太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

中高年の引きこもり

2019-03-30 08:45:13 | 日記

内閣府の調査で中高年の引きこもりが61万3千人も居るそうである。きっかけは退職がもっとも多いとのこと。家から出ないのに加えてコンビにくらいは外出する人を含むとある。ドキッ、コンビニがメインの小生はどうなる。調査対象年齢を見て4064歳とのこと。一安心外れている。引きこもって家でオンラインゲームなどで過ごすとのこと。これもOK有料のゲームはやらない。中高年、特に定年退職者の引きこもりは分からぬでもない。今はもうどのような間柄であれ利害関係者になりたくない。もちちびまる子ちゃんの親友たまちゃんのような相手なら、もしくは自分がたまちゃんのようになれるなら別である。

勤めている間は相手がどう考えているかを考えることが日常である。相手が言った意味とか、自分の言ったことがことがどう伝わるか、これは直接対峙する時に限らず考えざるを得ない。取引の場面などやたら想像しまくる。人間関係で成り立つ社会だから当たり前のことである。現役の頃なら何の不思議も無かったが退職すると随分要らぬことに気を遣っていたのが良くわかる。一人になることが出来る環境になるともう気を遣うことは御免となり引きこもりという一人の社会に没頭する。それでも没頭し切れず市民大学講座などに申し込んだのは勤めていた頃の残り火が全く消えてはいない証拠だろうか。問題なのは引きこもり状態から中高年になってしまった人達だろう。ただ社会は引きこもり状態を作り出す方向に進化(変化)しているように思う。在宅勤務などが典型で直接人と会ったり話したりする必要がなくなる。買い物だってネットで宅配で済む。外に出る必要が全く無くなった社会をどう考えるか、対策が必要なのか、精神分析的にも解明しておくことも必要だろう。

本のタイトルで、きょうが人生最後の日だと思って生きなさい、というのがある。多くの人の最後を看取ったホスピスの方が書かれたようだがちょっと気になる。後悔のない充実した日々を過ごしなさいという意味だろうが、この言葉は心の中で思っても他人からは直接言われたくない言葉No1である。こんなだらしない準引きこもり生活であっても、まだ明日がある明日は死ぬことはないだろうと思うから毎日が生きて行ける。それが今日が最後と思うとストレス以外の何物でもない。両親ともに死の間際、医者に最後通告をうけてからも、なあに明日はもっと良くなると軽い言葉で励まし続けた。明日があると信じて生きている人に言うなら別だがそもそもそういう人に言っても無駄だろう。だらだら暮らしている若者には説教として言うかも知れない。90を超える人に言うなら余計なお節介である。本人が自覚し日々過ごしているのをとやかく言うのは失礼である。美しそうな言葉であるが残酷でもある。自分ならタイトルにはつけない。明日もあると思って生きなさいだろうか。