はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

忍阪(おっさか)街道を歩く(1)

2018-11-24 19:00:00 | 古代史の舞台を歩く
先日、談山神社の帰りに桜井の手前にある忍阪に寄り道をしました。舒明天皇の古墳があるので立ち寄りたかったのですが、道も狭そうなので諦めました。
その二日後に、再び訪ねました。

今回は近鉄電車で行きました。上本町から急行に乗って大和朝倉駅をめざします。



上本町駅から大和朝倉駅までは、急行で46分です。ちなみに次の駅は長谷寺です。



駅の向こうには三輪山が見えます。



歩いて20分ほどで忍阪に到着ですが、ここが目的地ではありません。



ところで忍阪ですが、万葉集にも詠われる忍坂(おさか)山の麓にある地域を指すようです。



歴史街道の案内板もありました。忍阪は古代からつづく歴史のあるところです。



旧街道を歩いていくと、やがて忍阪坐生根神社(おっさかにいますいくねじんじゃ)に到着します。この神社も古そうでした。



旧街道の周辺には古い町並みがつづきます。



舒明天皇陵の標識がある所から坂道を上っていきます。



今回の旅の目的地、舒明天皇陵に着きました。この古墳は昔から「段ノ塚古墳」と呼ばれて来ました。



舒明天皇は「大化の改新」の中大兄皇子(後の天智天皇)の父親です。



お馴染みの宮内庁の看板です。宮内庁が管轄する天皇陵のほとんどは、被葬者がはっきりしていないのですが、この御陵の被葬者は舒明天皇でまちがいなしとされています。



この古墳の特徴は、なんといっても日本初の八角墳ということです。とはいうものの、外からはよく分かりません。要は案内板のような古墳だということです。



実は、ここには舒明天皇陵だけではなく、まだ二つの古墳があるのです。もう少し山道を登っていきましょう。



久しぶりに古墳をめぐりました。昨日のニュースでも仁徳天皇陵の調査について伝えていました。宮内庁も少しは変わって来たのかなと思うニュースでした。
次回は、鏡女王と大伴皇女の古墳を訪ねます。

※訪問日 2018.11.16 (今回はコンデジで写しました。)