先日、談山神社の帰りに桜井の手前にある忍阪に寄り道をしました。舒明天皇の古墳があるので立ち寄りたかったのですが、道も狭そうなので諦めました。
その二日後に、再び訪ねました。
今回は近鉄電車で行きました。上本町から急行に乗って大和朝倉駅をめざします。
上本町駅から大和朝倉駅までは、急行で46分です。ちなみに次の駅は長谷寺です。
駅の向こうには三輪山が見えます。
歩いて20分ほどで忍阪に到着ですが、ここが目的地ではありません。
ところで忍阪ですが、万葉集にも詠われる忍坂(おさか)山の麓にある地域を指すようです。
歴史街道の案内板もありました。忍阪は古代からつづく歴史のあるところです。
旧街道を歩いていくと、やがて忍阪坐生根神社(おっさかにいますいくねじんじゃ)に到着します。この神社も古そうでした。
旧街道の周辺には古い町並みがつづきます。
舒明天皇陵の標識がある所から坂道を上っていきます。
今回の旅の目的地、舒明天皇陵に着きました。この古墳は昔から「段ノ塚古墳」と呼ばれて来ました。
舒明天皇は「大化の改新」の中大兄皇子(後の天智天皇)の父親です。
お馴染みの宮内庁の看板です。宮内庁が管轄する天皇陵のほとんどは、被葬者がはっきりしていないのですが、この御陵の被葬者は舒明天皇でまちがいなしとされています。
この古墳の特徴は、なんといっても日本初の八角墳ということです。とはいうものの、外からはよく分かりません。要は案内板のような古墳だということです。
実は、ここには舒明天皇陵だけではなく、まだ二つの古墳があるのです。もう少し山道を登っていきましょう。
久しぶりに古墳をめぐりました。昨日のニュースでも仁徳天皇陵の調査について伝えていました。宮内庁も少しは変わって来たのかなと思うニュースでした。
次回は、鏡女王と大伴皇女の古墳を訪ねます。
※訪問日 2018.11.16 (今回はコンデジで写しました。)
その二日後に、再び訪ねました。
今回は近鉄電車で行きました。上本町から急行に乗って大和朝倉駅をめざします。
上本町駅から大和朝倉駅までは、急行で46分です。ちなみに次の駅は長谷寺です。
駅の向こうには三輪山が見えます。
歩いて20分ほどで忍阪に到着ですが、ここが目的地ではありません。
ところで忍阪ですが、万葉集にも詠われる忍坂(おさか)山の麓にある地域を指すようです。
歴史街道の案内板もありました。忍阪は古代からつづく歴史のあるところです。
旧街道を歩いていくと、やがて忍阪坐生根神社(おっさかにいますいくねじんじゃ)に到着します。この神社も古そうでした。
旧街道の周辺には古い町並みがつづきます。
舒明天皇陵の標識がある所から坂道を上っていきます。
今回の旅の目的地、舒明天皇陵に着きました。この古墳は昔から「段ノ塚古墳」と呼ばれて来ました。
舒明天皇は「大化の改新」の中大兄皇子(後の天智天皇)の父親です。
お馴染みの宮内庁の看板です。宮内庁が管轄する天皇陵のほとんどは、被葬者がはっきりしていないのですが、この御陵の被葬者は舒明天皇でまちがいなしとされています。
この古墳の特徴は、なんといっても日本初の八角墳ということです。とはいうものの、外からはよく分かりません。要は案内板のような古墳だということです。
実は、ここには舒明天皇陵だけではなく、まだ二つの古墳があるのです。もう少し山道を登っていきましょう。
久しぶりに古墳をめぐりました。昨日のニュースでも仁徳天皇陵の調査について伝えていました。宮内庁も少しは変わって来たのかなと思うニュースでした。
次回は、鏡女王と大伴皇女の古墳を訪ねます。
※訪問日 2018.11.16 (今回はコンデジで写しました。)