、10分ほどで余部鉄橋に行くことができました。
余部橋梁にやってきました。橋に下には道の駅があり、駐車場もありました。
下から見上げると、こんな感じです。高さは41メートルもあるそうです。
昔の余部鉄橋です。私も小学校高学年の頃に山陰線で通った記憶があります。
昔の鉄橋の一部が保存されています。余部鉄橋は、明治45年に完成し、平成22年まで使用されました。約100年間も利用されたんですね。
残念な事故も起こっています。昭和61年の年の瀬に回送列車が転落して、下の工場を直撃し、従業員と車掌の6名の命が亡くなるという大事故も起きています。
端の方の橋脚はそのまま保存されていました。
エレベーターに乗って駅に行くことができます。
エレベーターで上りました。見晴らし抜群のエレベーターでした。
橋の上にやってきました。昔のレールも残されていました。
橋の上からの眺めも良かったです。
現在は「空の駅」として整備されています。
橋の長さは310メートルもあります。
餘部駅ですが、漢字はちょっと難しいですね。
この先は浜坂方面です。列車も撮りたかったのですが、1時間も待たねばならなかったので諦めました。
駅からは、素晴らしい眺めが広がっていました。
以前、信越線の廃線跡で「めがね橋」を見ましたが、それも素晴らしい橋梁でした。余部鉄橋もそうですが、明治の鉄道を造った人たちの努力に頭が下がります。
※訪問日 2019.7.10
余部鉄橋は鉄道ファンにはよく知られた鉄橋です。現在はコンクリートの橋梁になってしまったので、鉄橋とは言えませんが、迫力は十分ありました。
浜坂から高速が延びていて、10分ほどで余部鉄橋に行くことができました。
余部橋梁にやってきました。橋に下には道の駅があり、駐車場もありました。
下から見上げると、こんな感じです。高さは41メートルもあるそうです。
昔の余部鉄橋です。私も小学校高学年の頃に山陰線で通った記憶があります。
昔の鉄橋の一部が保存されています。余部鉄橋は、明治45年に完成し、平成22年まで使用されました。約100年間も利用されたんですね。
残念な事故も起こっています。昭和61年の年の瀬に回送列車が転落して、下の工場を直撃し、従業員と車掌の6名の命が亡くなるという大事故も起きています。
端の方の橋脚はそのまま保存されていました。
エレベーターに乗って駅に行くことができます。
エレベーターで上りました。見晴らし抜群のエレベーターでした。
橋の上にやってきました。昔のレールも残されていました。
橋の上からの眺めも良かったです。
現在は「空の駅」として整備されています。
橋の長さは310メートルもあります。
餘部駅ですが、漢字はちょっと難しいですね。
この先は浜坂方面です。列車も撮りたかったのですが、1時間も待たねばならなかったので諦めました。
駅からは、素晴らしい眺めが広がっていました。
以前、信越線の廃線跡で「めがね橋」を見ましたが、それも素晴らしい橋梁でした。余部鉄橋もそうですが、明治の鉄道を造った人たちの努力に頭が下がります。
※訪問日 2019.7.10
あの加藤文太郎も、この鉄橋を帰郷の際に通っていたのですね。
明治の時代にこれだけの建造物を作るとは
我々の父母は努力家だったのですね。
空の駅、とても眺めが良さそうです。
信越線のメガネ橋、アプトの道は毎年出掛けていますが
その精緻さに毎回驚かせられています。
ところでこの餘部駅は階段は無いのでしょうか
鉄骨造りの旧余部鉄橋を一度見てみたかったのですが、
叶わずに新しい鉄橋になりました。
転落事故はよく覚えています。
ちょうど山と山の間にあって、風の通り道になっているのでしょうね。
今の鉄橋にはエレベータで登れるのですね。
駅からの見える風景が素晴らしいです。
こんにちは。
そうか、加藤文太郎も通っていたんですね。
明治時代に今の鉄道の基礎は
ほとんど完成していますね。
火野正平さんもここを訪れていましたが
エレベーターが怖くて坂を歩いていましたよ。
坂を登れば有名なお立ち台もあります。
こんにちは。
平成22年まであったのですが
写真を撮っておられませんでしたか。
余部鉄橋の事故は私もよく覚えています。
列車を吹き飛ばすとは余程の風だったんでしょう。
餘部駅までは公園のように整備されていました。
エレベーターも無料でした。
懐かしい思いがします。
美味しいカニを食べに行ったなぁ。
応援ぽち
こんばんは。
冬の日本海といえばカニですね。
最近は車で行くことが多いですが
たまには列車に乗って行くのもいいですね。