新天皇の即位まで少し時間はあるが、明日は新元号が公表される。TVではやたら、平成最後のという枕詞が使われている。生前退位だからこそ元号が変わる日が分かっているからだが、昭和最後のという言葉が予め使われることがなかったから余計に目立つ。
ここ2,3日の花冷えにも拘らず東京の桜の名所は何万人もの人出で賑わっている。花より人見状態で些か哀れにも奇異にも感じる。ちょっと郊外のこの辺りまで出掛けて貰うとやたら沢山桜はあるのだが。勤務地があった工業団地では、広い道路の並木は桜である。最初は細い街路樹であったが今は巨木、老木となり毎年見事な花を咲かせる。しかし花見に訪れる人など皆無で休日など車も殆ど走っていないから森閑としたものである。平成最後のと思い昨日車で行ってみたが未だ六分咲きくらいだろうか。城跡公園の桜も見事だが多分1週間後くらいが見ごろだろう。ソメイヨシノは思いのほか白く清潔感に溢れる。もう1か所競走馬の練習場が桜の名所としても有名で車で30分くらいのところにある。30年位前は無名で見物客など殆ど居なかったが昨年行ってみたら駐車場所もないくらい混雑していおり、屋台も沢山出ていた。遠くのナンバープレートもあり、やはり名所となるとネットで拡散するので人が集まる。混み過ぎて平成ではもう行かない予定である。
昔は会社のイベントでも無い限り桜見物など行かなかった。それは花見というより酒好きの人のためのイベントであり目的は何でも良かったような気がする。特に会社が酒を飲んで本音で語ろうなどと勧めるから飲む機会は多かった。若い頃は大酒のみの会費が同じことに少々腹が立っていたが、何より酒を飲んだら本音ではなく大口を叩く輩が多く会社が言う意味が分からなかった。後半の勤務地はその工業団地で敷地内の桜だけでも花見ができるくらいだった。しかし、車通勤の人が多く、夜桜見物のイベントなどもやったことがない。離れた場所で飲む機会を設けると帰りが心配である。最寄り駅から家までは車である。事故を起こすと責任を負う立場になると余計に心配である。酒気帯び運転も厳罰化される中で皆で酒を飲む機会は激減した。
最近やっと花見の季節に思いを馳せるようになった。季節の変わり目のシンボルとして様々なことを思い出す。精々1週間くらいの明確な境界シンボルである。四季のないところでは味わえない。年が行ったということか。しかし、ねがわくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ の境地にはまだまだ。願っても 花の下でも春知らず 変わることなき 俗人暮らし というところか。