太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

何だか強そう

2022-11-25 08:45:21 | 日記
 サッカーW杯のドイツ戦をダイジェストで観た。何だか何時もと違う感じがした。これまで気になっていたのはボールをキープする時間が長く味方のフォーメーションができたところでフワッとしたパスを出す。これでは相手に考える時間も態勢づくりも余裕を与えてしまう。今回はパスを受けると即次の動作に移っており全員が次何をすべきか理解してプレーをしているように見える。何だか強そう。ファンでもない素人が生意気なことを言って申し分けない。次はフルタイムで観ようかと思っている。ただ残念なのはMLBもそうだが本当のLIVEでない限りTV放映の前に結果がネットニュースで流れることがある。結果を知って観ると臨場感に欠けることである。もう一つ感心したのはひと昔前は活躍した選手が如何にも我が我がという感じだったが今はファンに感謝する言葉を口にする選手が多い。言うまでもなくプロとアマの違いはファンあってのプロである。
 W杯の期間に行う他のプロスポーツは気の毒ではあり注目され難い。今は相撲が典型だろう。紙面はサッカーの半分以下しか占めていない。相撲人気の凋落はファンに対するアッピールの不足がある。何とか道とかいって修験僧のような自己陶酔を煽っていたマスコミも悪い。勝者インタビューでも一番一番ですとか自分の相撲をとるだけですとかの常套句しか聞けない。協会はファン心理も読んで力士の教育にも当たるべきだろう。観客ゼロのプロスポーツは余程のスポンサーがつかないと運営は無理である。スポンサーがつく条件もファンの数によるのだが。
 栃若時代から相撲の方が興味があったが今はサッカーが上である。勿論MLBが始まれば迷うことなく大谷選手の応援を第一とするが。タダのTV観戦で偉そうなことを、本当のファンなら海外にまで出掛けて入場料を払ってでも観戦する?いや放映しているスポンサーのCMでモノを買う事もあるから間接支援はしている。大相撲は受信料(入場料)を払っているがCMで買う商品はない。
 世の中で最も多いプロはサラリーマンだろう。ファンは極めて少ないが日々今日はどういうプレーをしようとかどんな技を発揮しようとか無い知恵で頭を巡らしている。アマチュアサラリーマンはいないから全員プロの平場勝負である。リタイア組はどうか。年金暮らしの無駄飯喰らい、社会補償で税金泥棒?そう言わないで欲しい。一度も圧力団体を作って政治に圧力をかけたことなど無い。今の年金だってこれだけ欲しいと言ったことはない。あるもので生活するしかないのだから。遠回りだが選挙は必ず投票に行く。党か人かと毎回悩むが最近困ったことに党にも人にも該当者がいないことである。プロなんだからというプライドは職種に限らず大切である。

感謝が幸せを

2022-11-24 08:50:43 | 日記
 昨日は勤労感謝の日で祝日だった。「国民の祝日に関する法律」には「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日とされている。さて世の中のどれくらいの人が感謝しているだろう。当たり前と思うことに感謝する。これは結構難しい。神様やお天道様に感謝することはあるかも知れないが身近にり居る働いているお父さんやお母さん、職場の仲間にどれほどの人が感謝しているだろうか。また働けること自体に感謝する人はどれくらいいるだろうか。世の中で最も希薄になった感性の一つが「感謝する気持ち」だろう。感謝できることはそれ自体が本人の幸せとも言える。感謝の対義語は怨嗟だろうか。そこまで行かなくとも「当たり前」もその部類だろう。結果は感謝の反対になる。ハロウィンで大騒ぎするより勤労感謝の日は誰かに1回はありがとうと言う日にしたらどうだろう。感謝は人を幸せにする、間違いない。
 サッカーW杯は日本が強豪ドイツに2:1で勝利した。ダイジェストで観たが素晴らしいと思う。サッカー自体は90分と試合時間が長くファンには申し訳ないがあまり興味がない。もっとも嫌いな所はW杯まで行くとさすがに違うがJリーグで目立つ天下を獲ったように大仰な得点パフォーマンスである(許されるのは三浦選手だけ)。こんなめでたい日くらいは素直にファンとともに祝福すべきなのだろう。前のラグビーW杯のようにルールもろくに知らない私でさえ興味を持って観戦したようなフィーバーが再来すると日本も少しは元気になる。プロスポーツの試合が少ないこの時期仕方がない面もあるが一般紙までもたいそうな紙面で報じるのはどうかと。
 多くの途上国で子供達がサッカーボールを蹴って遊んでいる風景に出くわした。特別な装具や備品がなくとも遊べる。原点はここらにあるのだろうが到達点がW杯なのだろう。サッカー教室で育った子供より裸足でボールを蹴っていた子供達の中からスター選手が生まれるのを期待したい。スターになったからと言ってOBになって年に似合わず長髪で解説などしていたら駄目。祖国の子供達にボールをプレゼントして感謝の気持ちを表している選手もいる。子供達は夢を貰って幸せだろう。感謝と幸せの関係はここにもある。

早とちり功罪

2022-11-23 09:08:07 | 日記
 ネット記事を流していたら、田んぼにレンゲがとありこれから冬に向かうというのにもう春のところがあるのかとよく見たら、田んぼにレントゲン車突っ込む、だった。生来早とちりのきらいがある。直感が当たることもあるが同じくらいの失敗もある。「早とちり」をWebで見ると「ある物事が特定の性質あるいは状態だと誤認すること」となっている。思い込んだらなかなかそこから抜け出せない。子供の頃、と言っても小学高学年までは落下傘のことをパラットシューと覚えていた。パラっと開いてシューと降りて来るからである。キクラゲは大人になるまでクラゲを乾燥したものと思っていた。形からして疑う余地のないものでキノコの仲間と知ったのは相当年が行ってからである。高校時代は生物の先生が、透明人間は目が見えないと言っていた。レンズである水晶体が空気と屈折率がおなじだから像を結べないと。これは今でも信じている。大学時代は友人から、闇夜のカラスは自己喪失するかと投げかけられた。これは未だに分からない。他人に迷惑を掛けない勘違いは微笑ましいものだがいけない例がある。タレントH氏(87)がラジオの生放送番組で、女優さんの訃報に接し、死因について「覚醒剤の影響では」との旨の発言をした。新聞記事の『薬物過剰摂取』という言葉を拡大解釈し『覚醒剤とか麻薬の影響があるのではないか』という表現をしたとのこと。後に謝罪したが早とちりの一種だろう。学生の頃H氏の番組はよく聞いていた。もう亡くなられたのかと思っていたら87歳の今でもパーソナリティで活躍していた。早合点はお詫びしなければならない。元大物(?)政治家のM氏もそうだ。逆張りをしているのかも知れないが普通に聞くと時代についていっていないなあと思う。喋る機会は本当に少なくなってきて失言は自然としないようになってきた。その代わりブログではきっと勘違いは至る所にある。他人に迷惑掛けないようには気を付けてはいるが口から出る言葉と違って恥として残るから厄介ではある。
 早とちりと直感は似ている。新聞の小さな記事でウクライナ支援で発電機とソーラーランタンを供給するとあった。昨日携帯の充電のためソーラーパネルをと書いたところである。多分ソーラーランタンには充電端子も付いていると思うが。灯りは代替があっても充電はない。もう30年以上前ソーラーを系統連系(住宅用やメガソーラーのように電線に繋ぐ)として使う事が出来なかった時代、独立型(主に蓄電池に充電して使う)の応用商品開発に活路を求めていた。アメリカに庭園灯や野立て看板の照明用などで大量に輸出し事業継続の糊口を凌いでいた時代である。ソーラーランタンもその頃の応用商品の一つである。30年を経てやっと本来の役に立ったように思う。

今度は談合か

2022-11-22 08:21:27 | 日記
 よくよくオリンピックというのは金塗れのイベントであることが分かる。贈収賄に続き今度は談合疑惑だ。五輪テスト大会の業務受注で談合の疑いがあるとして地検が調べている。またぞろ電通グループを含む受注業者が対象だ。まだ何とも言えないが談合を育む土壌は何処にあるのか私見(偏見)ではあるがある意味無理からぬところもある。国を含む公共工事は予算の単年度主義から年度内に完遂が条件となる。ところが実際に入札仕様が出て来るのは下半期、ものによっては年が明けてからの場合がある。しかしそこから計画を練って応札するには凡そ時間的に無理な場合がある。発注側も入札が不調に終わると予算計画の失敗と見做され企画の失敗と見做されキャリアに傷がつく。また次年度は同様の予算は取り難くなる。官としてはどうしても入札流れは避けたい。業者側はなるべく早く仕様を知り年度内に納めたい。そこに官民の癒着が生まれる。業界の仕事をしていた頃記憶にあるのは三菱総研と電通である。よくこんな仕事を短期間にこなせたなあという驚きである。勿論それらは会社としての実力があり、年度末の確定検査の後でしか支払いがなされないがそれを待てる財務体質もある。官としては困ったときの総研と電通頼みである。官として頼れる存在だが大昔なら政商と呼ばれていただろう。かといって受注した仕事がおざなりかというと逆で見事なものである。箱ものなら設計図ができれば何とかなるが両社はシンクタンクのようなもので豊富な人材とノウハウがなければこなせる仕事ではない。業界でも調査を発注したことがあるが短期間に見事な出来栄えだった。何れも一流企業であり実力もあるのだろう。殆どの仕事は真っ当だと思う(どちらの会社にも知り合いが居たから言う訳ではない)。勿論談合を容認している訳ではない。プロジェクトによっては単年度主義を改め仕様と実施の年度をずらすとかの工夫も必要ではないだろうか。大昔はもっと凄まじい受注合戦もあった。ODAの分野で1億円以下の小型案件である。名も知らぬコンサルタント企業が安値受注しそれを丸投げで他の企業に下請けさせ利ざやを稼ぐ商売である。情けないかな自らも下請けすべく営業活動をしたこともある。今では丸投げは禁止されているが蛇の道は蛇(同類のことは同類であればよく分かるという意味)のすさまじい時代であった。
 鐡道の駅で携帯充電をしているウクライナ南部要衝ヘルソンの写真がニュースになった。物凄い数の人である。ライフラインの主役になっているであろう携帯である。ロシアの攻撃により電力インフラが麻痺していると聞く。こんな時こそブログに書いたようにソーラーパネルを援助物資として送るべきである。今なら充電用くらいなら1万円もかからないだろう。各戸で充電すれば集まるというリスクも無くなるではないか。10億なら10万戸に配布可能。下手すると中国が先にやるかも知れない。それでも良いのだが・・・・。ブログを読んだ業界の人が良いアイデアと官に売り込むのは構わないがくれぐれも事件にはならないように。

超高齢者

2022-11-21 08:23:57 | 日記
 何とも驚いた事故である。軽自動車が歩道に乗り上げて数十メートル暴走し歩道を歩いていた人をはねた後、信号待ちをしていた車3台に衝突した。ドライバーは97歳の超高齢者である。歩道を歩いていた人は亡くなってしまったがまさか歩道で、避けようもなかったろう。池袋の事故が記憶に新しいが今回の事故は97歳が運転していた。老化には個人差があるから何とも言えないが97歳とは幾らなんでもである。免許更新についても徹底的に問題点を洗い出すべきである。こういう事故がある度に車が無ければ生活できないという人がいる。それはあり得ない。免許を持っていない人は大勢いる、ひと昔前は車など無かった。生活できないのではなく、周りと、今までと同じような生活をするには無ければ「不便」なのである。不便と引き換えに人の命を奪う可能性はどう斟酌しても釣り合わない。今回は年齢からして事故を起こす蓋然性は誰が考えても明らかである。子供達は遠くで暮らし、心配はしていただろうが止めるまでには至っていない。車は目と手と足さえ動かせば運転できる。歩くより遥かに運動能力を必要としない。車など走らない広い直線道路をゆっくり走るなら事故も起こり難い。しかし狭い日本、歩道に乗り上げたら確実にパニックになりその後の操作は本人も覚えていないだろう。被害者には何の落ち度もない。家族の方々の無念と怒りは想像に難くない。
 生活ができないからというのは事故を起こしてからは全く理由にならない。本人が自覚しないなら免許更新をもっと厳しくすべきだ。80歳を超えてからは毎年更新とする。費用も掛かり老化の進行も細かにチェックできる。これくらい厳しくしないと高齢者の事故は無くならない。まだ超高齢者までは時間があるが少しづつ車の無い生活に慣れて行かねばと思っている。